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第6話
それは日を追うごとに増していき、もう教えなくても一人前に出来ると断言しても良さそうで、次の仕事に移れそうだ。
部署内でも三種類の仕事に分かれているため、一つだけ覚えればいいというわけではない。
「来週から次の仕事を教えるから」
「はい」
「今の仕事は慣れただろ?」
「慣れました」
さらっと言ってのけるが、別の部下はその仕事を覚えるのに数週間は要した。やはり根本的に出来が違う。
「ちょっとファイルを取りに行ってきます」
藤巻が声をかけてきた。
「おう」
玲也が応える。
デスクを離れた藤巻のペンが視線に入った。
何気なく手に取っては先程まで使っていた温もりの残るそれに安堵する自分に何かがおかしいと思う。
隣で平然と座っていた彼はもうパートナーがいるのだろうか。
aはパートナーがいたとしても自らその関係を断ち切って新しい相手と添い遂げることが出来る。だが、Ωの場合は違う。Ωは一度相手を定めてaやβから項(うなじ)を噛まれれば一生その相手と共にいる定めとなっている。
だから、相手のいないΩは首にチョーカーを巻いて予防している。
苦しかった。
なぜだかわからないが、胸の奥からじわじわとせり上がって来る苦しさが熱い吐息となり零れた。
そっとペンをデスクに戻して、常備している薬を一錠飲んだ。
一呼吸ぶんの間を置いてやっと落ち着く。
「っ!」
「あ、すみません。そんなに驚くと思わなくて」
「いや、大丈夫」
戻って来た藤巻が椅子に座っただけでビクリと肩を震わせてしまった。
過剰な反応に変に思われていないだろうかと気にしてしまう。
落ち着いたと思った鼓動はやはり早まったままで、隣に座る彼の香りだけで酔いそうになる。どうやら薬はまだ効果を発揮していないようだ。
「大丈夫じゃないでしょう? 外の空気吸いに出ますか?」
「じゃあ、外出てくる」
「一緒に行きますよ」
「仕事」
「ある程度は片付きました」
確かに今日の予定は夕方に済ませれば良いものばかりで、取り立てて急ぐものは残っていない。
「ハンカチ、持ってる?」
「あります」
差し出されたアーガイル柄の青いハンカチのにおいを嗅ぐ。
aの強いにおいに一種の感動さえ覚える。
それは暑い日差しの中から冷房の効いた涼しい室内に入ったような開放的な感覚や長いエスカレーターを上った先の開けた空間、陸に上げられた金魚が水に戻された状態にどこか似ていて、過呼吸であえいでいた少ない酸素に一気に新鮮な空気が一気に送り込まれたようでもあった。
数度呼吸を繰り返してから立ち上がる。
同じ部署の人間は玲也がΩだということは知っている。知っているからこそ誰も手を出さないように気を配ってくれている。
ありがたいことでもあるが、aの近くにいるだけで起こる生理現象を収めるのにはとても不便だった。
ふらふらとドアへ向かうと藤巻もついて来てドアを開けてくれた。
視界いっぱいに広がる青空を見ながらaのにおいを嗅ぐ姿は何とも浅ましいんじゃないかと頭の片隅で考える。
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