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第7話
それでも、満たされていく感覚は抗いようもなく、こんなふうに誰かの私物で性欲が満ちるのは初めてのことだった。
「時津さん、辛かったんですね」
「……あー、うん」
「言ってくれれば良かったのに」
「……」
言えるわけがない。
何とも思っていない相手からいきなりにおいを嗅がせて欲しいなど聞けば引いてしまうに違いない。
そもそも、仕事場なのだから余計に言えなかった。
不意に頭に手が添えられた。
子供をあやすように撫でられている。
反射的にパシっとその手を払う。
払った手を掴まれ、距離をつめる藤巻から遠ざかろうとしては腰ごと抱き寄せられて見上げれば、その瞬間唇を奪われた。
避けることも抵抗も出来ない状態で、頭の中が真っ白になる。
その閉じられた瞼が眼前にあること。それだけの認識と柔らかな口付けの感触しかわからない。
誰が通るかわからない社内の休憩所で行われるのは現実離れしていて、割り開かれた唇から侵入する舌先が絡まってくる時にはもう理性というものがどろりと湯煎されたチョコレートのように溶け出していた。
掴まれた腕の手はいつの間にか縋るように藤巻のスーツの裾を握っている。
舌先で絡められては擦り合い、そのざらつきに久しぶりに高揚(こうよう)していくものだから止めようがない。
切なくて苦しくてどうしようもなく、何とか逃げてみるが追いかけてくるものを拒む力が足りなかった。
「……っ、は……何、するの」
「物欲しそうな顔をしていたので。迷惑でしたか?」
「……場所を考えろ」
「社外なら良いんですか?」
「……良くない」
「でも俺のにおいが欲しいってことは耐えられなかったんでしょう? 別に我慢をしなくてもいいんじゃないんですか」
「俺がΩだからって、馬鹿にしてる?」
「してませんよ。むしろ尊敬してます」
平然と言ってのける彼がさらりとした髪を揺らして言うものだから反論する気が削がれてしまった。
何だか口で言っても通じない気がして仕方ないなと受け流す。
男性から言い寄られたのは初めてではないのだ。今更清廉ぶるのは無粋かもしれない。
そう思うと記憶が少しだけ頭のフォルダから引き出される。クラスで一人だけ浮いた存在になっていたあの高校時代のセピア色がカラーとして蘇る。
玲也に対して傲慢であったなんという捉え方はただの彼の主観的な問題で、藤巻は苦しむ玲也に手を差し伸べかけようとしてくれたのだ。誤解を恐れずにはっきりと言うと、自分のちっぽけな傲慢さに興味はない。
強いaから言い寄られて、ちょうどヒートの時期もあいまって付き合ってみようとした青い時代。
まだ恋愛が何かもわかっていなかった大学時代にただ性欲と本能だけで求め合った記憶だけが鮮明に思い出される。
目の前の彼はきっと今までもレンアイをきちんと把握して行えていたのだろう。押しの強さからそれが伝わってきた。
だが、人と人が愛するのはほんの気まぐれなのだと玲也の冷めた部分がそっとささやく。
Ωだと知れ渡った時に友人たちが向けてきた好奇な視線を今でも覚えている。何をしても一か月置きに現れる抗えないヒート時には学校に行けないほどだったし、行けたとしても他の者を誘惑するフェロモンを発しているらしく、何度も襲われかけた。
だから恋愛はしないと決め、ただの捌け口として行う事務的なものとして捉えていた。
人はいずれ去って行く。
どんなに仲良くなってもいつか別々の道を歩み出すのだ。
一生変わらないものなど空想的な戯言にすぎない。
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