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第9話
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気付いていたが、知らない振りをして見ない振りをして聞かない振りをしていた。そうして口を閉ざす。見ない聞かない言わない。そうして閉じこもる。誰も近寄らないで良い。
寝付きの悪い夜だった。
掴まれた腕の感覚だとか、告白をする藤巻の言葉が頭から離れずにぐるぐると何度も反芻(はんすう)しては止まない。
暑くなり始めた初夏の七分丈の寝間着の裾をそっと掴む。
借りたまま返しそびれて持って帰って来てしまった彼のハンカチを通勤用の鞄から取り出す。
鼻先に当てると、やはりa特有の引き寄せられるような甘美なにおいがした。それが彼の使っている香水や体臭でも、はては汗ばみ始めているこの季節、拭った汗のにおいでも構わなかった。
社内ではプラスチック的な態度を示していたが、内心は欲しいと叫び出したいほど飢えている。
何せ性欲を吐き出すパートナーがいないのだ。作ろうとしないのは自分だと重々わかってはいたが、それとこれとでは話が違う。
借り物のハンカチを取り出して枕の横に置く。
やはりa特有のにおいが染み付いているそれは、Ωにとってはとても魅力的な代物だった。
彼の期待に応えることは簡単だ。
だが、受け止めるための度胸がないだけの話で、もしも他の者を好きになって、番(つがい)を切り離されたらそこで玲也の想いは一人取り残されたままになってしまう。
一度好きになってしまったら他の者に目を向けるのは難しい。
大学時代に作ったaの友人は本命がいたし、玲也がヒート状態の時に相手をしてくれるとても都合の良い関係だったのだ。
利害だけが一致している者なんて、社会人になった今、見付けるのはとても難しい。
その彼とは卒業と共に関係を断ち切っていたので、それ以来は薬を飲んでも治まらない時に適当な相手を見付けて適当に性欲処理をしていた。
どうしようもない性的欲求が高まった時、それは起こる。社内では相手を見付けたくなかったので、たいてい専門の店を探して予約を入れる。
お金さえあれば何でも出来るのだと社会人になってから痛感する。そこでヒートが治まるまで抱いて貰えばすっきりとした気持ちになるので、やはり自分はΩなのだと改めて思う。
日数的にそろそろヒートの時期だった。
きちんと数えて前もって会社のほうに休暇届けを出す。理解のある会社で、成績さえ良ければ採用する方針をとっているので、とてもありがたかった。
今週中に休暇届けを提出しよう。
そう思いながらハンカチに鼻を押し当て思いっ切りにおいを嗅いで体の中にaの要素を取り入れる。
寝間着のスウェットの裾から手を滑り込ませて自身のペニスをそっと下着の上から撫ぜる。半分程勃ち上がっているそれをすりすりと刺激してやれば直ぐにボクサータイプの下着が苦しくなった。
スウェットごと下着をずり下ろして下半身を露(あら)わにする。その間もずっとにおいを嗅ぎ、獣のように強いにおいを探し求めている。
それも段々慣れてくれば薄らいでいくので、その前にペニスを擦り上げて高めていく。ついでのように這わせた手で乳首をこねて虐めると気持ち良さで頭の中が白くなっていった。
「……ッ、ふ」
唇を噛んで押し殺した吐息を漏らしながら自慰に浸る。
本気だと言った彼の顔を思い出す。
一つだけ年下の、いかにも今までモテてきたんだろうなと思わせる目鼻立ちのととのった造作の顔立ち。
人の本気など推し量れるわけない。
冗談かもしれない。
自分のフェロモンにあてられているだけかもしれない。
ただの気紛れかもしれない。
否定の言葉ならばいくらでも浮かんでくる。
一度達して、それで満足した。
平常だからこれで済んでいるし理性も失っていない。
理性のない時の記憶はほぼないが、きっと酷い状態なのだろうということだけはわかっている。
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