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第17話
抵抗出来なかった自分も悪いが、勝手に鬱血痕を残した藤巻に心を許した覚えはなかった。
椎奈には自分からねだるくらい甘えるが、藤巻に対してはまだ心を開いていない。
その違いだけが決定的なボーダーラインとして線引きされていた。一線は越えない。
だが、悲しいことにΩとしてaの威力には敵わないのだ。
「知らないaのにおいが体中からしてて、嫌になります」
「そんなににおわないでくれないかな」
会社のロッカールームで荷物を置いていると壁際まで追い詰められてそんなことを言われた。
「俺のどこが好きなの? Ωだからとか言うなら君を好きになる要素はないよ」
「あえて言うなら、その気丈さです」
「……ヒートは終わったんだけどな」
「でも電車の中でフェロモンが駄々洩れでしたよ。あのままだったら他の人も襲いかねなかったんじゃないかと思いました」
「っ」
気の強さが好きなどと言われたのは初めてのことだ。
そして、ヒートが終わっているのは確かのはずで、椎奈にも甘えることがなくなったし平常通りに見送りも出来たのだ。まだにおいがするのは、見知らぬ者に襲われた時点でわかったが、ヒート以外でもフェロモンが出ている証拠だった。
確かに普段から微量のフェロモンは出ているらしい。自分で自分のにおいはわからないので、もう大丈夫だという椎奈の言葉を信用して出社に踏み出したのだ。近くにいすぎて彼の感覚が麻痺してしまったのだろうか。
「悪いけど、番はいらないんだ」
「嘘でしょう。首に痕を残すのを許す人が特定の人を作らないなんて信じられない」
「藤巻さんのことが嫌いなわけじゃないよ」
「俺じゃ駄目なんですか?」
「……わからない」
その本気度は何パーセントか目に見えるのなら信用することが出来る。ずっと一緒にいてくれるのなら、喜んで番になりたい。そうすれば誰彼構わず誘うフェロモンは出さずに済むのだ。
そうして、愛されたい願望はある。
遊び半分ならいらないし、裏切られた時の反動は辛い。
だから慎重に。
慎重に選ばなければならない。
人は裏切るし離れていくものだとわかっている。いつか一人になるのなら初めから一人のほうが楽で、楽しかった記憶などいらないのだ。
遊びだと割り切って付き合っていた大学時代と社会人とでは根本的に違う。
「仕事が始まる。行こう」
この話題はおしまいだと強制的に切り上げて場を離れようとした玲也の腕が掴まれたかと思うと、強い力で思い切り抱きしめられた。 それは息のつまるような抱擁だった。
苦しくて切なくなる。胸の奥がざわめいて見えない愛情がいくつも散りばめられているのが明滅していた。
別の部署の人間が見て見ぬ振りをして通り過ぎて行く。
見ない振りが出来たらどんなに楽だったろう。感じる心も甘い言葉で揺さぶられる感覚も、口から発する単語一つとっても選ぶのはとても難しい。
気が付けば目から涙がホロリとこぼれていた。藤巻の肩に顔を隠してシャツを涙で濡らしてしまう。一度こぼれた涙は止まらずに、閉ざした言葉の代わりに流れ続けていた。
「すみません、泣かせるつもりはなかったんです」
「……誰が好き好んで、独り身でいるか」
「時津さん――」
「愛されたい、愛されたいんだよ。でも、信用出来なくて……そんな自分が嫌でどうしようもないんだ」
涙と一緒に零れた本音は本来なら閉ざすものだった。言ったところでどうしようもない。
愛されたいのに愛を拒むなどといった相反する感情を理解してもらう必要はなかった。どうせ彼も遊び相手が欲しいだけの一人だ。
そう、勝手に決めつけている。
相手の気持ちなど理解していないと言われればそれまでのことだが、今までも同じことがあった。
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