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第34話
あんなに堂々としていられたら彼が相手だと断言出来ただろう。
だが、それが出来なかった。
情けない。
わざと避けるように食堂へは行かずに外の森林公園の木陰のベンチで食事を摂ってから職場へと戻った。なるべく彼らの方を見ないようにして帰る時間もずらして別々の電車に乗って自宅へ帰宅した。翌日も早めに出社して合わないようにする。そうすることで少しずつあの時の光景を忘れようとしている自分がいた。
だが、藤巻と触れ合えない時間が増える程耐えられない感覚に陥ってき始め、苦しい胸の鼓動を抑えながら平静を装って廊下を歩いていると声が聞こえてきた。
誰しもが虜(とりこ)になるような軽やかな甘い声。姫宮だ。
「私を選んでください」
「もう番の相手がいるんだ」
藤巻の声もする。
「それでも良いんです」
「乗り換える気はないよ」
それだけ聞けば十分だった。藤巻は自分のことを大事にしてくれている。そう思うと胸の内が熱くなってきて幸せな気分が戻ってきた。
今日は一緒に過ごしても良いかもしれない。
そう思って仕事に戻った。昼食の時間になって食堂に行くと藤巻は一人で定食の盆をテーブルに置いているところだった。今まで一人で玲也が来るのをずっと待っていてくれたのだろうか。
そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。その向かいの席に弁当の包みを置くと、藤巻が顔を上げた。
「玲也さん、久しぶり」
「言っておくけど、この間のエレベーターのことは忘れてないから」
「嫉妬するくらい好きでいて良いですよ。何も言われるようなことはしていないから」
「そう」
藤巻にその気がなくとも、姫宮は相当気にいっているようだから油断は出来ない。しかし、藤巻が壁に彼女を押し付けていたのは気になる。一体あれは何だったのだろう。
何も言われるようなことはしていないという彼の言葉を信じても良いが、気になるものは気になる。
「なあ、この間の」
「この間のことなら本当に何もないから、これ以上聞かないでください」
「――」
そう言われてしまえば先に続ける言葉は見付からなかった。
何かを隠している。
そんな気がする。
だが、ここで気を揉んでいても仕方がないので何も聞かないのが賢明だと判断して口をつぐんだ。
人間関係などジェンガのようにとても危うい基盤の上に成り立っているのと同じなのだとわかっている。グラグラと不安定で一つ抜くたびに肝を冷やす。
だから聞かない。
折角掴んだ番という一生ものの関係性を崩してしまうわけにはいかない。もう二度と手に入れられないものなのだとわかっているから。
テストの成績や仕事の業績のように何度も繰り返し予行練習をしてから挑むようなものとは全く次元が違うのだ。
一生に一度しか手に入れることの出来ない貴重な相手をこんなことで手放すわけにはいかないし、取られたくない。
そんな決意をしている玲也に藤巻から声がかかる。
「この後、どこでもいいですけど、少しだけ時間もらえませんか?」
「いいよ」
「ありがとうございます」
食事を済ませてロッカーに荷物を置き、鍵のかかる小部屋がずらりと並ぶ内の一つへと入った。会議などで使われることが多いが、あらかじめ予約札がかかるため、何も表示されていない部屋は仮眠で使われることもある。
しん、と静けさだけがそこに停滞していた。その静けさの中で、どくどくと胸の鼓動が高鳴っているのがわかった。
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