「アレス、ここにいた！」 　ローブを着たまま、フードだけ外しているレリエルが、アレスを指差した。 　その後ろには、水色のふりふりメイドドレスを着たメイドがいた。手には盆を持ち、液体を満たしたグラスを載せている。大きな黒目が印象的な童顔で、髪の毛は派手なピンク色ツインテールだ。 「なんで逃げるんですか、お客様あー！？」 　レリエルはアレスの背中に隠れた。 「こ……こいつが変なの飲ませようとするっ！」 「変なの？」 「ノックくらいしてくんねえかなあ、シールラちゃん。いやそれよりお辞儀だ。お辞儀をしなさい」 　キュディアスが神妙な顔つきで言った。 「あ、皆さんお揃いでこんにちわ！乱入失礼します！お辞儀了解です！」 　シールラと呼ばれたメイドはお盆を片手で肩の当たりに持ち上げながら、ドレスの裾をつまんで脚をクロスさせ、ひざを軽く曲げた。 　すると短いスカートの下、艶かしい足が惜しげも無く晒される。透ける素材の白ソックスと、太ももを伝うガーターベルト。 　 「うむ！今日も良い美脚だ！つくづく、男にしておくのは惜しいなぁ」 　キュディアスは満足げにうなずいた。シールラはピンク髪ツインテールを左ゆびでくるりと巻き取りながらウィンクし、 「もお、男じゃないですよぉ～！シールラはちょっとド貧乳でおチンチンついてるだけの、普通の女の子ですぅ！」　 「は、はは……」 　毎日見ている光景とは言え、アレスは引き気味に笑った。 　レリエルはアレスの背中に隠れ、珍獣あるいは猛獣を見るような不安げな表情でシールラをのぞいている。 「っていうかあ！このお客様がお飲み物を断固拒否するんですぅ！シールラの特製ミックス☆ジュースなのにい！」 　想定外の剛腕で、シールラはアレスを横に押しやった。 「おわっと……」 　アレスがよろめく。詰め寄るシールラにレリエルはのけぞった。 「い……いやだ……！」 　盾をなくしたレリエルはおののきながら後ずさり、どん、と背中を壁にぶつけた。 　シールラが迫り来る。愛くるしい目鼻立ちにまったくそぐわない謎の迫力で、 「勇気がいるのは最初だけ、はい、あーんってしてくださいっ！お口の中にたっぷり注ぎ込んであげますからあ！お口に入れたらぜーんぶ、ごっくんするんですよおおお！」 　レリエルは涙目になる。 「なんだよそれ、毒か！？変な薬か！？」 　アレスが吹き出した。 「どっちでもないよ、ただの果物の汁だ」 「果物！？」 　レリエルが拍子抜けしたように言った。シールラがにっこりする。 「そう、汁です！たわわな果実を揉みしだいて好き放題蹂躙してめちゃくちゃのぐちゃぐちゃにしてほとばしらせた、とろっとろの甘美なお汁のことです！」 「シールラちゃんは今日も詩人だなあ」 　キュディアスが感心したように腕を組み、思わずアレスが突っ込みを入れた。 「団長、一度も詩を読んだことありませんね！？」 「ど、毒じゃなかったのか……」 　少し気恥ずかしそうにするレリエル。アレスは笑う。 「そんな心配なら俺が毒味してやるよ」 　シールラの盆からグラスを受け取り、一口飲んだ。そのグラスをレリエルに差し出す。 「ほら、平気だろ」 「なんだ、飲めっていうのか？」 　レリエルはあひるのように唇を突き出した。 「別に、どうしても不安なら飲まなくてもいい。無理強いなんてしねえよ」 　アレスは爽やかな笑顔で、気を利かせて優しいことを言った……つもりである。 　しかしレリエルは、 「お前が口つけたやつなんて汚い……」 「そこかよ！」 「い、いいよ、飲んでやる、貸せ！」 　レリエルはアレスの手からグラスを奪い取った。目をつぶって口をつけグラスを傾けた。ごくりと飲み込む。 　ジュースを飲んだレリエルは、目をぱちくりさせて、グラスを見つめた。 「……おいしい」 「ですよねですよねー！？シールラの特製ジュース大評判なんですう！」 「ふ、ふうん……」 　ふと思いついてアレスが尋ねた。 「そういえば天使って何食べて生きてるんだ？人間の肉とか言うなよ？」 　レリエルがきっとアレスを睨んだ。 「気持ち悪いこと言うな、そんなわけないだろう！天使が食べるのは、果物とか花の蜜とか……」 「わあ、天使さんて乙女ちっくヘルシーですう！」 　シールラが盆を抱きしめてうっとりと言った。 　が、一瞬後に首をかしげた。 「天使……？」 　ごほん、とキュディアスが咳払いした。 「こいつが例の天使ってことだな」 「はい、名前はレリエルです」 「本当に天使なのか？ただの世間知らずなお坊ちゃんみたいに見えるが」 　レリエルはムッとした顔になる。 「お坊ちゃんだと？僕は高次生命体、天使！いいだろう、見せてやる！」 　言うなりローブを脱ぎ捨てた。後ろを向き、その背中を誇示した。 　キュディアスとシールラは、息を飲んでレリエルの背中から生える羽を見た。 　こんな間近で、天使の羽を目の当たりにするのは初めてだろう。 　髭の団長と女装メイドは、同時に叫んだ。 「「ちっさ！！」」 　レリエルは顔を真っ赤にする。 「だ、黙れ！小さくても羽は羽だ！お前たちなんて羽が生えてないじゃないか！僕は羽が生えてるんだ！生えてないお前たちより、ずっとずっと高次の生命体なんだ！」 「まあまあ、坊ちゃんが天使だってことは分かった。坊ちゃんはアレスと一緒に戦ってくれる気はあるか？」 「一緒に戦う……？」 　レリエルは問いかけるようにアレスを見た。アレスはうなずく。 「ただ共闘するだけだ。難しいことは考えるな。レリエルの敵は、レリエルを狙う存在。それだけでいい。死霊傀儡は今の俺たちの共通の敵だろ」 「お前たちの組織に所属するつもりはないぞ」 「分かってる」 　レリエルは考えるように自分の顎(あご)をつまんだ。しばらく黙ってから、納得したように首を縦に振った。 「……まあ、いい。敵の敵は味方、共闘か。とりあえず一緒に戦ってやるよ。一人で死霊傀儡と戦うよりは、効率が良いからな」 　そこに荒々しいノックの音があった。騎士服を着た男が扉を開けて敬礼をする。その腕には黄色の腕章がはめられていた。黄色は帝国領内の警備・警察業務を担当する、第三騎士団の色である。 「失礼いたします、キュディアス第四騎士団長！」 「おう、どうした？」 「帝都の珍獣園に、悪霊に似た見たことも無い化け物が出現し、暴れております！」 「なんと……」 「報告を受けて駆けつけた、我が第三騎士団が神霊剣で応戦しておりますが、倒せず苦戦しております！第四騎士団の救援をお願いに参りました！」 　アレスが叫んだ。 「死霊傀儡か！」 　キュディアスはにやりとする。 「そいつの正体は分かっている。すぐに援軍に向かおう」 「ありがとうございます！失礼いたします！」 　黄色の腕章をつけた騎士が足早に部屋を去る。 　キュディアスの野太い号令がかかった。 「さあ、さっそく仕事だ！どうせお前らを探してるんだろう、責任とってこい！」 　アレスは敬礼をした。 「かしこまりました！」 「……坊ちゃんもな、頼んだぞ」 「ふん、頼まれなくても戦うさ。ここまで来たら、生き残ってやる！」 「きゃーかっこいいしびれますう！頑張ってくださあい！」 　シールラが緊張感のない声援を送った。ぴょんぴょん飛びはねて短いスカートをひらひらと揺らしながら。