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第53話 キリア大聖堂(6) 女神の怒り
最前線を一任されたミークは、目の前の巨大な化け物に対峙し……冷血上司への罵詈雑言を、頭の中で駆け巡らせていた。
(ヒルデ様信じられない、なんて冷たい鬼畜冷血漢!憧れの天才魔術師がこんなひどい人だったなんて!)
聖なる鉄槌 は打ったら勝手に動いてくれるわけではなく、術者がそれを操作する必要があった。
先ほど凍結が解けて復活した死霊傀儡は今、ハンマーを潰そうと奮闘していた。こっちをパンと叩き逃げられ、そっちをパンと叩き逃げられ。
ちょうど人間が蚊を潰そうとする様子とそっくりだった。
死霊傀儡はすっかりハンマーに気を取られ、アレスとレリエルの存在すら、今は忘れているようだ。
ミークはハンマーを操作して、ハンマーを死霊傀儡の魔の手(まさに魔の手)から逃げさせまくっていた。
ひょいと避けては死霊傀儡の頭をボコッと叩き、ひょいと避けてはお尻をペシッと叩き、ひたすら死霊傀儡を苛立たせた。
ハンマーを操作しながら頭の中はヒルデへの悪口でいっぱいだった。
(ヒルデ様は感じ悪いし人使い荒いし感じ悪いし、そんなだからメイドさんたちの「城男子人気ランキング二十代部門」で毎回ぶっちぎりワースト1らしいじゃないですか!体張れとか新人に言うことですか!?実戦初めてですよ俺!魔法学校卒業したばっかですよ!『ここは俺に任せて下がっていろ』とかかっこよく言うのが普通じゃないすか!?……まあ戦ってる姿は無茶苦茶かっこよかったけど……)
「モジガシデ……コレ、オマエ殺せバ消エル……?」
「ふへっ!?」
突然話しかけられて、ミークの思考が中断する。
死霊傀儡が、赤い目でじっとミークを見つめていた。
「オマエ……殺せバ……」
うっとおしい憎きハンマーを操作してるのがミークで、術者であるミークを殺せばハンマーがなくなる、という事にやっと気づいたようだ。
ミークはおののきながら、首をふるふると横に振った。
「ち、ちが、ちがいますよお、何言ってんすかあ、そんなわけないじゃないですかああーーーー」
死霊傀儡の赤い目が、三角になる。
「オマエ!うソヅギーーーーーー!!!」
死霊傀儡が、仁王立ちして両腕をあげた。
まさに、威嚇する熊のごとし。
(死ぬ)
と思ったミークは、本能のままにその言葉を叫んだ
「母さああああああああん!!」
※※※
ヒルデはこれで意外に、信心深い男だった。
故にヒルデは実は、今非常に、怒っていた。
聖なる神儀が穢 されたことに。
聖なる神殿が破壊されたことに。
実はかなり、立腹していた。
過去に帝国騎士団が、紛争中だった異教国の神殿や神像を意図的に破壊したことがあった。
「蛮族に絶望を与えて士気を削ぐ為」に。
宮廷魔術師長という立場ながらあまり政治に口出ししないタイプのヒルデだったが、この時ばかりはその計画を立案した宰相のジールに大いに文句を言った。
たとえ異民族の異教神だろうと、たとえ紛争中の相手であろうと……。
それでも相手の、信仰だけは汚すな、と。
それがヒルデの信念だった。
この世には、絶対にやってはならないことがある。
「化け物だからって許されると思うなよ……?」
アレスに言われて気がついた。
今日、この場所で行うことで絶大な威力を発揮するだろう魔法がある。
豊穣の女神、デメティスの神威を借りるのだ。
ヒルデは手を合わせ目をつぶり、低く厳かな声で詠唱を始める。
「——我が呼ばうは輝く豊穣のデメティス。種子と穂とあらゆる実りの授け手なり」
ヒルデの体が、輝きだした。
麦穂を思わせる、黄金の光がヒルデの体を中心として周囲に照射される。
「巡る季節の黄昏に、来るべき再生の大地の御為に、全ての者に清浄なるかりそめの死を、与えたもう」
ヒルデの周囲の体感温度が、一挙に下がる。
空気中の水蒸気が氷結し、日光に反射して煌 めき始める。
ダイヤモンドダスト現象だ。
詠唱を終えたヒルデは目を開け、両腕を広げ、術名を唱えた。
「――冬の臥榻 」
※※※
巨大な死霊傀儡が、振り上げた両腕をミークにむかって振り下ろそうとしていた。
「うああああ!母さん父さん兄ちゃん姉ちゃん、うわああああ」
レリエルが叫んだ。
「まずい、あいつやられるぞ!」
アレスは拳を握り締める。
「くっ、仕方ない魔法で援護を!」
「で、でもチャンスは一回だけで、一瞬を逃しちゃ駄目なんだろ!?」
と、その時。ヒルデが術名を唱える声が、その深遠から届けられたような威厳のある声が、円の神殿中に響き渡った。
「――冬の臥榻 」
その瞬間、円の神殿にいる全員の脳裏に、女神の姿が映し出された。
黄金色の麦畑の中にたたずむ、豊穣の女神。
その女神の顔は、怒りと悲しみに染まっている。
女神はその手の内から何かを大地に放った。
冬の冷気だった。
麦畑は枯れ、森は雪に閉ざされ、川は氷つき、全ての生き物が死の季節を迎える……。
そこで、その幻覚は途切れた。
※※※
白昼夢から覚めて、ミークははっと我に返る。
寒い。まるで極寒の地だ。
そして目の前、ミークに襲い掛からんと両腕を振り上げた状態で、死霊傀儡が固まってしまっていた。
その巨体が身じろぎひとつせず、銅像のように停止している。
アレスとレリエルが術名を叫ぶ声が響いた。
「大破魂 、連撃!」
「傀儡魂 破壊、連打!」
空間を震わす強烈な思念波が乱れ打ちされる。透明な球体が次々と死霊傀儡に降り注ぐ。
ミークは思念派の圧に身をすくめ、思わず両腕で自分の頭をかばった。
「うっ……くっ……、これは神聖魔法?こんな重い魔法、初めて見たっ……!」
と、銅像のように硬直していた巨大な死霊傀儡が突然、破裂した。
ミークは目を見開き、目の前で炸裂するド派手な黒い花火を見つめる。
巨大な闇色の体の全てが粉々に砕け散り、四方八方に飛び散った。
死霊傀儡の肉片は、そのまま黒い煙となって消えて行く。
ミークは呆然とつぶやいた。
「凄すぎる……です……」
「うっしゃあああーーーーー!」
アレスの勝利の雄叫びが響き渡った。
気づけば凍えそうな冷気の中、輝くダイヤモンドダストが瓦礫と化した円の神殿中に降り注いでいた。
「これ、氷結魔法……?」
空を見上げてひとりごちたミークのすぐ隣で、ヒルデが否定した。
「違う」
「うわ、ヒルデ様いつの間に隣に!心臓にわるっ!」
「これは冬眠の術。氷の精霊ではなく、デメティス神の力を借りた。凍らせたのではなく、眠らせて活動停止させたのだ。デメティス神は神事を穢され神殿を破壊され大変怒っておられたから、強烈な威力を発動できた。おかげで一瞬だったが、共生微生物の活動停止にも成功した。今、この場でなければ、これ程の威力は出なかっただろう」
ミークは感動したように両方の拳を握りしめた。
「冬眠の術!なるほど、熊だから冬眠させたんですね!」
「熊だからではない。というか熊ではない」
「キョーセイビセイブツ、それは一体……?」
とミークが腕を組んだ時。
アレスが駆け寄りながら、歓喜の声を上げた。
「サンキュー、ヒルデ!つぶつぶが一瞬、ぽろぽろ落ちたよ!あのうっとおしいつぶつぶが、一瞬停止した!やっぱお前、すっげえなあー!!」
「は!?つぶつぶ!?」
素っ頓狂な声を出すミークの傍ら、ヒルデがふんと鼻を鳴らした。
「全部、貴様の策だろう。まったく貴様というやつは、馬鹿威力だけじゃなくセンスまであると来ている」
ミークがきょとんとしながらも、大きく息をついた
「よ、よく分からないですが、倒せて良かったです!」
ちらり、とヒルデはミークを見た。
「……よくやった。お前は見事に死霊傀儡を翻弄した。さすが俺の見込んだ新人だ。今日、お前を連れてきてよかった」
「えっ……」
ミークが口をぽかんと開けて固まる。その顔色が、みるみる耳まで赤く染まった。
「うあっ、あっ、ありがとうございますっ!憧れてたヒルデ様にお褒めの言葉をいただけるなんて!なんか俺、俺、今すごい、胸がキュンってしちゃいました!やっぱり本物は想像以上に素敵でした!」
「……」
ヒルデの無言が返ってきた。
「あ、あれ?どうしました?」
フードの奥を覗くと、ヒルデは明らかにうろたえた表情をしていた。そんなことを言われるとは思ってなかった、という顔。
(これ、まさか、照れてるんじゃ……)
ヒルデはフードを前に引っ張り、目深にかぶった。低い声で言う。
「気持ち悪い言葉を使うと、クビにする」
「ええっ!?どの言葉ですか気持ち悪いって!」
「全部だ」
「あ、あの、もしかして照れてませんかヒルデ様?」
「本当にクビだお前は!お前みたいな頭のおかしい部下は初めてだ!」
「そんなぁー!クビだけはどうかご勘弁をーー!」
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