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第54話 キリア大聖堂(7) 帰れぬ故郷
キリア大聖堂は野外にあるいくつかの神殿と、壮麗な大建築である大聖堂から成る宗教施設だ。
円の神殿での戦闘を終えたアレスたちは、今、大聖堂の中にいた。
高い丸天井には神々の絵が描かれ、壁を覆い尽くす華麗な大ステンドグラス群は圧巻の一言。内部は常に、神秘的な光で満たされていた。
この大聖堂の祭壇前、ヒルデが大司祭ニコリスに事の次第の報告をしていた。
ヒルデは大司祭に深々と頭を下げた。隣にいるミークも一緒になって頭を下げる。
「我々の力及ばず、聖なる神殿があの様な事になってしまい、誠に申し訳ありません」
白髪のニコリスは感服した様に目を潤ませると、微笑みながら首を振った。
「あなたはなんと清廉な方なのでしょう、ヒルデ様。どうか|面《おもて》をおあげください。あなた方の命掛けの戦いのおかげで、誰一人犠牲者が出なかったのです。これぞ神の奇跡です。あの様な怪物をよくぞ駆除してくださいました。本当になんとお礼を申し上げたらいいのか」
「そう言っていただけると救われますが……。私の方からも国に掛け合い、神殿再建の予算を早急につけさせますので、どうかご容赦いただければ幸いです」
「そこまでお心を砕いていただけて、御礼の言葉すら見つかりません。我が国は本当に素晴らしい方を宮廷魔術師長に戴いています。さあお疲れでしょう、どうか休憩室においでください。お茶とケーキをいかがですか。そちらの騎士様や魔術師様がたも、ぜひ」
ミークの目がキランと光る。
「よろしいのですか!?ありがたくいただきます!」
「ははは、どうぞどうぞ」
一方、ヒルデは後方を見やると……、顔を引きつらせた。
「あのバカども……。あ、いや、あっちにいる騎士と魔術師の二人は置いていきましょう」
「え?よろしいのですか?」
「全然構いません、さあ行きましょう」
※※※
ヒルデと大司祭が真面目な話をしていたかたわらで、レリエルはお上りさん観光客のごとく、大聖堂内をきょろきょろフラフラ、しまくっていた。
その後ろからアレスが心配そうにぴったりくっついていく。
「な、なあレリエル、お前も一応、宮廷魔術師って設定なんだからさ、大司祭様に挨拶の一つも……」
だがレリエルは大聖堂の内部にすっかり興奮している様子で、聞いてない。
「この石の人形なんだ?羽が生えている!天使か?」
アレスは頭をかく。
「こっちが本物の『天使』だからな、言っておくが。自称天使の侵略者たちとは別物だ」
「なんで赤ん坊なんだ?」
「なんでって言われても、天使つったら赤ちゃんじゃないか。それは愛の天使ピートーだよ、で天使を抱えてるのは美の女神アロディアーテで二人は母と子で」
「へえ」
と言いながら、レリエルが母子像に手を伸ばすので慌てて静止した。
「触っちゃダメだって!」
「なんだよ、いいじゃないかちょっとくらい」
レリエルは口を尖らせるが、巨大ステンドグラスを見上げて目を輝かせた。
「この色のついた窓、とても綺麗だ。天使の建物にも似たようなのあるぞ」
「ステンドグラスか」
「大きいな」
「キリア大聖堂のステンドグラスは世界最大の面積を誇るステンドグラスの最高芸術と言われているからな。デザインしたのは偉大な魔術芸術家、鬼才マルクトリウスで、朝昼晩、さらには季節によって図柄が変化し……って俺、なんかさっきからレリエル専属観光ガイドみたいになってるような……」
「んー、でも上の方の絵がよく見えないな。ちょっと飛んで見てきていいか?近くで見てみたい」
「ダメに決まってるだろ!?大司祭様だってミークさんだっているのに……」
と祭壇の方を見て、誰もいないことに気づく。
「うわヒルデたちがいねえ!置いてかれてるじゃないかー!」
レリエルはフードを外すと、大きく息を吸い込み、両腕を広げ、ステンドグラスから差し込む聖なる光を全身で受け止めた。
光の中、踊るようにくるくると回る。
「人間の建物のくせになかなかいい、ここは!僕、ここが気に入った!ちょっとだけ、神域の中の綺麗な空間に似てる」
降り注ぐ聖なる光の中、レリエルの髪と瞳が美しく煌めく。
その姿はまるで、光を呼吸すると言われる光の精霊のようで、アレスは束の間、見惚れてしまう。
「そ、そっか、ここの神聖な空気、レリエルにも分かるのか」
「そりゃあ分かる!これはプラーナって言うんだ」
レリエルが口にした単語にアレスは大きく反応した。
「プラーナ、前も言っていたな!天界や神域を満たしている、天使の生存に絶対に必要なもの!そうか、これのことだったのか!俺たちはこう言う空気を、|神気《シンキ》って呼ぶんだ。地上には聖なる場所、|神気《シンキ》に溢れる|神気《シンキ》スポットがいくつかあって、神殿や聖堂は、そう言う場所に建てられるんだ……」
そこでふっ、とアレスは言葉を切った。
その顔に、急に深い闇がさす。
何かに気づいた様に、アレスはポツリポツリと語る。
「……カブリア王国は、世界で最も|神気《シンキ》の強い場所と言われていた。あそこは聖なる地なんだ。だから魔力の強い人間がたくさん生まれて……」
(そうか、だから天使はカブリア王国を狙ったのか。カブリアの|神気《シンキ》に目をつけて)
そんな理由でカブリアが征服の地に選ばれ、蹂躙されたというのか。
誇るべき祖国。愛すべき故郷。
おぞましい死の霧に覆われてしまった、聖なるふるさと……。
地獄の六日間の惨劇の記憶が、脳裏に次々と展開され、アレスは口を覆った。
悲鳴、死体、天使。情け容赦ない殺戮。
吐き気を催す、大虐殺だった。
忘れられるわけもない。
「クソっ……」
アレスは拳をぐっと握りしめた。
つと、その拳を触れられはっとする。
いつの間にかレリエルが目の前にいて、アレスの拳に手を添え、見上げていた。不安そうな顔で。
「どうしたんだ?すごく怖い顔、してる」
アレスの拳が小刻みに震えはじめた。搾り出すような言葉がその口から発せられる。
「俺は……天使から逃げ遅れた人たちの救助に当たってたんだ。死の霧が生成されたあの日も。|民《たみ》を馬車に乗せて、王国を脱出しようとした。……全部、骨になってしまった。俺の体一つ放り出されて。友も、助けたはずの人もみんな……!」
レリエルはうつむいた。添えていた手をそっと離す。
やっと聞き取れるくらいの小さな声で聞いた。
「天使に復讐したいか?」
「復讐……?」
その単語の不穏な響きに、アレスはたじろぐ。
自分が目指しているものは「復讐」なのだろうか。「正義」ではなく。
「わからない……そうかもしれない。でも、俺のこの気持ちの呼び名なんてどうでもいい。好きな言葉で呼べばいい。ただな、レリエル、一つ確かなことがある……」
目の裏を去来する、あの惨劇。
理由無く殺された五十万の命。
アレスはレリエルの両肩をぐっと掴んだ。そしてその不安げに揺らぐ瞳をまっすぐに見据えた。
「あんなことは、許されない」
「!」
レリエルの揺らいでいた瞳が、一点で固まり見開いた。
「天使はあんなことを繰り返し続ける気か?殺し続け、奪い続けるのか?それは、許されないことだ。俺だけが死の霧から抜け出し生き残った、俺だけが天使と戦う力がある。だから俺が、やらなきゃいけないんだ!俺が天使を許さない!」
そこでアレスは言葉を切った。感情の昂りを落ち着けるかのように一呼吸し、
「なあレリエル、天使はカブリアで……霧のドームの中で、何をしている?これから、何をする?」
「だから、それは……」
「あいつらはまた、人を殺すのか?またどこかの国を襲って、死の霧に沈めるのか?カブリアと同じように」
「……」
レリエルは口をつぐむ。苦しげに。
「答えられない、か?」
「すまない、僕は……」
レリエルが目をそらし、アレスは瞼を閉じた。深く息を吐いた。
「いいさ、何も言わなくても。下っ端でしかも逃亡中のお前を責めても、仕方ないよな。天使にもボスがいるんだろう?イヴァルトよりもっとずっと偉いやつがさ。俺はいつか、そのボスとカタをつけようじゃないか」
そのとき、ギイと大聖堂の扉が開く音がした。
はっとして振り向くと、聖堂に勤める神職の女性が入ってきた。
女性はアレスたちを見て、驚いた声をあげる。
「あら!?トラエスト城の皆さんですよね。つい先ほど、お連れのお二方は休憩室の方に行かれましたが」
あっ、とアレスは気まずそうに、ぺこりと頭を下げた。
「そ、そうですか、長居してすみません」
女性は親切そうに微笑んだ。
「いえ、好きなだけいて下さっても結構ですよ、当聖堂は旅の方をお泊めする宿も併設しております。心を尽くして最大のおもてなしをいたします」
「いえいえ、そんな!お気持ちありがとうございます!」
アレスは恐縮して頭を振り、レリエルを伴ってキリア大聖堂を後にした。
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