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第71話 小さい羽
傀儡工房への襲撃から五日がたった。
アレスはこの五日間、不安を心の隅に抱えていた。
一つはレリエルの「滅ぼす」という言葉。
とんでもない情報だ。天使は人類を滅ぼそうとしているのか。もしそうだとしたら、もはや奪われた王国の奪還という次元の話ではない。事態はとてつもない緊急性を帯びたと言っていい。
もう一つはジールに言われた死霊傀儡への懸念。
もう工房は壊滅させたから大丈夫なはず、と言う気持ちと同時に、本当に材料はあれだけなのか、という疑念が拭えなかった。
とはいえここ五日、死霊傀儡は現れていない。
城の訓練場での休憩の合間に、アレスはレリエルに話しかける。
「そういえば、あの……林の中で居眠りしていたレリエルの同僚。レリエルが俺と一緒にいるって知らなかったみたいだな」
「ああ、偵察に行ってるって思っていたみたいだ。それに、ミカエル様も僕とイヴァルト様の間にあったことを知らなかった」
なお、今いるのは第四騎士団が昔使っていた古い訓練場で、最近は全く使われていなかった場所だ。
アレスとレリエルが思う存分訓練できるように、とキュディアスが提供してくれて、二人が貸切で使わせてもらっている。
そのため、人目をはばからず会話することができた。
「情報共有がなされてなかったってことか」
「そうだな。どういうことなんだろう」
「なあもしかして、いままでの死霊傀儡は、イヴァルトが単独で送っていたんじゃないか?失敗を知られたくなくて、上には全て隠していた、なんてことは?」
「ありえるな。もしそうだとしたら……」
「だとしたら?」
レリエルは顎を抑えてつぶやく。
「イヴァルト様は、大変な罰を受けるはずだ」
「罰……」
その時、シールラの声が飛び込んできた。
「訓練中失礼します!レリエル様にお届けものですぅ!」
「え?僕?」
シールラはレリエルに茶色い紙の包みを手渡した。レリエルはその、とても軽くて柔らかい感触の荷物を受け取る。
「なんだ?」
「お洋服ですよお。はいこれハサミお貸しします。羽根、通すでしょお?」
「服?」
シールラは顔の前で祈るように両手を組んだ。
「ああシールラ、レリエルさんがこれ着てるとこ、とってもとっても見てみたかったですう!シールラ、ちゃーんと、レリエル様に似合う方をチョイスしておいたんですよ!でも今ちょっとお呼ばれしていて、鑑賞時間がありません残念ですう……。今度、ぜーったい、見せてくださいね!?」
「あ、ああ」
「失礼しまっす!」
お辞儀をしてシールラは去っていった。
アレスが思い出す。
「あー分かった。この間、サイズ測ってもらったろ?それは仕立て依頼してた、魔術師用の服だ。ローブの下に着る服だ。いつも古着屋で買った適当なの着てるだろ?それを着れば、魔力が上昇して魔法防御力も上がる。アラクネの糸の刺繍入りらしいからな。かなりすごいものだぞ。さすがだな帝国の宮廷魔術師は、全員そんなの支給してもらえるんだから」
アラクネというのは蜘蛛の魔物で、アラクネの糸を使えば衣服に魔術的効果を付加することができる。非常に希少価値の高い糸で、アラクネの糸入りの製品は超高級品だ。カブリア王国では下っ端の宮廷魔術師になど支給されなかった品だ。
「ああ、シールラに身体中を巻尺で測られたあれ、この為だったのか!くすぐったくて嫌だった」
「はは、そうだったのか。せっかくだし、着てみろよ」
「うん」
シールラから受け取ったものをを持って、レリエルは訓練場の隅の更衣室に入っていった。
着替えの間アレスは一人、訓練場で剣を振るった。
精神を統一させ、いくつかの魔剣技を繰り出してみた。
もっと強くならねばならない。これまでの戦いの経験を生かし、新しい技も開発中だった。
「着てみたけど、どうかな。おかしくないか?」
剣技に夢中になっていたアレスは、レリエルの声に振り向いた。
振り向いてその姿を見て、仰け反る。
下は黒の、丈が異様に短く肌にぴったりとした脚衣。太ももが丸出しで、尻の形がくっきり分かる。
上は深緑色の布一枚巻いて肩で二本の紐でぶら下げただけもの。
城の大浴場の水着よりも露出度が高い、裸同然の格好だ。
超短丈脚衣 と紐吊るしの肌着 。
超短丈脚衣 も紐吊るしの肌着 も、アラクネの糸と思われる白銀色の糸による刺繍が施されている。
それはいいが、なぜかハートマークの刺繍がされていた。紐吊るしの肌着 の裾をぐるりと小さなハートが取り囲んでいる。超短丈脚衣 のお尻の右側にもハートマーク。
ハートマークは最近帝都で流行中の模様だ。
「うっ……!」
「や、やっぱり変か?似合わないのか?」
レリエルが不安そうな顔をするので、アレスは慌てて首を振った。すらりとした細い足に形のいい尻。華奢な肩と薄い胸。全てが目に眩しかった。目を泳がせながら、
「あっ、いやいや、変じゃないぞ!」
「ならいいが、このズボン、ズボンじゃなくてパンツだよな?お前が買ってくれたパンツより小さいから直接履いたが」
「ちょ、直接……」
(無防備すぎるだろ!)
だがレリエルが勘違いするのも無理はない、下着にしか見えない。
もしかしたらローブが分厚くて保温性が高いので、中はうんと薄着のほうが都合が良いだろうか。動きやすさと着心地に配慮した結果なのかもしれない。あくまでローブの下に着るものなので。
しかし、ヒルデのローブの中身は、黒い長い脚衣に白い立ち襟の開襟シャツという、普通の出で立ちだった気がするのだが……。
そこでピンと来た。
シールラがさっき、『レリエル様に似合う方をチョイスしておいた』などと言っていなかったか。
「ま、待て、その服が入ってた袋、見せてくれ」
「あ?ああ」
レリエルはアレスに茶色の紙袋を差し出す。アレスは紙袋に書かれている文字を見て、やっぱりと思った。
「『女性用』って書いてある……!またかよあの人は、もう!」
アレスは眉間をつまむ。頭が痛かった。どこから突っ込めばいいのか。
レリエルに女性用を購入するシールラはおかしい。でもおかしいのはそこだけじゃない。
なんで女性用だけあからさまに露出度が高いのか。帝都の仕立て屋のセンスも相当おかしい。魔術師の装束をなんだと思ってるのか。しかも超希少価値のアラクネの糸製品を。
あとハートマークってなんだ。五芒星とか六芒星とかそれっぽい模様があるだろう。なんで流行を取り入れた。
(帝都キリア、なんたる退廃!カブリア王国の聖騎士たるもの、こんな堕落した都市には決して陥落しない!)
アレスが無言で額に青筋を立てているのを見て、レリエルが焦った声を出す。
「もしかして何か間違ってたのか?返品しなきゃか?どうしよう、羽通しの穴をもう空けてしまった、ほら」
「あ、空けちゃったのか……。いやいい、気にするな、なんでもない」
どうせローブの下に着るものだし、誰にも見られはしないだろう。見せてたまるか、だが。
アレスはやれやれとため息をつく。
レリエルが背中をアレスに見せて聞いてきた。
「ならいいけど、羽はちゃんと綺麗に通ってるか?」
「うん、大丈夫……」
紐吊るしの肌着 からぴょこんと突き出る小さな羽を見たら、アレスは思わず噴出してしまった。
「なんで笑うんだ!?」
「い、いや、リボンみたいだなって思って」
「なんだよ、馬鹿にしてるのか!?」
「まさか、可愛いって話だ」
「……」
一瞬の間を置き、レリエルが背中を向けたまま、小声でアレスに聞き返す。
「い、今……、なんて言った?服が……可愛いって言ったのか?」
「え?いや、この小さい羽のこと」
「な、なにを言って……」
アレスはレリエルの背中の愛らしい二枚羽を見ながら、前々からずっと思っていた、素朴な疑問をぶつけた。
「天使はなんで、こんな可愛い羽を醜いとか言うんだ?」
ドレスのリボンのような小さい羽。こっちのほうがよほど魅力的だと思うのだが。
アレスは羽を見ていた顔を上げた。
赤面したレリエルが、背中をよじって肩越しにこちらを見つめていた。
唇を噛み、目を潤ませて。
腕は自分を抱くように胸の下でクロスされ、縋るように紐吊るしの肌着 をぎゅっと握り締めている。
アレスはその尋常でない様子にびっくりした。
「れ、レリエル?」
「な、なんでもないっ」
レリエルはふいっと顔を正面に向けた。
「ご、ごめん!俺なんか悪いこと言ったのか!?」
「ち、違う……」
間があった。
広い訓練場がしん、と静かになる。
背中を向けたままのレリエルが、うつむきながらぼそりと言った。
「……ありがとう」
「えっ!?なにがだ!?」
「小さい羽、可愛いって……言ってくれて……」
嗚咽まじりの、途切れ途切れの声。
(レリエル、泣いて……)
なんだ、そんなことだったのか。
たったそれだけのことで、この少年は泣くのか。
この涙の裏にあるだろう、これまでのレリエルの苦しみを思うと心が締め付けられた。
「ああ、うん、本当のことだ。レリエルの羽は……、いや羽だけじゃなくて、お前は全部……」
レリエルはどんな顔をしているんだろう。
アレスはそっと、滑らかな肌を晒す肩に手を伸ばして、こちらに向かせた。
顔を見られたレリエルが、あわあわとアレスを見上げた。
その頬は涙で濡れそぼっていた。
「わわっ、だ、だめっ」
不意打ちを食らって慌ててる、無防備な困り顔。
アレスは言葉を繋げた。
「全部、可愛い」
「っ~~~~~~~!」
レリエルは顔を真っ赤にする
アレスはレリエルを抱き寄せた。腕の中に、その華奢な体を抱きすくめる。自らの心臓にレリエルの頭を押し付け、その髪に己の顔をうずめる。
「俺はお前の羽が好きだ。俺が綺麗で可愛いと思えるのは、レリエルのこの小さな羽だけだ。俺はこの羽じゃなきゃ嫌だ」
レリエルがアレスの服をキュッと握った。泣きながら震え声を出す
「うっ……生まれて初めて……小さい羽で良かったって思った……!」
アレスは微笑み、レリエルの髪を撫で付け、こめかみや額に優しいキスを落とす。
「何度でも言ってやる。レリエルもレリエルの羽も、世界で一番可愛い。俺が保証する……」
「アレス……」
アレスの啄ばむようなキスに、レリエルはくすぐったそうに微笑んだ。とてもとても、幸福そうに。
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