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第2話
彼のことが好きだと気がついてから、千晃 は彼の元へ通うのを少し控えた。急に恥ずかしくなったのもあるが、これ以上好きになるのを避けるためでもあった。教師と生徒など、ろくな結末にならないのは目に見えていたからだ。
それでも、好きな気持ちは抑えられなかった。授業外に会いに行く度に浮き足立ったし、彼に会えた日は一日中嬉しくて堪らなかった。授業中は至福のひとときとも呼べる時間で、ずっと彼の顔を眺めていたら当てられたことに気がつかなくて、小言を言われたこともあった。そんなことでさえ、千晃には嬉しかった。
だから、彼がヒートの間はとにかく暇で仕方がなかった。今回は週の半ばからだったので、そのまま土日に入る日程になってしまった。その間、一度も彼に会えないのだ。友達にも「千晃、テンション低くね?」と言われるほど、気分が落ちていた。
その週の土曜日。姉の言いつけで街中まで買い物に行かされた千晃は、帰り道に何か覚えのある感覚に襲われて足を止めた。辺りを見回すと、建物と建物の間の辺りから、妙な匂いがすることに気づいた。あの独特な、甘い香りだ。
(ヒートになってる人がいる……!)
幸い、周囲に様子のおかしい人物はいない。何でもない振りをして近づき、サッと路地裏に入り込む。言われた通り、常備していた抑制剤を即座に口の中へ放り込んだ。少し進むと、奥の方に蹲る人影が見えた。
「大丈夫ですか」
千晃が声を掛けると、途端にドサリと地面へ倒れ込む。そのままピクリとも動かなくなった。
「えっ、ちょっと、しっかり……!」
動揺して体を起こそうと近づくと、乱れた髪の間から薄く目を開けてこちらを覗き込んでいる男と目が合った。それは――
「……御園 、先生?」
苦しそうに肩で息をしながら、険しい目で千晃を見ているその顔は、どう見ても御園だった。私服姿で髪型も違うので分かりづらいが、千晃が見間違えるはずがない。
「先生、なんでここに、ていうかヒートはもう終わるんじゃ」
計算が正しければ、今日で発情期は四日目のはずだ。完全にではないが、終わりがけなのは間違いないはずで、どうしてここまで酷い状態になっているのかが分からなかった。
「……近づくな」
「大丈夫、ちゃんと薬は飲んでるよ」
「そうじゃない……」
千晃が近づくと、動けない彼に声だけで威嚇される。構わず距離を詰めると、初めて彼が怒ったような声色になった。
「来るなと言ってるだろう」
「っ」
鋭い口調に思わず竦む。は、と息を零した彼が、苦しそうに瞼を閉じた。
「薬が効いてないんだ……そこから動かないで、タクシーを呼んでくれ」
タクシーというのは、オメガを移送する専用タクシーのことだ。街中で急に発情期に入ってしまった人や、不運にも襲われてしまった人を病院や警察へ移動させるときに、無償で使うことができる。とりあえず従うことにして、スマホを鞄から取り出す。コールの間、彼の忙しい息遣いが耳について落ち着かなかった。
「5分で来るって」
「…………すまない」
「なんで先生が謝るの。何も悪いことしてないでしょ」
「………………」
何か言いたげに御園が口を動かして、結局何も言わずにただ息を吐いた。弱々しい彼の姿を見て、何か話すべきかと口を開く。
「ねえ、先生。俺、今度はちゃんと間違えなかったよ」
間違って、彼を犯しかけた日のことを思い出す。あの時は御園が止めてくれたから、間違いを犯さずに済んだ。そして今度は、千晃が自分自身で間違えることを未然に防いだ。自分でも成長していると思う。
「先生のお陰で、俺、間違えなくて済むようになったよ」
それは彼が教えてくれたからだ。体を張って、千晃を教育してくれた。彼の教えが無かったら、今の彼を助けることはきっと出来ていないだろう。
「……教師冥利に、尽きるな」
御園は諦めたようにそう言って、力無く笑った。吐息に艶が混じっていて、思わずドギマギしてしまう。
「先生、俺……ここにいない方がいい?」
アルファの千晃が傍にいた方が、御園にとっては辛いかもしれない。そう考えて出た言葉だったが、御園は何かを吹っ切るように緩く首を振った。
「いてくれ」
甘い響きだった。勘違いしそうになって、拳を握り込んで手のひらに爪を立てる。今は、ヒートでおかしくなっているだけだ。
「他のアルファに来られたら、終わりだからな」
(そうか、そういう危険もあるのか)
続いた言葉で我に返る。薬を飲んでいないアルファは、彼のフェロモンに呑まれて己を制御できない可能性が高い。それならば、薬を飲んだ千晃がいた方が安全だということだ。姫を護るナイト、と言えるほど頼り甲斐のある存在ではなかったが、せめて番犬の役割くらいは果たそうと思った。
「誰か来ても、俺が守るから」
御園は何も言わずに倒れ伏したまま、安心したように目を閉じた。
幸いにも他に人は来なかった。それから程なくしてタクシーが到着し、オメガの乗務員と看護師が降りてきた。状況を説明するために、千晃が乗務員と話をする。学校に連絡が行くと面倒なので、ただの通りすがりということにしておいた。流れで自分がアルファであることを告げると、大袈裟過ぎるほど驚かれた。そして、まるで自分のことのように、懇切丁寧に感謝を述べられた。
「欲求に負けずに助けを呼ぶなど、並のアルファにはとても出来るようなことではありません。本当にありがとうございます。貴方のお陰で、一人の命が救われました」
大仰な台詞だったが、実感の籠った重みを感じた。彼らも仕事をする中で、やり切れない思いをしているのだろう。
「御園さん、今からタクシーに乗せますから、お体少し触りますね」
「っ……」
看護師の声掛けに、御園がぐっと唇を噛んだ。そんなに強く噛んだら血が出そうだ、と思ったのと同時に、看護師が彼の肩に触れる。
「ッ、うぅ……っ」
呻き声にしては高い、上擦った悲鳴が溢れた。咄嗟に顔を背けると、「では」と乗務員が颯爽と彼らの元へ駆け寄る。
「大丈夫ですよ、力抜いてくださいね」
「ふ……っ、んん、ん」
呻き声は尚も続く。タクシーまでの短い距離が、こんなにも長く感じるとは思わなかった。耳の裏で心臓がバクバクと音を立てている。落ち着くために深呼吸すると、甘い匂いが肺の中に入ってきて慌てて息を止めた。
(えっと、こういう時は素数を数えればいいんだっけ? 2、3、5、7、11、13、17……)
スラスラと出てきたのはそこまでだった。後は思考に集中できなくて、ろくに数えられなかった。BGMに彼の声を聞きながらなんて、集中できる訳がない。やっと声が聞こえなくなる頃には、びっしりと手に汗をかいていた。
「では、彼は我々が責任を持って病院まで送り届けます。ご協力感謝いたします」
「あ、はい。よろしくお願いします……」
走り去っていく車を見送って、一人街中の喧騒に取り残される。私服に普通乗用車だったので、傍目から見ると単に路地裏で倒れた知人を回収しに来たようにしか見えない。ベータの人間にはまずそれと分からないだろう。その証拠に、周囲で騒ぎが起きている様子はまるでなかった。
到着も早かったし、移送の準備には五分と掛からなかった。こうして今日もどこかでオメガが助けられているのだ。プロの手際に感心した。
月曜日の昼休み。食堂に顔を出すと、御園はバツが悪そうな表情をした。ホームルームの時は普通にしていたが、やはり気まずいらしい。
「あの後大丈夫だった?」
「お陰様でな。……迷惑を掛けた」
「ううん、先生に何も無くて良かった」
他の生徒もいる中なので、明確な単語を出すのは避けた。
「もう体は大丈夫なの?」
「何ともないが、一応薬は飲んでいる。医者にはホルモンバランスが安定していないと言われた」
「そうなんだ……」
「全く、つくづく厄介な体だな……」
珍しく弱音を吐いた御園は、自分でもらしくないと思ったのか「何でもない」と後から言葉を取り消した。体調を崩して精神的にも参っているらしい。そんな彼に千晃がしてやれることは、残念ながら無いに等しかった。無力な自分が情けなくて唇を噛む。
「原因に何か、心当たりはないの?」
「無い、こともないが……」
「え」
「が、どうしようもないな。体が慣れるのを待つしかない」
「それは、どういう……」
千晃の質問に彼は答えなかった。慣れる、ということは環境が変わったということだろうか。それとも体質が急に変わったのか。少し嫌な予感がして、彼の首元に目を遣る。あの黒い首輪は襟に隠れて見えなかった。
「……先生って、今恋人いるの?」
祈るような気持ちで尋ねると、御園は目をぱちくりと瞬かせた。そんなことを聞かれるとは思っていなかった顔だ。黙って見つめると、半目になってじとりと千晃を見据える。
「なんでお前に教える必要があるんだ」
「気になってる子は多いと思うよ。先生、結構女子から人気あるんだけど、知らないの?」
「知らんな。興味が無い。生徒からそういう目で見られても困るだけだ」
ゴン、と頭の上に金ダライが落ちた。一欠片の希望を探すつもりが、違う角度からとどめを刺された。戦う前から負けている。
(これじゃあ俺にチャンス、無い、よな……)
困らせたくはない。でも、諦めることも出来ない。八方塞がりだった。
「何だ急に。心配してくれてるなら余計なお世話だ。今までも一人でどうにかしてこられたからな」
「なら、いいけど……」
どうやら心配と取られたらしい。全然違うのに、と後ろめたさを感じつつ相槌を打つ。一人で、ということは、良くも悪くも恋人やパートナーは作らないという宣言だった。どの道、千晃に勝機は無い。購買で買った焼きそばパンは、冷えていて美味しくなかった。
もうすぐ夏休みが始まる。中学までは喜ばしいことだったはずなのに、今は彼に会えなくなるだけの無意味なイベントに成り果てていた。
「え、助っ人?」
「そう、夏休みの間だけでいいから!」
頼む、と手を合わせられて考え込む。バスケ部の彼によると、試合が出来るだけの人数が今は部にいないのだという。小さな部なので他校と練習試合をする訳でもないが、折角人がいるのだから活動はしたい。ということで、帰宅部で暇そうな千晃に声が掛かったようだ。
「うーん……」
悩んでみてはいるが、悪い話ではなかった。学校に来る口実が出来れば、堂々と御園に会いに行ける。体を動かすのも嫌いではないし、彼に会いに来るついでにバスケをする、と考えれば良いこと尽くしだった。
「まあそういうことなら、いいよ」
「マジ!? 本当助かる、サンキュー!」
ノルマは週に2日、朝から3時間ほどと言われたが、それより多く来てもいいと言うと大層喜ばれた。何だかんだ言っても、人に喜ばれると悪い気分はしない。
「ってことで、夏休みも相手してくれるよね!」
満面の笑みで御園を捕まえて、事情を一方的に説明すると、彼は物凄く苦い顔をした。そんなに嫌そうな顔をしなくても、とぶすくれると溜息をつかれる。
「…………勝手にしろ」
(……あれ? もしかして嫌われてる?)
一人勝手に不安になった千晃だったが、その理由は夏休みに入って一週間後に発覚した。
「おはよー……え?」
「……おはよう」
「おっ、来たなー!」
ジャージに着替えて体育館に足を踏み入れた千晃を出迎えたのは、バスケ部の面々。そして、クールビズでワイシャツ姿の御園だった。
「な、え、先生?」
「……鍵、昼前には閉めろよ」
混乱する千晃に鍵をポンと手渡して、無言で気怠げに去っていく。ぽかんとしてそれを見送っていると、千晃を誘ったクラスメイトの西がちょうど説明してくれた。
「御園先生、顧問だから鍵の管理しなきゃならないんだってさ。夏休みなのに大変だよなー」
まあ俺らのせいなんだけど、と悪びれもせず笑っている彼らに目もくれず、嬉し過ぎる偶然を噛み締めていた。夏休み前まではジャケットを着込んでいたので、暑そうだと常々思っていたが、休暇中は流石に脱いでいた。
(先生、夏でもボタン開けないんだな……)
首輪を隠すためだろう。夏の間は首輪をしないオメガもいる中で、彼はきちんと気を抜かずに自衛しているようだ。そういう生真面目な所も、彼らしくて好きだ。
「千晃ー、ストレッチ終わったら始めるぞ」
「え、基礎練とかは?」
「そんな真面目な部活じゃねーから! 楽しいことだけやろうぜ!」
随分と適当だ。コーチもマネージャーも見当たらないので、無法地帯と化している。顧問の御園もあまりやる気は無さそうなので、ある意味気楽そうな部活だと思った。部活というよりは、同好会の方が実態は近そうだ。
隅の方で軽いストレッチをしている間に、他の部員達は既に試合もどきを始めていた。良い動きをしている者もいたが、大半は楽しさ重視で入っているような、そんな感じの動きだった。運動部に苦手意識を持っていた千晃も、彼らを見ていると、こんな緩い部活なら悪くないと思えてくる。
ボールがちょうどアウトになって、こちらに転がってくる。それを拾って、パスを出してから人数の少ない方に加わった。そういえば得点係がいないことに気づいたが、誰も何も言わなかったので、細かいことはもう気にしないことにして、目の前の試合に集中した。
適度に休憩を挟みつつ、時間はあっという間に過ぎていった。思いのほか白熱した試合は、結局勝敗が分からずじまいだったが、楽しかったので良しとなった。
「鍵、俺返してくるよ」
「おー、悪いな」
わざわざ最後まで残って、鍵閉めの役割を受け持つ。体育館の鍵を閉めて、その足で職員室へ向かった。
「失礼します」
職員室の中はクーラーが効いていてとても涼しい。涼みながら中を進むと、御園は肘をついて机の上の書類と見つめ合っていた。千晃の声に振り返り、片手を振る。
「そこに掛けておいてくれ」
「はーい」
鍵類が掛かったボードに鍵を返して、そっと彼の方へ近づく。職員室で彼と会うのは、何気にこれが初めてだ。机の上は整理されていたが、物が多かった。変なマスコットと、アイスコーヒーの缶が2本、端に置かれていた。気配に気づいた御園が、正面を向いたまま千晃の方に意識を向ける。
「なんだ」
「バスケ部の顧問だったなんて、知らなかったんだけど」
「言ってないからな」
「なんで教えてくれなかったの」
「どうせ今日会うだろ。わざわざ言うことでもない」
「…………」
これ見よがしに拗ねてみせても、御園は何処吹く風で書類にペンを走らせていた。諦めて帰ろうとした千晃の背中に、控えめな音量で声が掛けられる。
「楽しかったか、バスケ」
「えっ……う、うん、意外と」
「それは良かったな」
「うん……」
振り返ってみても、御園はこちらを見ていなかった。もういいのかな、と再び顔を前に戻しかけた時、先程と同じ平坦なトーンで、御園が静かに問いかける。
「明日は来るのか」
「明日? うん、一応来るつもり」
「そうか。……気をつけて帰れよ」
「……はーい……」
戸惑いながらもさようなら、と言うとさようなら、と返ってくる。最後まで振り向くことはなかった。とぼとぼと職員室から出て、帰途に就く。今の彼は一体、どういう感情だったのだろうか。一度も顔を見なかったから、どんな表情だったのかも分からない。
(……明日聞けばいっか)
少なくとも、不機嫌でなかったのは分かる。不機嫌な時はもっと、あからさまに邪険そうにしてくるからだ。それなら、鬱陶しがられている訳ではないはずだ、と前向きに捉えることにした。これからほぼ毎日、彼に会える。そう思うと、胸のトキメキがなかなか収まらなかった。
翌日、同じ時間に体育館へ来ると、やはり御園も同じ格好で入口付近に立っていた。しかし昨日と違って、傍らに書類が積まれている。
「何それ?」
「仕事だ」
「そうじゃなくて、なんでここに?」
「……たまには、面倒見てやるかと思ってな」
「お、千晃! 御園先生が得点係やってくれるってよー」
「え、マジ?」
思わず御園の方を見ると、彼は不服そうな表情を浮かべて千晃を一瞥した。
「……なんだ、不満か」
そう問われて、間髪入れずに大きく首を横に振る。ただ、嬉し過ぎて思考がついていかないだけだ。彼に見られていると思うと緊張したが、良い所を見せようと、昨日より少しだけ本気を出した。
「……二階堂 、トラベリング」
「うっ」
気合いを入れ過ぎて、反則を出してしまったのは頂けなかったが。御園は器用に書類を捌きながら、審判と得点係を同時にこなしていた。面倒臭がりな割に、やる時はとことん完璧にやってのけるのだからとんでもない人だ。
それと、意外なことに御園はバスケのルールに詳しかった。得点係というから本当に得点のカウントだけするのかと思いきや、審判として反則に対する注意もしていた。インドア派だと思っていたが、もしかするとスポーツが得意なのだろうか。
ちゃんとした審判がついたことで、試合もそれなりに形が整った。西のチームと千晃のチームは、実力的にもバランスが取れていて、かなりの僅差で千晃のチームが勝利を納めた。
「……11時までだったな。そこまで!」
「何点!? ……あー、負けたー!」
「っしゃー!」
味方とハイタッチを交わして、流れで御園の方を見る。彼はスコアボードを片す手を止めて、千晃を見返した。嬉しさをそのままに、得意げにピースサインを突き出す。彼は、仕方ないな、という風に目元を緩めた。たったそれだけで、顔全体が優しい印象に変わる。
(うわ……)
動き回った後で助かった。全員既に汗だくで、顔を赤くしても指摘されることはなかった。
「次はぜってー勝つ!」
「またなー」
用具を片付け終わって、出ていく皆を見送ってから、残っていた御園の方へ駆け寄る。御園は床でトントンと書類を纏めて立ち上がると、鍵を千晃に差し出した。代わりに閉めろ、ということだろう。
「先生、俺どうだった?」
「未経験者の割には上手い方じゃないか」
「かっこよかった?」
「そうだな」
淡い期待を込めて訊いてみるが、さらっと流されてしまった。まあいいや、と鍵を閉めて、彼の隣を歩く。彼と一緒にいるようになってから、切り替えが早くなった気がする。
「先生、夏休みずっと学校にいるの?」
「そうだな。大体は」
「……大変だね、先生って」
「ああ。全く嫌な仕事に就いたもんだ」
渋い顔をしている彼に、ちょうどいい機会だと、ずっと気になっていた疑問をぶつけてみた。
「先生は、どうして教師になろうと思ったの?」
「……向いていると思ったから、かな」
微妙に定まらない答え方が、少し意外だった。彼がそんな風に言葉を濁したのは、千晃の前では初めてだった。
「……誰かに言われたとか?」
学校の先生とか向いてるよ、なんて言われて、そうかもしれないと納得する若かりし御園の姿が目に浮かぶ。
「…………尊敬する人が、教師だったんだ」
ふ、と息をついて苦笑いを浮かべる。その表情があまりにも綺麗で、心臓を鷲掴みにされたように息が詰まった。
(それって、つまり)
その人のこと、好きだったってことじゃん。そう言いたくて仕方がなかったが、それ以上追及するのは、彼を傷つけることだと思った。代わりに、話題を変えようと違う質問を捻り出す。
「先生、バスケやってたの?」
「……ああ。高校だけな」
「へえ、見てみたいなぁ。今度一緒にやろうよ」
知らない彼の顔がどんどん出てくる。その全てが綺麗で、愛おしくて、その度に千晃は彼を好きになる。
「気が向いたらな」
目を細めて、楽しそうに笑う彼の横顔に、突如として焦燥感が募った。この笑顔を誰にも渡したくない、と強く思った。こっちを向いて、自分のためだけに笑ってほしい。そんな欲深い想いが、千晃の口を開かせていた。
「……好きです、先生」
御園は数歩先を歩いて、ピタリと立ち止まった。千晃はその後ろで立ち尽くす。そのまま振り向かないでほしいと、その時だけは心から思った。
ゆっくりと振り向いた彼は、大きく息を吸って、緩く長く吐いた。その顔に、表情は浮かんでいなかった。
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