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第5話

(……来ないなぁ) 放課後、職員室の前で彼を待ちながら、ぼうっと考え事をして時間を潰す。考えるのはやはり、専ら彼のことだった。 ここ数日、御園(みその)の様子がおかしい。 と言っても、表向きはいつもと変わらない。塩対応の御園と、過剰に懐く千晃(ちあき)の絵面は、春から変わっていなかった。違うのは、距離感だ。 ラットになったあの日以来、御園から若干、物理的に距離を取られている、気がする。 (抱き締められた時、手回しちゃったからかなぁ……) 近づき過ぎたと思われて、わざと距離を置かれているのだろうか。だとしたら千晃の責任だ。 5分ほど待っていると、廊下の奥から御園が姿を現した。突っ立っている千晃を見つけて、一瞬立ち止まったのは見逃さなかった。 「……何しに来たんだ」 「酷いなぁ、ちょっとお話に来ただけだよ」 「手短に頼む。仕事がまだだいぶ残ってるんでな」 すたすたと歩みを止めないまま、千晃を横目で見遣る。着いていきながら、職員室に入る前に、と早速本題を切り出した。 「最近俺と距離置いてるよね? なんで?」 やはり心当たりがあったのか、ぐ、と言葉を詰まらせて黙り込む。足を止めて千晃を恨めしそうに見ると、眉間に皺を寄せて盛大に溜息をついた。 「……どうしてお前はそう、余計なことに察しが良いんだ」 「だって俺先生のこと」 「ストップ。こんな所で言うな」 少し待ってろ、と言われて職員室の手前で待つ。少しして、荷物を置いて手ぶらになった御園が出てきた。何も言わずに歩き出した彼の後ろを着いていく。そういえば彼を襲いかけた後もこんな感じだったな、と思い出す。あの頃はまさか、こんなに彼を好きになるなんて思いもしなかった。 (今度は何言われるんだろ) 案の定指導室の扉が開かれ、中に入る。御園は浮かない表情をしていた。椅子に腰掛け、彼の顔を見つめる。御園は微妙にこちらから視線を逸らしていた。 「……まず、お前と距離を置いたことについてだが」 「うん」 「俺のホルモンバランスが崩れているという話は前にしたな。覚えてるか」 「……ああ、春に言ってたっけ」 「そうだ。それと関係がある」 いまいち要領を得ずに首を傾げる。御園は話しにくそうに眉を顰めた。腕を組んで、憂い顔で目を伏せる。 「……具体的に言うと、オメガホルモンの分泌量が増え過ぎているんだ」 「増え過ぎるとどうなるの?」 「ヒートの周期が早まったり、症状が重くなったり……突発性のヒートが起きたりもする。俺の場合は、それまで飲んでいた薬が効かなくなったりもした」 「え、大変じゃん」 「……そうだな」 そんなに大変なことになっているとは知らなかった。彼の話しぶりからするに、まだ症状は改善していないのだろう。 「原因は……分かってるんだったよね」 「……ああ」 「改善はしなかったってこと?」 以前の彼は「体が慣れるのを待つしかない」と言っていたが、まだ体は慣れていないということなのだろうか。 「…………原因は」 御園が声を低めて千晃を見つめる。 「お前だ、二階堂(にかいどう)」 「………………へ」 ぽかん、と開いた口が塞がらなかった。全く意味が分からない。呆ける千晃に、御園が歯切れ悪く説明を付け足す。 「つまり……お前の振り撒いてるフェロモンを日常的に浴びて、あー……体がバカになってるってことだ。アルファのフェロモンを浴びすぎて、オメガの……フェロモン受容体だか何だかが、過剰に反応するようになってるらしい」 「……そ、れってさ」 さあっと血の気が引いていく。今までずっと、千晃が近くにいたせいで、御園は辛い思いをしていたということではないか。青褪めた千晃を見て、御園が再び溜息を零す。 「だから言いたくなかったんだ。お前に責任を押し付けるような真似はしたくなかった」 「で、でも、本当のことじゃん」 「別にお前のせいじゃない。たまたま俺の体質が合わなかっただけだ」 その言葉に目の前が真っ暗になった。それはつまり、相性が悪いということではないのか。 「他のアルファとは、こんな風になったこと、なかったんだよね……?」 「そうだな。お前が初めてだ」 嬉しくない初めてだった。ぎゅっと拳を握り締めて下を向く。 「お、俺、どうしたらいいの……?」 好きだから傍にいたい。でもこれ以上困らせたくはない。究極の選択を迫られていた。 「どうもしない。お前の好きにしろ。俺のことは別に気にするな」 「気にするよっ! 俺、先生に迷惑かけたくないよ……」 途方に暮れて俯いてしまった千晃の頭に、ポン、と手のひらが置かれる。わしゃわしゃと犬みたいに乱雑に撫でられて、顔を上げることは出来なかった。 「お前の気持ちは分かってる」 それはどういう意味だろう。聞こうとした途端、御園は席を立った。もう今日は話すことは無い、という意思表示だった。 翌日から、御園との距離を千晃は甘んじて受け入れた。他の生徒達と変わらない距離感に、寂しさを覚えることはあったが、全て御園のためだと思って我慢した。 そして、放課後に遊びに行くのをやめた。二人きりの時間は、きっと彼の負担を増やすだけだと思ったからだ。 会う時間と反比例するように、彼に対する想いは強く激しくなっていった。今までは会うだけで満足できていたはずが、最近は夢にまで彼が出てくるようになってしまった。目が覚めるたび、現実でないことに酷く落胆した。 「千晃、最近元気ないけど平気か?」 西(にし)にそう聞かれて、咄嗟に大丈夫だと言えないほど、千晃は精神的に参っていた。今まであったものがなくなるだけで、こんなにも堪えるとは思わなかった。 唯一の心の支えは、御園からのコンタクトが増えたことだった。それは授業中の不意な視線であったり、荷物運びに指名される時であったりした。彼が「二階堂」と呼ぶだけで、千晃の心は震えた。その些細な接触が、千晃を生かしていた。 「……そんな目で見てくれるな」 荷物を運び終わって、職員室を出た千晃の後ろから、そんな言葉が聞こえた。思わず振り返って彼を見る。彼は一瞬苦笑を浮かべて、くるりと踵を返した。言いたいことはそれだけだったらしい。どういう意味か考えあぐねて、その夜夢に出てきた御園は少し大胆だった。翌朝、酷く自己嫌悪した。 「なんか、大人っぽくなったね、二階堂くん」 「……え、俺が?」 水やりが被って、福田(ふくだ)と一緒に花壇の前に立っていると、急にそんなことを言われた。御園は目の届く範囲にいたが、話は聞こえない距離だった。 「何かあったの?」 「何か、っていうか……」 話すべきかどうか迷って、ちらりと御園の様子を窺う。ホースを持って水を撒く彼は、千晃のことを特に気に留めてはいなかった。そのことに若干落ち込みながら、彼女の方に向き直る。 「……俺、好きな人がいるんだけど」 そう打ち明けると彼女は目を丸くした。女子相手に恋バナってどうなんだろう、と思ったが、彼女のことは何となく戦友のような認識をしていた。福田は少し頬を赤くして、こくこくと頷いた。 「最近、ちょっと距離置かれちゃってて、辛いなーっていうか……」 「そうなんだ……」 まるで自分の事のように困り眉になった彼女に、思わず笑いが込み上げてきた。笑う千晃に彼女は頬を膨らませて、しかしその後に「そっか」と腑に落ちたように呟いた。 「好きな人がいるから、そんなに大人っぽいんだね」 「うーん……でも、俺なんかまだまだだよ」 正真正銘の大人相手に恋をしているのだから、その差はさらに歴然としていた。肩を落とす千晃を、福田が「そんなことないよ」と慰める。 「頑張ってる二階堂くん、素敵だと思うよ」 「福田さん……」 疲れ果てた心に染み入る言葉だった。感動して例を述べると、彼女は花が咲くように笑った。 一方、御園は水やりが終わるまで、終始同じ距離を保っていた。 それから暫く経った、とある日の朝。 「席に着け。始めるぞ」 教室に入ってきた御園は至っていつも通りに見えたが、彼のことを普段から飽きるほど観察している千晃には、微妙な違いすらも分かった。 (声、ちょっと掠れてる……なんかだるそうだし、体調悪いのかな) 淡々と連絡事項を伝達する彼の顔を、注意深く見つめる。いつも通りの仏頂面だ。しかし、語尾が少しだけ掠れていて、たまに咳払いをしているのも気にかかる。ヒートの周期はまだだ。 (……ちょっと声かけるくらい良いよね) 彼の様子を見て、関わらないようにしようとする気持ちと、心配する気持ちがせめぎ合う。結局、放課後に少しだけ様子を見に行くことにした。 職員室の前で待ちぼうけすること5分。御園の姿がようやく見えて、ひらひらと手を振る。やはり一瞬立ち止まった御園が、すたすたと近寄ってきた。そこで、ふと漂ってきた匂いに意識が向く。 (なんだろ、この臭い……) 分からないが、とにかく不快だ。主張が激しい。少なくとも御園には合わないような刺々しい香りだった。いつもの甘酸っぱい果実のような香りが、その不愉快な臭いに掻き消されていた。しかし臭いに関して指摘するのはなかなか勇気がいることで、直接言う前にそれとなく質問を投げかけた。 「先生、香水変えた?」 「香水? いや、元からつけてない」 いや、知ってるし。彼からすごく良い匂いがするのは、フェロモンのせいだと千晃もよく分かっていた。 「じゃあ、柔軟材は?」 「変えてないが」 使ってはいるんだね、と言いそうになってやめる。洗濯なんか汚れが落ちればいいんだろ、とか言いそうな彼にしては意外だな、と思っただけだ。しかし、それでは一体この不快な臭いの原因は何だと言うのだろう。 「……何だ? 臭うか。心当たりはあまり無いんだが」 「うーん……いや、先生じゃないのかも……」 「………………あ」 「ん?」 突如零れた声に顔を上げる。御園はハッとしたように口元を押さえていた。 「……いや、何でもない」 「えぇ、気になるんだけど」 千晃が先を促しても、御園は頑なに言おうとしなかった。ここまであからさまに渋るのは珍しい。頭を捻っていると、ふと隣を生徒が通りかかった。またしてもふわっと漂ってきた臭いに、思わず顔を顰める。千晃を不思議そうに見つめる御園の方は、何とも思っていないようだった。 「どうした?」 「先生は感じなかったの? 今、めちゃくちゃ……」 気持ち悪い臭いが、と言いかけて、ふと思い出す。通りがかった生徒が、彼と同じオメガだと噂されていることを。さらに、彼からする臭いと、さっき感じた臭いが同種であるということに気がつく。同じような、不快な臭い。 そして、目の前にいるオメガの彼には、その臭いが分からない。これが何を意味するのか、頭の良い千晃は理解できてしまった。 (つまり……) 咄嗟に首に視線を向ける。相変わらず首元が詰まっていて、下がどうなっているのかは分からなかった。その下に何も無いことを想像して、サッと血の気が引く。 (……いつか、首輪がなくなってたらどうしよう) そう思うだけで不安になった。同時に、彼がしたことに対してふつふつと怒りが込み上げてくる。いや、怒りなどという言葉では言い尽くせなかった。裏切られた気分だった。彼は最初から何も、千晃に約束などしていないのに。 (でも、でも……先生は、) 俺のなのに。そう思うことさえ子供みたいに思えてきて、顔を俯かせる。悔しくて悲しくて、涙が滲んだ。 「……二階堂?」 突然黙り込んだ千晃の顔を、御園が覗き込んでくる。唇をきゅっと固く引き結んで、出そうになる嗚咽を噛み殺した。瞳孔が僅かに開いているのか、視界が明るく煌めいた。 「っ、」 「お、い」 くしゃくしゃに顔が歪んで、堰が切れたように涙が流れる。慌てたようにそれを拭おうと頬へ伸びてきた手を、気づけば叩き落としていた。御園が愕然と千晃の顔を見つめる。手を振り上げたまま、大きくしゃくり上げた。 「……っ、触ら、ないで」 「は」 間の抜けた声を、ギリッと強く睨みつける。しかしそれはほんの一瞬で、涙が溢れる動きに合わせるように、顔を俯かせた。床に雫を落としながら、押し殺した掠れ声で呟く。 「おかしく、なりそう……」 激情。悲しみ、絶望、嫉妬、劣情。いろんな感情が混ざりあって、ドロドロになったような声が出た。御園が静かに息を呑む。また手を伸ばそうとして、途中で気づいたように止まった。 「……とりあえず、場所を移すぞ」 ボロボロと泣く千晃を怪訝そうに見ながら、生徒や教師が通り過ぎていく。歩き出した御園に着いていくと、最早見慣れた教室に入った。 当然のように椅子へ座る。顔は上げられなかった。 「…………なんで」 この世の全てを呪ったような声が地を這う。御園は黙って千晃の言葉に耳を傾けていた。 「なんでだよ。なんで俺は子供なの? なんで好きな人が他の奴に盗られるのを、黙って見てなきゃいけないんだよ……!」 憎い。彼を抱いた奴も、それを許した御園も、何も出来ない自分も、全てが憎くて堪らなかった。 今彼はどんは顔をして、どんな気持ちで千晃を見ているのだろう。他の奴の前で、一体どんな顔をして、どんな声で鳴いたのだろう。千晃が知らない顔をして、千晃が知らない声で。 (悔しい、悔しい、悔しい……ッ) 思えば思うほど、ボロボロと涙が溢れてくる。御園は掛ける言葉を失ったように黙っていた。どうして、こんな仕打ちを受けなければならないのだろう。こんな思いをするのならいっそ、こっぴどく振ってくれた方がマシだ。 「……先生、俺のこと何とも思ってないんなら、ちゃんと振ってよ」 沈黙。それにいちいち期待する自分が情けなくて、嗚咽が零れた。 「なんで何も言わないんだよ。ずるいよ……っ期待、しちゃうだろ、そんなの……」 泣きじゃくっていると、はあ、と溜息をついたのが聞こえた。顔を上げて彼の顔を見ると、痛ましげな表情を浮かべていた。 「俺はな」 御園が重い口を開く。 「絶対とか、永遠なんて言葉は信じてないんだ」 「……数学教えてるのに?」 「数学と現実の絶対は違うし、100%なんてこの世に存在しない。あるのは理論の上だけだ」 だから、と目を伏せる。バツが悪い時や、言いにくいことを言う時の癖だ。 「お前が卒業して、子供じゃなくなるまで、待てが出来るとは思えないんだ」 「じゃあ、俺が子供じゃなかったら、可能性があるってこと?」 「…………可能性は、な」 どちらとも取れる言い方だ。ずるい。御園は狡い大人だった。それでも、諦めろとは言わなかった。 「……項は」 「え?」 「噛ませてないんだろ。あんたのことだから」 「……あのな。あんたじゃなくて、先生……」 ギ、と涙目で彼を睨みつける。今はそれより大事なことを訊いているのだ。言葉を途中で切った彼は、確かめるように首を摩った。 「……ああ、噛まれてない。最初から噛ませる気も無かった」 御園の答えにいくらか安心して、静かに溜息を吐いた。制服の袖口で目元を乱雑に拭うと、顔を上げて彼を真っ直ぐに見つめる。 「……わがままだって分かってるけど」 届くようにと、祈るように声を捧げる。 「でも、せめて俺が卒業するまでは、そこ、誰にも渡さないでよ……お願いだから」 最後の方は声が震えていて、また泣き出してしまいそうなほど涙ぐんでいた。それでも目を逸らさずに、じっと御園を見つめて返事を待つ。 「……教師として、一介の生徒であるお前の、個人的な願いを聞いてやる訳にはいかない」 ただ、と彼は一呼吸置いてから、呆然と目を見開いて立ち尽くしている千晃を見つめ返す。 「御園栄司個人として……二階堂千晃という、一人の男の我儘を聞いてやるくらいは出来る」 頬がみるみるうちに紅潮していくのが分かった。分かりやすい奴だ、と御園が苦笑しても不貞腐れないほどの歓喜に沸いていた。 「先生、それって」 「自惚れるな。まだチャンスをやるとしか言ってない」 「でも、待ってくれるんだろ。あと2年」 「お前、簡単そうに言うが2年は長いぞ?待つのはお前も同じだ」 「待てるよ」 何の迷いも無く、確信を持ってそう言った。驚いた御園が二の句を継げずにいる所に、毅然とした態度で言葉を続ける。 「今までずっと好きだったんだから。チャンスがあるんなら絶対に待てる。2年なんてあっという間だよ」 「……そうか」 「あー……どうしよう。嬉し過ぎて今日寝つけないかも」 「ふっ、何だそれ」 「先生、覚悟しててね」 赤くなった目元を緩ませて、いつもの笑顔を浮かべる。 「絶っ対に、卒業までに落とすから」 「……まあ、精々頑張るんだな」 正面から、堂々と本人に向けて宣言する。御園は、何かを諦めたように笑った。 話を終わらせて、部屋を出ようとした御園の、スーツの裾を捕まえる。 「……でもさ、先生」 こちらを向いた御園の体を、背後の扉に縫い止めるように手を突いて閉じ込める。 「何、」 「俺以外の臭い付けてるのは本ッ当に許せないんだよね」 驚いて固まった御園の首筋に唇を押し付けて、じゅっと吸い付く。咄嗟のことで力加減が効かなかったせいで、御園が「い……っ」と声を上げた。その声に、僅かに色が混じっているのを聞き逃さなかった。突き飛ばされる前に上書きを済ませるために、そのまま素肌に舌を這わせる。甘い香りと汗の匂いが混じって、くらくらと目眩がしそうだった。 「馬鹿、何してるっ……!」 ド、と突き放されて、後ろによろめきながら離れる。首元を押さえた御園の顔は、警戒心剥き出しの猫そのものだった。顔色は普通だが、耳が真っ赤に染まっている。彼の感情は耳に出るらしい。 「お前、自分が何したか分かってるか!?」 「あーあ、先生が抵抗するからちょっと強くつけすぎちゃった。結構長く残っちゃうかもね」 「ッ……」 わなわなと震える御園に溜飲が下がる。まだあの忌まわしい臭いは消えないが、御園が自分の匂いをつけているのはとてもいい気分だった。 「じゃ、俺帰るね、先生」 「……〜〜っ、勝手にしろ」 苦虫を噛み潰したような顔で扉を開け、道を空ける。どうやら今日は見送ってくれないようだ。扉を潜って、にこりと彼に笑いかける。 「また明日、先生」 「……気をつけて帰れ!」 吐き捨てるようにそう言われ、ピシャンと扉を閉められた。扉の向こうで大きな溜息をつく声が聞こえてきた。多分、付けられたキスマークをどうするか考えているのだろう。いい気味だ、とほくそ笑みながら帰途に就く。 しかし、学校を出た辺りで自分のしでかしたことを思い出してきて、一気に恥ずかしくなってきた。 (どうしよう、俺明日からどんな顔して会えばいいんだ!?) しかも、本人に向かって直接「落とす」などとほざいた気がする。我ながら大胆過ぎる行動に、顔から火が出そうだった。 (…………でも、あの反応ってさぁ……) 彼の反応を思い出してみる。普通、好きでもない人間からキスマークを付けられたら、あんな顔はしないはずだ。 (どうしてくれるんだよ、先生……期待しちゃうだろ……) 本当に今日は眠れないかもしれない。案の定、夢に彼が出てきた。今までにないほどリアルかつ――言うのも憚られるような内容だった。 「うわーーーーっ!!」 「千晃、うるさい!」 大声で飛び起きて、朝から姉に怒られた。恐る恐る布団の中を覗き込んで、何も無いことを確認してホッと息をつく。これでどうにかなっていたら、今日一日彼の顔をまともに見られなくなる所だった。支度をしながら、ふと気づく。 (あ、学校行くの、楽しいかも) 思えば最近、彼に近づかないようにしていたせいで、また学校がつまらなくなりかけていた。彼に「落とす」と宣言した以上、近づくのはもう許されるはずだ。そう考えると途端に気力が湧いてきて、いつもより早く家を出た。 そしてその後。ホームルームに出てきた彼の首筋を見て、思わず目を逸らす。 「……席に着け。ホームルーム始めるぞ」 パッと見分かりにくいように、肌色の湿布がシャツの襟に隠れるようにして貼られていた。

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