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第7話
今年の冬は近年稀に見る大雪の年だった。一夜明けたら一面銀世界で、千晃 は家の前で途方に暮れた。それでも、どうにか学校まで歩いた。
「よく来たな。雪、大丈夫だったか」
「先生ー! も〜、大変だったんだから!」
正門の前で雪かき中の御園 に泣きつく。千晃は徒歩通学なので、膝まで積もった雪の中を掻き分けて進んできたのだ。お陰で制服のズボンがびしょびしょになってしまった。御園が雪かきの手を止めて、腰に手を当てる。
「状況を考慮して、今日は臨時休校になるかもしれない。メール見たか」
「えっ、嘘ぉ!?」
「見てないのか……」
急いで携帯を見ると、確かにその旨が通達されていた。交通網が特に大打撃を受けていて、バスや電車はおろか、車もなかなか進めないようで、来られない生徒や教員がたくさんいるらしい。折角ここまで来たのに、まさか無駄な努力になってしまうのだろうか。かなりショックだ。御園は気遣わしげに千晃の帽子に積もった雪を叩いた。
「……まあ、どちらにせよ温まってから帰るといい。送ってやりたいのは山々なんだが、免許持ってなくてな」
「そうなの?」
「ああ。俺も歩きだからな」
意外な共通点が発覚した。残念ながら喜んでいる場合ではない。玄関の方から、年配の教師がこちらに駆けてくる。
「御園先生ー、今日やっぱり休校だって……ありゃりゃ、二階堂 」
「そんなあ〜……」
「……ドンマイ」
ガックリと肩を落とす。御園の勧めもあって、とりあえず学校の中に入ることにした。
職員室の中に入れてもらって、ストーブの前を陣取る。濡れたズボンは脱いで、置きっぱなしにしていたジャージに履き替えた。芯から冷えていた体がじわじわと温まっていく。
「っくしゅ」
「風邪引いたか。帰ったら温かくして早めに寝ろよ」
「大丈夫……ありがと」
「いやぁ、可哀想にねえ。休校ならもっと早く決めて欲しいもんだよ」
職員室の中も、普段よりは人気が少ない。電車で来ている教師や、遠方から車で来ている教師は来られていないようだ。
「御園先生は帰らないの?」
「まあ、折角来たからな。ある程度仕事して、道の除雪がされた頃に帰る」
「わー、頭良い……」
「お前もそうするか? まあいても暇だろうが」
確かにいてもやることはないが、今来た道をそのまま戻るのは至難の業だ。それに、これは逆にチャンスだ。しばらくの間、御園と二人でいられる。
「……先生がいるならいる」
「そうか」
御園はポンポンと千晃の頭を叩いて、デスクに向き直った。机から財布を取り出して、小銭を千晃に渡す。
「これでホットコーヒー買ってきてくれ。無糖な。ついでに好きな物買っていいぞ」
「やったー!」
喜び勇んで小銭を握り締め、下の購買へ駆けていく。すれ違った教師が、微笑ましそうに千晃と御園を見た。
「甘やかしてるねぇ、先生」
「今日は特別です」
「そうだねぇ」
大雪様様だ。購買の自販機でコーヒーとココアを買って、御園の元へとんぼ返りした。
「ありがとう」
「こちらこそー」
コーヒーを渡して、ココアのタブを開ける。熱々の液体で口の中を火傷しかけたが、飲むと甘ったるさが体に染み渡った。
(先生、本当にいつも通り仕事してる……)
デスクに向かう御園は普段と変わりなく、それが何故か無性に愛おしく思えた。きゅう、と胸が甘く締め付けられる。先生、と呼び掛けて、はたと気づいた。
(……今は好きって言っちゃダメなんだった)
他の教師が周りにいる。聞かれてしまってはまずい。振り向いて怪訝な顔をしている御園に、伝われ、と微笑んだ。
「…………ふん」
御園は鼻で笑った後「ばか」と唇の形だけで言って、さっと前を向く。伝わった。嬉しさに上がった口角を手で覆い隠して、ストーブで暖を取る振りをした。
昼に御園が仕事を切り上げるまで、千晃はずっと御園の傍にいた。何をするでもなく、ただただストーブの前に座っているだけだったが、彼と同じ時間を過ごせることが幸せだった。体がぽかぽかと温まっていたのは、きっと火のせいだけではなかった。
幸せを噛み締めたのも束の間。別れの時間は唐突にやって来た。
3月の末。離任式に出席する直前に、担任から声を掛けられる。
「二階堂くん、花束渡す係、頼まれてくれる?」
「花束? 誰にですか?」
「……えっと……」
言い出しにくそうに告げられた名前に、千晃は一瞬、頭が真っ白になった。
「……二階堂くん、仲良かったでしょう。渡すなら二階堂くん以外思いつかなくて」
頼めるかしら、と尋ねられても、咄嗟に頷くことは出来なかった。
(…………嘘、だよね?)
そんな訳はない。頭の片隅ではもう分かっていて、しかし理解することを頭が拒否していた。
「もし嫌だったら、他の人に頼むから」
気遣わしげにそう言ってきた彼女に、ようやく決心が固まった。しかし、頭は未だに追いつかないままだ。
(どうして? なんで? まだ3年しか経ってないんじゃなかったの?)
教師の異動がどういう基準で決まるのかは分からなかったが、彼が異動になる確率は低いと思っていた。それだけに、気持ちが整理できていない。
体育館に入ってすぐに、教師の列を確認する。他所に赴任していくと思われる教師陣の列には、確かに彼の姿があった。
そこに立つ御園は、やはりいつもと同じ仏頂面だった。普段よりきっちりとしたスーツに身を包んで、これが最後だということを否が応でも意識させられてしまう。着席してしばらく見ていたが、目は一度も合わなかった。
やがて式が進んで、花束の贈呈が行われる段になった。階段を上ってステージに上がり、御園の前に立つ。
隣の生徒は教師に向かって、今までの指導に対する感謝の言葉を述べていた。教師は目の端に涙を浮かべて、花束を受け取っている。
「………………」
千晃は、何も言えなかった。「ありがとうございました」も、「頑張ってください」 も、心の中で渦巻く「どうして」に掻き消されて、喉を通ることはなかった。重たい無言のまま、花束を手渡す。
「ありがとう」
御園は何もかもを見透かしたように、優しく笑ってそう言った。胸元に抱えられた赤い花が、御園によく似合っていた。式が終わるまで泣かないと決めて、千晃は涙を堪えながら壇上を降りた。
式が終わり、別れを惜しむ人々を横目に廊下を歩く。千晃は御園が一人になるのを待つために、職員室の傍に一人で立った。この一年で生徒からの人望がそこそこ厚くなった彼は、バスケ部のメンツを始めとした生徒達に囲まれていた。その輪に混じってまで、彼を問い詰める勇気は流石になかった。
(……なんて言えばいいんだろう)
胸のモヤモヤを言語化するのが難しい。彼が行ってしまう寂しさと、千晃に一言もなかったことに対する憤り、もう会えなくなってしまうかもしれないという不安。どれから言えばいいだろうと悩んでいるうちに、傍に寄ってきた人影があった。
「少し話せるか」
「……御園、先生」
顔を上げると、御園が無表情で立っていた。歩き出す彼の後を、自然と足が着いていった。向かった先は、やはりいつもの指導室だった。
カタン、と椅子を引く音が響く。彼とここに来るのも今日が最後だと思うと、酷く寂しい思いが込み上げてきた。
「なんで、教えてくれなかったの」
「……急に決まるものなんだ。それに、規則だからな」
「……卒業するまで、待ってくれるって言ったのに」
「ああ」
「…………3年になっても、俺、先生の授業受けたかった」
「……ごめんな」
御園は、そこで初めて表情を変えた。花束を貰った時と同じ顔だ。優しさの中に、ほんの少しだけやるせなさが混じっている気がした。ぽろり、と千晃の目から堪えきれなかった涙が零れ落ちて、机を濡らした。
「やだ、やだ……毎日会ってたのに、会えなくなるなんて、やだよ……」
ただの我儘だ。分かっていても、言わずにはいられなかった。それ以外に何も思いつかなかった。
「俺との約束、どうなるの……?」
「……ちゃんと守る。約束する」
御園が千晃の目元を指で拭う。いつになく優しかった。それも最後だからだと思うと、余計に涙が溢れてきた。
「……お前、意外と泣き虫だったんだな」
「先生のせいじゃん……」
「そうだな」
「……会えないし声も聞けないなんて、俺、どうやって生きていけばいいの……」
「……大袈裟な奴だな」
「だっ、て……」
千晃が絶望の淵に立っていると、御園が仕方ないなというように頭を撫でた。それから、ポケットからスマホを取り出した。
「お前も出せ」
きょとんとしながら千晃もスマホを取り出す。ひょい、と見せられた画面は、メッセージアプリの友達登録画面だった。
「…………いい、の?」
生徒と連絡先は交換しない主義だ、と以前に言っていた。ただでさえ公私混同を嫌う彼が、連絡先を教えてしまってもいいのだろうか。
「あくまで個人同士として、だからな」
教師と生徒ではなく、御園栄司 と二階堂千晃としてなら大丈夫、ということらしい。途端に道が拓けたような気がして、ぱあっと目の前が明るくなった。急いでアプリを起動して、彼の連絡先を登録する。
(……猫だ)
実家の猫のアイコンと、御園栄司と本名そのままの彼らしいユーザーネームが表示される。ひゅぽ、と空気の抜けるような音と共にメッセージが送られてきた。
『よろしく。』
猫のアイコンが喋っている。ちょっとした感動を覚えてまた涙が出てきた。これで、彼といつでも繋がっていられる。御園の顔を見上げると、やはり子供を見るような慈しむ目で千晃を見ていた。
「仕事中は出られないし、あまり頻繁に送られても返せないからな」
「うん……迷惑かけないようにするから」
「そうしろ。一日に一回くらいは見るようにする」
「もっと見てよぉ……」
揶揄う御園がくすりと笑みを零す。嬉しいやら、それでもやっぱり悲しいやらで、涙がなかなか止まらなかった。椅子から立ち上がった御園が、ぐっと千晃の頭を引き寄せてスーツに押し付ける。
「っ、スーツ、濡れちゃうよ」
「別にいい」
スーツが汚れるのも構わず、男前に千晃を抱き寄せる。彼に甘えられるのは今しかないと、大人しく涙が止まるまで彼の腕の中にいた。もう過剰にドキドキはしたりはしなかったが、温かい腕の中は酷く心地良かった。
「…………先生」
「ん?」
「……先生のこと、大好きだよ」
これを逃せば、直接言えるのは当分先になる。千晃の全部が伝わるように、ぎゅっと抱き締めながら愛を伝えた。ふわりと御園の匂いに包まれて、脳味噌が蕩けそうだ。
「……そうか」
返答はいつも通りだった。何故かそのことに安堵して、いい加減止まりそうだった涙腺がまた緩んだ。
涙が止まるまでしばらく彼の胸を借りて、気づけば校内に人気はなくなっていた。しぱしぱと目を瞬いて、彼を見上げる。
「……また、会えるよね」
「ああ。必ず」
御園の言葉には説得力があった。その言葉を信じて、残り一年を過ごしていくことを胸の中で誓った。
御園はまだやらなければならないことがある、と言いながら、校門まで見送ってくれた。手前でくるりと振り返り、彼を真っ直ぐに見つめる。
「今まで、ありがとうございました」
感謝を込めて、深々と頭を下げる。頭を上げた時、御園は初めて――泣きそうな顔をしていた。
「……元気でな」
「先生こそね!」
涙が零れないように勢いをつけて走り出す。角を曲がる時に一瞬だけ、まだ見送っている御園の姿が視界の端に映った。
「………………」
翌朝。ベッドの中で泣き腫らした目を擦りながら、貰った連絡先を表示する。迷ったのは一瞬で、次の瞬間にはコール中の画面が表示されていた。6コールほどでプツッと音が途切れる。
「おはよ!」
『…………教えた翌日からモーニングコールする奴があるか』
「だって朝一番に先生の声聞きたかったんだもん」
『…………ハァ』
刺々しい溜息をつく。随分機嫌が悪そうだ。声がいつもの倍は低い。向こうでガサガサと物音がして、小さく唸るような声が聞こえた。そして無言。
「先生、もしかして朝弱い?」
『……お前が元気過ぎるんだ』
意外な一面を見られた。力無い御園の声に笑いが込み上げてくる。いつもキッチリしている彼しか見たことがなかったから、とにかく新鮮だ。可愛い。
「今日も仕事なの?」
『……ああ……面倒臭い……』
(本音出ちゃってるし)
『お前は……春休みだろ。大人しく家で勉強でもしてろ』
「はぁい」
返事をした所でプツッと通話が切られる。あまりにも呆気なくて笑ってしまった。彼のことだから、きっと後から反省したりするのだろう。
(……あ〜、元気出た)
今日も一日頑張れそうだ。会えなくても、声を聞けるだけで十分だ。その時は、そう思った。
その後も週に何度かはモーニングコールをするようになって、やがて一ヶ月が経過した。
「……おはよ」
『……おはよう。元気無いな』
速攻でバレた。声に覇気がないのは自分でもよく分かっていた。彼の声を聞けたことで多少は持ち直したが、それでも寂しさは募る一方だ。
「先生会いたいよ〜……」
『……なんだ。ついに音を上げたか』
千晃の弱音に、御園が笑いを含んだ声になる。
「やっぱり声だけは無理があるよ。あんなに毎日会ってたのにさ」
『そう言うな。あと一年の辛抱だろ』
「そんなに長く会えなかったら死んじゃうよ……」
彼の無愛想な顔が、時折向けられる優しい笑みが恋しい。あの温かい手で頭を撫でてほしかった。
「…………夏休み」
「え?」
「夏休みまで、待て」
「え、え……何、どういうこと?」
戸惑う千晃に構わず、御園はだるそうに通話を切った。通話終了の文字を見ながら、頭の中を整理する。
(夏休み、ってことは……まさか、会ってくれるってこと?)
しかし、公私混同を嫌う御園が、一体どうやって会う口実を作ってくれるというのだろう。生徒と教師としてではなく、年の離れた友人として、という体で会うのだろうか。というか、そもそもまだ会うとも言っていない。
(分かんないよ〜……)
それ以来その話題については避けられてしまって、聞けずじまいのまま、例の夏休みが訪れた。
「おはよう。明日から何の日か知ってる?」
『……夏休み、だな』
「そうだよ。先生、夏休みまで待て、って言ったよね。ちゃんと待ったよ、俺」
ひたすら耐え忍んだ2ヶ月間だった。モーニングコールと、たまに出てくれる通話だけで寂しさを紛らわせて、文化祭で撮った写真を見ては彼のことを想った。片想いでこれだけ長続きしているのは、我ながら不思議だとさえ思う。でも、それくらい彼のことが好きなのだ。
『今日は暇か』
「うん」
『……今日の仕事は早めに切り上げる。終わったら連絡する』
「え、それだけ?」
『だけじゃない。もう少し待て』
「まだ待たせるのー!?」
『これで最後だ。いいな』
そう言って本日のモーニングコールは終了した。
そして、昼の3時過ぎ。部屋で課題をこなしていた千晃の携帯に、電話が掛かってきた。相手は御園だった。
「もしもし?」
『今から出てこれるか』
「へっ?」
『……課題を持って、○○町のオブジェの前で待ち合わせだ。いいな』
「は、はい……」
言うだけ言って通話を切る。慌てて服を着替えて、やりかけの課題をまとめて鞄に詰め込む。
「悪いな、急に呼び出して」
「…………先生」
よく見慣れたスーツ姿で、オブジェの前に御園が立っていた。
「行くぞ」
「ど、どこに?」
ようやく会えた感動もそこそこに、御園がすたすたと歩き始める。着いていった先はファミレスだった。大人の御園と若者向けのチープな店構えの組み合わせが、何だか不釣り合いでおかしかった。席に着いて、御園が千晃を見て口を開く。
「奢ってやるから何か頼め。夕飯に支障が出ない範囲で」
「いいの?」
千晃が目を輝かせると、御園は眉を顰めながらメニューをスッと差し出してきた。
「俺を何だと思ってる。いい大人が学生相手に何も食わせん訳にはいかないだろ」
「別にいいのに……」
と言いつつ、遠慮なく山盛りポテトとドリンクバーを頼む。御園もドリンクバーを頼んでいた。御園にドリンクを頼まれた千晃は、ドリンクバーに行って彼の分のコーヒーと自分のカルピスソーダを取ってくる。戻ると、御園はパソコンと向き合っていた。
「俺も仕事してるから、何か分からない所があったら聞け」
「はぁい」
なるほど、つまり「勉強を見てやる」という口実な訳だ。彼らしいというか、何とも合法的で健全な理由づけだ。大人しく課題に取り組むことにして、ノートと問題集をテーブルの上に広げる。
紙の上をペンが走る音と、キーボードを叩く音が店内のBGMと話し声に混ざって耳に届く。言葉は無かったが、心地良い時間だった。時折、こっそりと彼の顔を覗き見る。彼は全然変わっていなかった。
「……先生、全然変わんないね」
「そういうお前は少し背が伸びたな」
「え、気づいた?」
「ああ」
あ、ダメだ。ぎゅうっと胸が締め付けられて、今すぐにでも抱き締めたい衝動に駆られる。こんな人目の多い場所でそんなこと、到底出来るはずがない。
ノートの端っこに3文字書きつけて、ずいっと御園の方へ寄せる。何事かとそれを見た彼は、無言で傍らにあったペンを取って下に何か書き足した。
『バカ』
思わず頬が緩む。一向に芳しい返事が来なくても、返事が貰えるだけで嬉しかった。溢れる愛おしさは留まる所を知らず、どうにもやり場のない想いをコツンと彼の脚にぶつけた。
その後も一週間に二回程度の頻度で、彼と集まって勉強をする日々が続いた。
「模試の結果、どうだった」
「……第一志望がB判定止まりなんだよね」
「そうか……もう少しだな」
「頑張ってるんだけどなぁ」
手応えはあるものの、まだ確実に合格出来る範囲ではない。努力がなかなか実らなくて歯痒い思いをしていた。勉強で躓いたのはこれが初めてで、かなり悔しかった。
「お前はよく頑張ってる。焦らなくていい」
テーブル越しに、御園が千晃の頭を元気づけるように撫でる。久しぶりに撫でられて、何かも忘れて喜んでしまった。
「先生、大学受かったらなんかご褒美ちょうだい」
「いいぞ。ただし欲しい物は受かってから考えろよ」
「なんで?」
「それで気が散ったら困るだろう」
「そんなに子供じゃないよ、俺」
「どうだかな」
御園の小馬鹿にしたような笑みに、ムッと唇を尖らせる。子供っぽい千晃をあしらう御園。泣いても笑っても、あと半年でこの関係も終わりだ。受験に響くといけないので、悲観的な方には考えないようにしていた。何より、彼の優しい顔を見ていたら、そんな風にはとても考えられなかった。これが自惚れではないことを切に祈った。
夏休みが終わってしばらく経った頃に、ようやく第1志望校のA判定が出た。喜んだ勢いで御園に電話を掛けた所、とんでもないアクシデントが起こってしまった。後から冷静にカレンダーを見返すと、彼はヒートの真っ只中だった。
『すまなかった。冷静さを欠いた。忘れろ。』
『やだ』
『忘れろ』
『墓場まで持ってくから安心して』
後日届いたメッセージに半笑いで返信すると、キレ散らかした(本人は隠せていると思っていそうだが)御園から鬼電が掛かってきて大笑いした。気まずさは向こうの方が遥かに上だったようで、出た瞬間に声を詰まらせた御園にさらに笑いが込み上げて、案の定怒られた。
そんなこともありつつ、気がつけば受験の日が近づいてきていた。流石にもう会わないよな、という千晃の予想を裏切って、受験の三日前に御園から呼び出しがあった。
「ほら。持ってけ」
「これ……」
手渡されたのは学業成就のお守りだった。有名な神社の物ではないが、しっかりとした作りをしていた。ぽす、と帽子の上に手のひらが乗る。
「お前なら大丈夫だ」
何気ない一言に、張り詰めていた糸が切れて涙が出た。本当は不安で仕方がなかったのだ。道端で泣き出した千晃を、御園は人目も憚らずに抱き締めてくれた。
「相変わらず泣き虫だな、お前は」
背中を擦りながら、諦めたように御園が笑う。コートに顔を埋めながら、嬉しいやら不安やらが綯い交ぜになった感情を、ひたすら涙とともに流した。
そうして、いよいよ決戦の日が訪れた。
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