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番外編2

「あー………………嘘だろ」 普段から朝には弱い方だが、今朝は殊更起きられなかった。泥の中から意識を引きずり出した頃には、普段起きる時刻を一時間過ぎていた。原因は分かりきっている。枕元に常備してある抑制剤を口に放り込み、噛み砕きながら端末を手繰り寄せる。謝罪から始まり、朝礼に出られないこと、出勤はどうにか間に合わせる旨をメッセージで職場に連絡してから、瞼を閉じて深呼吸を繰り返す。幸いなことに、今日は一限に授業が入っていなかった。 (今日は無理矢理にでも出るとして、明日明後日は土日だから、今回はヒート休暇を取らなくても良さそうだな……) 栄司(えいし)の発情期は2、3日目に一番症状が重くなる。それ以外の日は、薬を飲めば少々熱っぽくなるだけなのでどうにか誤魔化せる。要するに今日を乗り切ってしまえば良いのだ。 しばらく横になっていると、身体の奥の方から広がっていた疼きが徐々に治まっていく。頭が少しぼうっとするが、これぐらいなら仕事は出来そうだ。栄司はベッドからのろのろと体を起こし、鈍い動きで支度を始めた。 帰宅して諸々、籠城するための準備を万全に整えてから、ドサリと力尽きるようにベッドへ倒れ込む。今日一日中抑え込んでいた欲望が、待ちきれないとばかりに身体の内側で暴れだした。もう何も気にする必要はない、我慢しなくていい。そう思った途端、頭の中身がどろどろに融けていく。 「は、は……っ」 下着の中に手を突っ込むと、自身は既に緩く反応を見せていた。後ろはもう随分前からとろとろと蜜を溢れさせていたが、そこに触るのはまだ早い。誰に見られている訳でもないのだからと、下着を脱いで大胆に脚を開いて仰向けになる。秘所が空気に晒される感覚にさえ感じて息を呑んだ。 「んぁ、は……あ、はぁ」 右手で幹を軽く上下に扱くと、瞬く間に先走りが溢れて栄司の手をしとどに濡らす。にちゃ、と粘着質な音が鼓膜を犯して、自身を責め立てる動きがどんどん早くなる。気持ち良い。のに、上り詰めるにはどこか物足りない。そう思った時には、自然と左手が胸元に伸びていた。 「……ふ、う、あ、んん」 シャツの上から、まだ芯のないそれを爪先でかりかりと緩く引っ掻く。じんじんと痺れるような快感が響いて、もどかしさに腰が揺れる。苛められてピンと勃ち上がった乳頭を、今度は指の腹で優しく捏ねる。 「んぁ、あっ……あ、あ」 ベッドルームに上擦った自分の声が虚しく響く。誰に聞かれる訳でもなし、恥じらいも何もあったものではない。一人でする時はわざわざ声を堪える必要も無い。今まで付き合ってきた相手からは「可愛げが無い」だとか、はたまた「無理矢理犯してるみたいで興奮する」だとか散々な言われ方をしてきたが、結局の所ただ自分が恥ずかしいだけなのだ。アルファに組み敷かれて情けない声を上げるなど、プライドが邪魔をして出来ない。 「あっ、あー、はあ、う、イく……っ」 乳首を摘み上げて強めに引っ張ると、がくんっと腰が跳ね上がって、薄い精液が栄司の手を汚す。後孔からは精液より多いほどの蜜がとろとろと溢れ出して、シーツをしとどに濡らしている。快楽の波が緩やかに引いていくにつれ、突っ張っていた脚から力を抜いて腰をシーツに下ろした。じっとりと湿って気持ちが悪い。 (……くそ、足りない) 一度前で達した程度では、発情期の渇きが満たされるはずもない。せいぜい強火から中火になった程度だ。気は進まないが、そろりと濡れそぼった後ろに手を伸ばす。と、枕元に置いてあった携帯が震えた。 「っ、誰だ、こんな時に……」 そんな微弱な振動にさえ、今の敏感な身体は反応してしまう。間の悪い相手に悪態をつきながら、身体を横向きにして端末を引き寄せる。表示されていた名前に、一瞬思考が停止した。冷静になって考える前に、指が勝手に応答ボタンを押す。 『……御園(みその)先生? 今大丈夫だった?』 「………………二階堂(にかいどう)」 スピーカーにすると、気遣わしげな低い声が聞こえてくる。栄司が名前を呼びながら、ゾクゾクと背筋を震わせていることなど、彼はきっと知らないだろう。返す声に色が乗らないように返事をすると、向こう側の声がぱあっと明るくなる。健気で可愛らしい大型犬のようだ。栄司は彼のそこを存外気に入っていた。 『ねえ先生、俺この間の模試でA判定出たんだよ! すごくない!?』 「……前に言ってた志望校のか?それは、すごいな。頑張ったんだな」 『えへへ、でしょ! 先生に褒めてほしくて、つい電話しちゃった』 (可愛いやつだな……) ふふ、と無意識に零れた笑みをマイクが拾ったらしい。弾んでいた声が少し調子を落とす。 『絶対子供っぽいって思ったでしょ、今』 「現に子供だろう」 『……あと半年だからね。俺のこと、子供なんて言えるの』 悔しそうに潜められた声が、ぞろりと背中を撫でる。湿った吐息がマイクに乗らないように、口元を掌で覆い隠した。白濁をシーツに擦り付けて、見られる訳でもないのに恐る恐る、下肢に手を伸ばす。彼のことを子供として見るなど、本当はとっくに出来なくなっていた。 「……まだ、冷めないか」 『何言ってんの? 当たり前だろ。先生、俺のこと何だと思ってるんだよ』 ぬるり。 「……教え子」 『それだけ?』 ぬぷ、ぬち。 「……ああ。態度のデカい、教え子だな」 『ちょっと、酷くない? それ』 「っ、ふふ」 くぷっ、ぬぽっ、ちゅぷっ。 『…………先生?』 「っ……ん?」 『あの、違ってたら今度会った時に殴ってもらっていいんだけど……』 ごくん、と唾を飲む音が聞こえて思わず口角が上がる。 『……もしかして今、エッチなことしてる?』 (ああ、バレたなぁ……) 姿を見られていないからか、羞恥は大して湧いてこない。それどころか、背徳感がさらに興奮を煽る。背が勝手にしなり、中がきゅうっと指を締めつけた。腰に甘い痺れが走ってガクガクと震える。軽くイっているのかもしれない。 「ぁ、ふふ……どうして、そう思った」 『え? いや、なんかやけにゆっくり喋るし……声も、吐息多めっていうか、いつもより高い、気がするし……そう思ったらなんか、そわそわしちゃって』 「〜〜……っ、はは、そうか」 『せ、先生? えっと、怒ってる……?』 勘が良いのか悪いのか。そこまで見当がついているのに、栄司本人が肯定するまでは信じられないのだろうか。不安げな声に応える代わりに、口を塞いでいた手をそっとどけて、端末を少しだけ近くに寄せる。 「んぁっ、は……」 『……先生? なに、からかってんの? ……ちょっと待って、嘘だろまさか、本当に?』 「あ、あ……は、二階堂」 『――っ!』 息を呑む音がする。少し間を置いて、ガサガサと何やら物音がした後、必死に欲を押し殺したような、低い声が響いてきた。微妙に音質が変わっている。 『なんで、そんな時に出るんだよ……俺の電話なんか、無視してくれても良かったのに』 「ん、お前だから、出たんだぞ……?」 『…………そう、なんだ』 「ああ、っ……不快になったら、切ってくれていい」 無言で返される。そんなこと言わせるな、と言外に言われている気がした。 「ふ、付き合ってくれるなら、このまま繋いでおいてくれ……録音は、するなよ」 『し、ないよ、したいのは山々だけど……先生。一応訊くけど、テレビ通話は』 「それはダメ。大人に……なってから、だ」 腰に直接響く、艶がかった雄の声色だ。物足りなくなって、指を増やして疼く後孔に突き立てる。ぐぽ、とはしたない水音が鳴ったが、果たして向こうには届いているのだろうか。 『……今、どこ触ってんの?』 「ん……ケツの中、指で、掻き回してる」 (想像、してるんだろうなぁ……) 二階堂の想像の中の自分は、どんな淫らな顔をして、彼を誘っているのだろう。 『何本?』 「い、ま……三本目、入れた、ぁ」 『……一人でする時、いつも指入れてるの?』 「いや……後ろ、使うのは、っんん、ヒートの時、だけだな」 『そっか……気持ちいい?』 「ん……気持ち、い」 口に出すと、それだけで余計に感度が上がったような気がする。うつ伏せになって腰を揺らしながら、指を激しく出し入れする。何も技巧などありはしないのに、彼の声を聞きながら、彼に聞かれながらしているという事実が、栄司を高みに追い詰めた。肉の筒が指に吸いつくように絡みついて、縁を拡げながらぬるぬると滑る内壁を虐める。 「あ、あん、あぁ、っは……に、かいど」 『なに、先生』 「――っ、はあっ、イっく、もうイく、イくッ、うぅう〜……ッ♡」 断続的な波が来た途端、目の前が真っ白になった。全身が激しく痙攣して、快楽の渦に呑み込まれたみたいに、息が出来なくなる。しばらく痙攣が治まらなくて、受け止めきれないほどの気持ちよさに、一人でに涙が零れて視界が滲んだ。 「っはあ、はぁ、はーっ……あー、ん、はっ、は……」 『……エロ過ぎるでしょ、先生』 「んんー……思ってたのと、はぁ、違ったか……?」 『違った、けど……めちゃくちゃ、イイな、って、思いました……』 「ふふ、ぅ、なん、だそれ……」 取り繕う余裕もなく喘いでしまったが、幻滅されることは無かったようで一安心する。劣情を隠そうとして隠しきれていない声が、栄司の常識と理性の枷を剥ぎ取っていく。 「……なあ、お前はしないのか?」 『へっ!?』 栄司の誘いに、二階堂が素っ頓狂な声を上げる。再び来た発情の波に攫われて、もう建前を維持している余裕はなくなっていた。声が聞きたかった。自分の声に欲情した男の声が。 『……っ、だ、ダメ!』 「んん、なんで」 『俺だっていっぱい我慢してるんだから、先生も我慢すればいいんだ! じゃあね! バイバイ!』 一方的にまくし立てて電話が切られる。声の残響が鼓膜に響いた。きゅうっと疼く腹の中に、頭の中身がグズグズに溶けて涙として溢れ出てきた。 (我慢なんか出来るわけ、ないだろ……) 発情期の身体に、随分と酷なことを言ってくれたものだ。ブランケットを身体にまとわりつかせて、衝動を少しでも満たそうともがいた。 ――会いたい。会って、後ろから抱き締めて、それで。 黒い首輪が忌々しいと思っていた。弱者の象徴であるそれを、自分が着けていることに絶望しながら、それでも強くあろうとした。 今は、これがあって良かったと思う。これがなかったら、きっと常識や理屈なんか捨ておいて、彼に首を差し出していただろう。 アルファなら誰でもいいわけじゃない。彼が良かった。自分を求めて止まない、健気で誠実なアルファに息の根を止められたかった。彼だけのオメガとして生まれ変わりたかった。それが叶わないことが、こんなにも悲しい。そう躾たのは自分だというのに。 「う……うぅ〜っ」 泣いても渇きは癒されない。発情期で馬鹿になった情緒が煩わしい。頭はまだ冷静なのに、心はアルファを求めて泣き叫んでいた。 (足りない、欲しい、欲しい……) 呪縛のように求めていたものは、既に不特定多数のアルファではなくなっていた。一人の顔を思い浮かべて、罪悪感に駆られながら指を突き入れる。 「は、っあ」 自分の指には変わりないのに、涙が出るほど気持ちが良かった。 日曜日の夜。少し動けるようになって、携帯を確認すると、通話履歴が残っていることに気がついて愕然とする。しかも、いつもなら雑談程度でも30分は話しているのに、15分とやけに短い。 「夢じゃ、なかったか…………」 曖昧な記憶の片隅に、彼と一線を越えた場面が残っていた。幻覚であれ、と願っていたのに、現実は非情だった。未成年にあんな声を聞かせるなど、教師としてあるまじき行いだ。 『すまなかった。冷静さを欠いた。忘れろ。』 忘れろと言われて忘れられるものでもあるまいが、駄目元でそう打ち込んで送った。案の定、返事は簡潔かつ分かりやすく、『やだ』の一言だった。

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