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番外編8
目の前にあるのは、千晃 にとっては見慣れた家だ。栄司 は少し強ばった表情で千晃の後ろに立っている。
「いい?」
「…………ああ」
頷く栄司を気遣いつつ、ガチャリと扉を開け、中に入る。
「ただいま」
「お邪魔し」
「――やっだ千晃、めっちゃイケメンじゃん!」
栄司が挨拶を言い切る前に、階段の陰から姉が姿を現し、千晃に飛びついてきた。その勢いのまま、相変わらずの腕力で千晃を締め上げる。
「姉ちゃん、痛い……」
「ああ、ごめんなさい。初めまして、姉の明美 です」
「初めまして。御園 栄司です」
「いやー、声までイケメン。あんた流石ね」
「何が??」
開幕からフルスロットルだ。客人に対する礼儀がなっていない。まあこれから家族になるからいいのかな、と楽天的に考えていると、リビングに続くドアががらりと開いた。
「ちょっと、何? 帰ってくるなり騒がしいったら」
「あ、ただいま母さん」
「おかえり。あら、御園先生」
「……ご無沙汰してます」
母と栄司が邂逅する。千晃は背後から聞こえてくる硬い声音に苦笑した。
千晃が二十歳になる誕生日の、約一か月前のことだ。
「番になるならご実家にご挨拶に行かなきゃならんだろう。いつにする」
そう言い出したのは栄司だった。携帯から顔を上げて、彼の顔を見つめる。
「来てくれるの?」
「当たり前だろう。お前の人生を貰う訳だからな」
「やだ、イケメン……」
「茶化すな。その気はあるのか」
「ありまくるに決まってんじゃん」
誕生日の翌日、彼の項を貰い受けるという約束をしたのは千晃の方からだった。それを今さら反故にする気などさらさら無い。わざわざ、実家まで挨拶に来てくれるという気持ちが嬉しかった。
「母さん達に聞いてみる。栄司さんの都合良い日教えて」
「……その前に一ついいか」
「何?」
栄司が神妙な面持ちで口を開く。
「俺と付き合ってることを、ご家族には言ってあるのか」
「誰とは言ってないけど、付き合ってる人がいるのは一応知ってるよ」
あっけらかんとそう言うと栄司は目を剥いた。胸倉を掴んで顔を寄せられる。珍しく手を出された。
「なんで言ってないんだ!?」
「別に言うことでもなくない?」
「あるだろ! 元担任だぞ!」
そう言われても、栄司が動揺する理由がよく分からない。元担任だろうがなんだろうが、高校時代にはまだ付き合っていなかったのだから、何も問題は無いはずだ。しかし栄司はそれで納得してくれなかった。
「それを知ってるのは俺達だけだ。傍から見たら、高校のうちから付き合ってたと思われるに決まってる」
「そうかなぁ……」
うちの家族のことだから、説明すれば理解してくれると思うのだが。彼はやはり不安らしい。
「お母さんとは面談で顔まで合わせてるんだぞ。言い逃れできん」
「する必要ないじゃん」
「……反対されると考えたことはないのか」
「ない」
年の差があろうが、元教え子と教師の関係だろうが、何も関係無い。千晃が愛して、千晃を愛してくれた人ならば、家族は納得して受け入れてくれる。何の疑問もなくそう思えた。栄司は指で眉間を押さえている。
「…………一応、ご挨拶に伺う前に話を通しておいてくれないか。俺とお前の関係も含めて」
「うーん……まあ、そこまで言うなら分かったよ」
渋々承知すると栄司はほっと溜息を吐いた。普段は男前なのに、こういう所は意外と小心者だ。慎重というかなんというか。
その晩、千晃は実家に電話を掛けた。出たのは姉だった。
「もしもし?」
『どしたのー? 電話なんて珍しい』
「いや、近々そっちに帰ろうと思って」
『あらそう。じゃあ母さんに言っとくわよ』
「うん。あとね、俺、そろそろ恋人と番になろうと思ってて」
『へー……えっ、番? あんたが?』
「……姉ちゃん、俺のこと何だと……」
『ごめんごめん、だって想像つかないんだもん。じゃあそれも母さんに言っとく』
「……あー、やっぱ自分で言いたいから替わってくれる?」
姉は姉で楽観的だし楽天的過ぎる。自分が言えた立場ではないが、もう少し物事を考えた方がいいと思う。姉に話しても話が拗れて伝わってしまう気がしたので、母に自分で直接話すことにした。
『もしもし』
「ああ、母さん? あのさ、俺今度そっちに帰ろうと思うんだけど、紹介したい人がいるから連れて行ってもいい?」
『あらぁ、あんたが?』
(いや、あんたもかい)
家族からの自分に対するイメージは一体どうなっているのだろうか。そこまでちゃらんぽらんな生活をしていた覚えは無いのだが。
「えーと……そんでね、相手が……母さんも知ってる人なんだけど」
『あら、誰かしら。萌音ちゃん?』
懐かしい名前が出てきた。が、違う。
「福田さんは西と付き合ってるし違うよ。そうじゃなくて……御園先生って覚えてる?」
『覚えてるわよ〜! 高一の時の担任の先生でしょ? あんた、一時期先生の話ばっかりだったじゃない』
「う、うん……あの、その人」
『…………あらまあ〜』
どんな反応だ。期待半分、怖さ半分でさらなるリアクションを待つ。
『御園先生って独身だったのねぇ』
斜め上の反応にかっくりと肩を落とす。
「そこ?」
『まあいいじゃない。面談の時に会ったくらいだけど、真面目そうな方だったし』
好感触にほっと一息つく。これなら会わせても問題なさそうだ。
「そっか。良かった。本人にも伝えとく」
『やだ〜、恥ずかしいから言わないでよ』
「……ま、そういうことだからよろしくね。じゃ」
話が長くなりそうな気配を感じ、先手を打って電話を切った。その足で寝室へ向かい、先にベッドに入っていた栄司に声をかける。
「大丈夫そうだったよ」
「そうか……」
今夜電話を掛けることは伝えてあったので、緊張していたのだろう。どことなく強ばっていた表情が、千晃の一言にふと和らいだ。
「だから言ったじゃん、俺の家族だから大丈夫だって」
「そうだな……」
ベッドの中に入り、栄司の身体を抱き寄せる。安心した彼がするりと冬の日の猫のように身を寄せた。
そして数日後、冒頭に戻る。
「本当にお久しぶりねぇ。その節は千晃がお世話になりました」
「いえ、こちらの方こそ、千晃さんには良くしていただいて」
(千晃"さん")
慣れない呼び方にじっと彼の方を見る。栄司は視線を感じてちらりと横目を向けたが、何も言わずに再び母の方へ視線を戻した。
「本当に付き合ってるんですか? 千晃が泣き落としたとかじゃなくて?」
「姉ちゃん!」
姉の胡乱気な言葉に非難の声を上げると、横で栄司がクスリと小さく笑った。
「はい。私自身の意思で、千晃さんとお付き合いさせていただいています」
「そうですか……ごめんなさい、失礼なこと言って」
「いえ。姉弟仲が良くていいですね」
微笑ましそうに笑われて少し気恥ずかしい。居間のテーブルを囲んで座り、母と栄司が向き合う。世間話から入った二人を眺め、手持ち無沙汰に茶を啜った。
(栄司さんめっちゃ猫被……外向きだなぁ)
母と談笑する栄司は普段の3割増しで表情が明るい。ずっとこれだったらもっと人気が出ていただろうに、と思ったが、彼がそうすることにエネルギーを使うタイプなのは知っていたので言わないことにした。
「で、千晃とはいつから?」
雑談の流れで、いよいよ核心に迫る話題に差し掛かる。栄司は表情はそのままに一瞬だけ息を詰まらせて、助けを求めるように千晃の方に視線を寄越した。
「……その辺りの話は、任せていいか……」
そう言う彼の耳の縁が赤く染まっていたので、千晃は彼から話を引き継いだ。
「栄司さんとは高校を卒業してから付き合い始めたんだ。って言っても、俺は高校の時から栄司さんのことが好きだったんだけど」
「あらあら」
だからあんなに楽しそうだったのねぇ、と言われて思わず頭を搔く。我ながら現金な生徒だった。
「在学中から栄司さんに告白しまくって、卒業後にようやくOKもらって付き合えた感じ」
「やっぱり泣き落としじゃない」
「違うし!」
厳密に言うと彼の前では泣きまくったし、泣き落としたと言われても仕方がない部分はある。
「これから、番になる予定はあるの?」
「あるよ。今日はその話をしに来たんだ」
居住まいを正して母の方を見る。母はいつもと変わらず朗らかな表情で千晃を見守っていた。
「俺、20歳の誕生日が来たら、栄司さんと番になります」
「……千晃もそんな歳になったのねぇ」
母は感慨深そうに溜息を吐いた。千晃に向かってニコリと微笑んだ後、栄司の方に身体を向ける。
「御園さんは、それでいいんですか?」
「……はい」
母の問いかけに頷いて、栄司も姿勢を正す。
「私は今年で29になります。千晃さんとは9も歳が離れている。世間体や、将来的に子供のことを考えると、もっと若い人と番になった方がいいとは思います」
以前の千晃ならここで「そんなことはない」と口を挟んでいただろう。しかし、今の千晃にはもう彼が何を言いたいのか分かっていた。
「……それでも、私は千晃さんと一緒に生きていきたい。私と千晃さんが番になることを、どうか許してください」
お願いします、と綺麗に頭を下げる栄司は男前だった。姉と母の方を見て、千晃は思わず笑ってしまった。とんとんと彼の肩を叩き、顔を上げさせる。恐る恐る体を起こした栄司は、姉の方を見てギョッとした。
「なんで姉ちゃんが泣いてんの。栄司さんがビックリしてるじゃん」
「だって感動しちゃって……」
相変わらず情緒が忙しい人だ。目を潤ませながら、テーブルから身を乗り出して栄司の方に顔を寄せる。
「年齢なんか関係ないわよ! お互いに好きならそれでいいじゃない」
勢いづく姉を宥めながら、母は優しい表情で栄司に話しかける。
「……御園先生のお話は、千晃からよく伺っていました。優しくて真面目で、しっかりした考えを持った方だと聞いています」
「……恐縮です」
「そんな方に息子を任せられるなんて、光栄なことです。こちらこそ、息子をどうぞよろしくお願いいたします」
母の声は穏やかだった。いつもゆったりしている印象があったが、こんな時には威厳のある雰囲気が出るものなのだなと思った。
「子供のことはね、二人でよく話し合って決めてちょうだい。私達が口を挟むようなことじゃないわ」
「うん」
話が一段落ついて、千晃はお菓子を食べながらしばらく姉と話していた。内容はもっぱら姉の彼氏の愚痴だったが。
「いいわね〜、あんたの彼氏はイケメンで」
「姉ちゃんも頑張って捕まえれば?」
「無理無理。このレベル見せられたらハードル高いわよ」
「別にいいんでしょ? 特にイケメンじゃなくても」
「まあね。でも顔に出るのよ、性格って。分かる?」
「分かる……」
どうでもいい会話をしている間に、栄司は母と何やら大事な話をしている様子だった。
「御園さんのご両親にもご挨拶に行かないと」
「あ、いえ……私は父がいなくて、母も入院中ですし……」
(……そうなんだ)
初耳だ。そういえば、彼から家族の話を聞いたことはない。
「あら、そうなの。それは大変ね……何か困ったことがあったら、いつでもうちを頼ってくれていいからね」
「ありがとうございます。母には、私から伝えておきますので……退院してから、また顔合わせの機会を作っていただければと」
「そうねぇ。お体に障ると良くないし、その方がいいかしらね」
「……あの、失礼ですがお父様は」
「ああ、あの人はね、単身赴任だからなかなか帰ってこられなくて。今日も来たがってたんですけどねぇ〜」
「そうでしたか。またお会いしたいです」
「是非会ってやってください、泣いて喜びますから」
千晃の父は他県に単身赴任中だ。年に数回帰ってくるが、その都度インパクトのあるお土産(本当に日本産なのか疑わしい物が多い)を買ってくる。そのせいで、家には変な置き物やら絵やらが多かった。
「あ、栄司さん時間大丈夫?」
「……ああ、そろそろ行かないとまずいな」
栄司は午後から仕事の予定が入っていた。教師は休みという休みがあまり無いらしい。忙しい合間を縫っての面会だった。
「あらあら、もう行っちゃうの?」
「晩御飯も食べてけばいいのに〜」
姉は目の保養が、とほざいているが、母は本気で話し足りなさそうだった。
「まあ、また来るから。ね、栄司さん」
「ああ。是非、またお邪魔させてください」
「勿論よ。第二の実家だと思って気兼ねせずに来てちょうだい」
「来る時は連絡してくださいね! 絶対家にいるようにするから!」
互いに別れを惜しみつつ、賑やかで忙しない実家を後にする。車に乗り込み、二人きりになるといつものゆっくりした時間が流れ出した。
「お疲れ様、栄司さん」
「ああ、お疲れ」
家に向かう最中、栄司はぼうっと窓の外を見ながら呟いた。
「……お前は、良い家庭で育ったんだな」
「え?」
「……どうしてお前がそんなに明るい人間なのか、よく分かった。良い家族だな」
「……えへへ」
家族が褒められると自分も嬉しくなる。
「栄司さんも、家族になるんだよ」
そう言うと、栄司は豆鉄砲を食らったような顔をした。
「……そうか。そうだな」
ふわ、と嬉しそうに笑った顔がいっとう可愛くて、運転中でなければキスしているところだった。代わりに片手を握り締めると、栄司も力を込めて握り返してきた。
(栄司さんと家族かぁ……)
じわ、と幸せな感覚が湧いてくる。この気持ちを永遠に忘れないようにしようと心に誓った。
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