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第3話

カイと俺は本屋に来ている。 専門書のコーナーで動かなくなってしまったカイを置いて、俺は雑誌のコーナーへ移動した。 料理の雑誌をパラパラ読んで作れそうなものに目星をつける。 材料や分量を覚えたので雑誌を棚に戻そうとしたら、何かに当たってしまった。 「スミマセン!」 「いえ…こちらこそスミマセン」 何だろうと目線を下げると、小柄な女性とぶつかった様だった。 相手の謝罪になんとなしにこちらも謝罪の言葉を述べると、相手の顔がさっと赤くなる。 背は高い方だし、まだ研修生と言えど職業柄モテる方であるためこういった事も多い。 肉食系だとこのあと声を掛けられたりと色々と面倒なので、俺は足早にその場をあとにする事にした。 すぐに別の本のコーナーで携帯を取り出して先程覚えたレシピをメモする。 ポケットに携帯をしまうと、先程の女性が近くに居ることが分かってこれはマズイと思いすぐに専門書のコーナーにカイを迎えに行く。 「カイ!もう決まった?」 「んー。もうすこし…」 「どうせ全部買うんでしょ?家でゆっくり読めば良いんじゃない?」 「んー」 正に暖簾に腕押しという感じで、生返事を返してきたカイの側に置かれているカゴの中には数冊分厚い専門書が入っている。 背表紙の文字を軽く読むと医学系でない物もちらほらと混ざっていた。 手に持っている本を取り上げると不満げな顔をしたが、無視してレジに急ぐ。 レジに本の入っている篭を置くと、店員は慣れたもので大きな紙袋を二重にした状態の物を持ってきた。 ピッピッというバーコードをスキャンしている音を聞きながらカイが財布を取り出そうともたもたしている。 「端が引っ掛かってるんじゃない?はい!」 「ん…。ありがと」 バッグのファスナー部分で財布が出てこないので、取り出すのを手伝ってやると少しムッとしつつもお礼を言ってきたので恥ずかしかったのかもしれない。 カイは財布からカードを取り出してトレーに置いた。 当然カードの色はそのカード会社で一番限度額が高いものだ。 ここでもお坊っちゃまの片鱗が見てとれる。 「ありがとうございました~」 店員からの声を背に店を出た。 今のところ先程の女性が着いてきている様子が無いのでほっと胸を撫で下ろす。 自慢ではないがそこそこ顔が良いと言われる部類ではあるので女性に声をかけられる機会もあるが、利用価値のない人間とはなるべく関わりたくない。 カイもカイの兄である親友も、元々は利用価値があると思って付き合っていたのだが最近は俺も丸くなったのかカイのお世話が楽しくて仕方がない。 本を取り上げたせいかカイが膨れっ面で横に立っている。 怒っても全く怖くはないし、そもそもカイが買った本は自分が持つわけではではなく代わりに持っているのは俺だ。 面倒だなと一瞬思ったが、ここは機嫌を取っておいた方がいいだろう。 「ごめんね。家に帰ったらホットケーキでも焼いてあげるから」 「ん。ハチミツじゃなくてメープルシロップがいい…」 「カイの好きなダークね?この間お取り寄せしておいたよ」 凄く偏食なカイは外食を好まない。 外食で食べられる物が少ないので外食をしようにも決まった店にしか行かないし、その数少ない店もここからではどこも遠いときた。 そのため帰ったらホットケーキを焼くと言うと密かに機嫌が直ったようだ。 カイは凝った料理より少し手抜きに見える様な家庭料理が好きなようだった。 実家では凝った料理を母親が作っていたのか、家政婦的な人が居て作ってもらっていたのか定かではないが家庭料理という概念があまり無いようだ。 特に偏食なカイが食べる様な料理は家庭料理とは呼べなかっただろう。 草食動物みたいな物を好み、肉類は嫌いだし唯一食べる肉類は加工肉で炭水化物もあまり取らない。 しかも勉強以外は不器用と絵に描いた様なダメ人間なカイを丸め込むなんて赤子の手をひねる様な物だ。 「ほら車こっちだよ」 「ん…」 密かに機嫌が直ったカイの手を取って歩き始めると嫌がる事なく素直に手を繋がせてくれた。 カイの母親はカイにベタ甘なので運転免許を持っていないカイに高級外車を買い与えていた。 当然カイは運転できないのでその高級外車は免許を持っている俺が運転することになる。 無駄にデカイ外車をパーキングに停めてあるので遠くから見ても車の場所が丸分かりだ。 遠くから見ていると時たま止まって写真を撮っている人も居る。 珍しい車種なのか、こうやって勝手に写真を撮られる事もしばしばあるが今のところ実害などはないので放っておいているのだ。 元々自分の車でもないと言うのが大きい。 カイと荷物を先に車に載せてから、パーキングのお金をカイの財布から勝手に出して精算機に入れる。 ガチャンとバーが下がる音が聞こえてから車に乗り込んでエンジンをかけた。 「どこか行きたい所ある?」 「んー」 助手席に座らせる時に本を1冊渡したものを読みはじめてしまったカイに話しかけるも生返事が返ってきた。 こうなる事は分かっていたので気にせず車を発進させる。 冷蔵庫の中身を思い出しつつスーパーに寄って一週間分の買い物をした。 カイは車のシートから動かないのは分かっていたので、自分だけカイの財布を持ってスーパーに入る。 買い物はカイのカードがあるので値段など気にしなくてもいいが、ついつい癖で値段を見ながら買い物をしてしまう。 「あ、これはカイが好きなやつだ」 野菜コーナーでカイの好きな野菜を見つけたので迷い無く数個かごに入れる。 頭の中で何の料理にするとか、冷凍しておこうとかを考えながら野菜を選んで今度は魚、肉と回って最後はデリカコーナーに着いた。 カイには作り置きした物を出したりもするが、やはり出来合いの物は簡単に食べられるので便利でよく買っていたものだ。 一応カイの食べられそうな物と、今晩食べるおかずを買うことにする。 作り置きしておけば、平日何もしないカイが居ても晩飯に困ることはないのだが今日は少し楽がしたかった。 「合計8,352円です」 「あ、カードで」 そこそこいいスーパーなので俺が気にしながら買い物をしていてもお会計もいいお値段だ。 財布からカードを出して代金払うと、サッカー台で袋に品物を入れていく。 ガサガサと袋を鳴らしながら車に戻ると、カイは俺が買い物へ行った時のままの体勢で本を読んでいたと思ったが靴を脱いでシートに足をあげて家でのリラックスできる体勢をとっていた。 それを見て思わず小さく笑ってしまう。 「カイ…水分補給もしなきゃだめだよ」 「んー。大丈夫」 後ろのシートに荷物を乗せてから運転席に座る。 さっき買った水のペットボトルの蓋を開けて手渡そうとしたが断られてしまった。 家に居る時だったら返事もしないほど本に集中しているのに、やはり車の中だからかいつもより周囲に気を配っているようだった。 俺は渡そうとしていた水のペットボトルをドアの所にあるポケット部分に差してカイの事は気にせずエンジンをかけて再び車を発進させる。 カイが真剣に本を読んでいるのを横目に景色はどんどん見慣れたものへ移り変わっていく。 「ほら…カイ?家に着いたよ」 「分かった」 車は何事もなく高級住宅街の中を進み、俺達が住んでいるマンションについた。 駐車場に車を停めてカイに声をかけるとすんなりと本を閉じて車から降りていく。 車の横に立っている姿だけ見ると気だるげで色気もある姿でなかなか絵になる。 手に持っているのは小難しい専門書だし、黙っていればミステリアスな雰囲気で女子ウケは良さそうだ。 ただ、カイは極度の不器用で人見知りなので友達も数える位しか居ないし女の子とのお付き合いなんて夢のまた夢のだろう。 今も俺が荷物を後部座席から出すのをのんびり眺めているだけだ。 「ほら。カイも荷物持って!」 「おもい…」 「自分で買った分でしょ?甘えないの!」 俺が本の入った紙袋をカイに押し付けると、ぷくっと頬を膨らませて文句を言ってきた。 かわいいななんて思いながらも、スーパーで買った物もあるのでそんなには荷物は持てない。 お坊っちゃまなカイの母親が借りているのはなかなかの高層階なので往復が面倒なのだ。 なのでここは心を鬼にしてカイに荷物を持たせた。 腰の痛みは忘れているのかもうなんとも無いのか何も言ってこないのでカイにはにっこりと微笑んでみせる。 なにやらぶつぶつと文句を言っているが、俺は気にせずスーパーで買った物の入った袋を持ってエレベーターホールまで歩く。 きちんと着いてきているか確認すると、足取りは重いもののちゃんと後を着いてきているカイは親の後追いをする小動物みたいでかわいいなとこっそり笑ってしまった。 「カイの好きなフワフワのパンケーキだよ。ベーコンとサラダは別添えね?」 「ん。メープルシロップ」 「はいはい。私はメープルシロップじゃないんだけどねぇ?」 「誉のパンケーキおいしい…」 「それはどぉも」 部屋に帰ってくると、俺は早速食材を冷蔵庫に仕舞いつつカイと約束していたパンケーキを焼くための準備をはじめる。 準備と言っても簡単で冷蔵庫の中にある日付の古い卵を3個ほど取り出し黄身と白身に分けた。 砂糖を数回に分けて加えながらハンドミキサーで角が立つまで泡立てる。 普段はこんな手間のかかることはしないのだが、何故かちょっと拗ね気味のカイの為に面倒な工程も厭わずやり進めた。 パンケーキを焼いている間にベーコンやらサラダ等を用意してカイの目の前に差し出すと子供みたいにキラキラした目でパンケーキを見つめている。 テーブルの中央に置いてあったメープルシロップを俺に取らせようと手をのばす。 一応まだカイの前では猫を被った一人称の“私”と言っているが、カイは気が付いていないのか無反応だった。 「あ、そろそろバイトの時間だ!カイちゃんとお留守番しててね!」 「・・・」 使った食器やフライパンを片付けながら時計を確認するとそろそろバイトに行く準備をしなければならない。 いつも行っているバイトには研修医になってから全然行けていないが、この後外せない“バイト”が入っていたのでカイに声をかけたが今度こそ無反応だっ。 一応事前に言ってあるし大丈夫だろうが、冷蔵庫にメモ用紙にメッセージを書いて貼り付けておくことにする。 急いで着替えてから大きく息を吐いて玄関の扉を開けて家を出た。

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