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第7話

 灼鯉(あかり)に乗られる。浴衣に隙はない。濡れた髪が広がる。咲桜(さくら)は目を見開いた。女にするように真上をとられ、少年の顔は逆光している。色恋の話に興味を持つ年頃だ。娶るかも知れない娘と会ってきたばかりで、彼は野州山辺の長男として子を成さねばならない。泣き腫らした目が粘こく光る。年少者の汗ばんだ手で頬を触られ、咲桜は畳から冷気でも漏れ出ているのかと思った。湯上がりの肌が冷めていく。 「灼鯉くん」 「お父さんが和泉の兄ちゃんとしてたこと、したい」 「オレと?」  巴炎(ともえ)と和泉砂川が何をしていたか。咲桜ははっきり目にしたわけではないが知らないと言える身ではなかった。軍役時代は上官に伽を命じられる男子もあれば、女に飢えて仕方なしとばかりに同性で済ます男もあった。そしてそのまま女色に戻らずにいるという話も聞いている。巴炎と和泉砂川が何をしていたか。性の契りを交わしていた。 「咲桜さんがいいわけじゃないけど、咲桜さんならいいと思ってる」 「……そういうのは良くない。そういうのは―」  互いの合意のもとに、好きな人とやるものだ。この一言はこの村で通じるのか分からないが、少なくともこの少年には通じない。あくまでも選ばなければならない中で選んだ相手と契るのだ。選ばないという選択はない。いやでも選ばなければならない。まだ15だ。多感な時期の、親に保護され周りに世話をされ、物の見え方も人生の価値観も分からぬうちから妻を迎える。 「しようよ、咲桜さん」 「君はその意味を分かっているのかい」  雀卵斑(じゃくらんはん)のある顔が浮腫(むく)んでみえる。今の彼からは男の持つ匂いとはまた異質の浅ましい臭さを感じられない。 「君がオレでもいいと言ってくれたのは多分そういうことじゃない。もしそれが一時の気紛れで言っているなら、ただただあれは痛くて面倒で長い手間のかかることだ。君が良くてもオレは嫌だよ」  咲桜は男色の経験はないが女であってもそうなのだ。器官を代替している男の準備となればさらに時間も手間も要るだろう。 「お父さんが和泉の兄ちゃんのほうがよくて、和泉の兄ちゃんのほうに行っちゃうなら、僕、どしたらいいの?僕、咲桜さんに愛してもらえなかったら、どうしたらいいの?」  まだ咲桜の上から退こうとせず、灼鯉はずいと顔を近付ける。 「灼鯉くん。君のお父さんが君を大切に思うことと、和泉砂川さんを好きだと思う気持ちは両立する。同じ尺度じゃない」  不安げな灼鯉の肩を掴み、咲桜は起き上がった。彼の腕を摩る。 「和泉の兄ちゃんを好きってことは、僕にとって、僕のお母さんのことはもう好きじゃないってことなんだ。お母さんのこともう好きじゃないってことは、僕はやっぱりお父さんにとって望まれて生まれてきた子じゃないってこと。役目のために僕が生まれた。死ぬために生まれたことは知ってるけど、でもちょっとくらい、生まれたからには、ちゃんとお父さんの子供になりたかった……」  彼は突然、すっと立ち上がった。あまりの急さに咲桜は不穏の色を嗅ぎ取ってしまう。 「どこに行くんだ」 「お風呂入る」  浮腫んだ顔なりに平生(へいぜい)の空気感に戻っていた。一瞬の変わり身だった。 「大丈夫なのか……その、」 「うん。ごめん、咲桜さん。どうしようもないことで管巻いて」  落ち着かなくなったのは咲桜のほうだ。本当に灼鯉は風呂に入るのかと追って、実際彼が風呂道具を抱いて浴場に続く透渡殿を歩いて行くのが見えた。彼が出る頃になっても布団は1組だけで一緒に寝ようとやって来ない。待ってはみたがやはり来なかった。消灯する。執拗な寝返りの衣擦れも、何がおかしいのかも分からない笑い声も、悪戯に袖を引っ張ってくる手もない。暗くなって間もなく聞こえる寝息がないと、この部屋はかなり静かだった。遠くでフクロウが鳴いている。足音が聞こえた。襖が開く。咲桜も上体を起こした。灼鯉だと決めてかかっていた。早く布団を持って来るように言おうとしていたところだった。しかし両手で襖を弾いたのは灼鯉ではない。青い夜に逆光して黒ずむ。巴炎ではない。菖蒲馬(あやめ)とも違う。翠鳥は背丈からいって候補から外れた。 「坊っちゃん、出て行っちまったぞ~」 「和泉砂川さん……?」  飄々とした佇まいは呑気そのもので咲桜は襟と帯を直すと縁側にある共用の下駄に足を突っ込んだ。 「なぁ、お宅もこっち側になれよ。そうしたら親子まとめて助けてやれる」 「どっちに行った?」 「東行って下り坂行くと川があるから、そこじゃね?」  和泉砂川の不確かな証言を真に受けて明かりも持たずに咲桜は走った。灼鯉の潔い態度ばかりが繰り返し脳裏に甦る。山下で、15で大人扱いされ、15で国に殉じろと強いられる厳しさ、険しさを知っていたはずだ。それを突き放すような態度をとった。かといって咲桜なりに真摯に応えたつもりでもあった。しかし反省しようのない激しい後悔に苛まれる。村から外れる脇道は灼鯉や和泉砂川と出会ったところで、土饅頭のある道だった。そこを通過するとさらに傾斜のある坂になっていた。川の音が微かに聞こえる。 「灼鯉くん……」  川べりに人影はない。水の流れる音が夜を静かにする。川……  咲桜の脈が速まる。妻は川に身を投げた。共に買いに行き、仕立てまで付き添った薄紅と緑色の着物が水草や泥を絡めて濡れていた様がありありと思い出される。蝋のように色を失った肌と、水を含んだ肌、生々しい痣や擦傷。顔は見られなかった。白い布を取った時のことを理性が自ずと遮断している。しかしそこに灼鯉の姿を馳せかける。怯えが声になった。灼鯉の名が(こだま)する。あるのは川の音だけだ。帰る気も失くしながら帰るほかなかった。爪先が元来た道を向いた。川に灼鯉の姿はない。しかし灼鯉がこの川に消えたとも限らない。身体が爪先と同じ方向に翻ったとき、視界に影が入った。人の形をしていることだけ判じられる。瞬間、側頭部に衝撃が走った。咄嗟に身体を支える手も出ない。固く凹凸の激しい褥に倒れ、瞼が下りてしまう。 「あ、か………り―」  小石を掴む。あらゆるものがぼやけ、弛緩する。  妻の腹には子供がいた。この時代に生まれることは険しく厳しいだろう。それでも妻との子が欲しかった。懐妊したと明かされたとき、苛烈な世情の中に育つことを詫びながら、母親ごと幸せにすると誓った。女なら梅李(めい)、男なら柑多(かんた)。まだ実家に、生まれてくるはずだった名を記した半紙があるはずだ。  目が開いた。曇り空と木々の枝が見える。頭を動かすと響くように痛んだ。胃が疼いたが吐くほどではない。ゆっくりと起き上がった。地震は起きていないが、身体が地面ごと徐々に沈んでいくような感覚に陥り、なかなか脱することができない。ぽつりと頬に雨が落ちる。辺りを見回した。崖の近くにいる。周りには苔の生した墓石が並んでいた。墓地にしては辺鄙な場所にある。ぽつぽつと雨が降ってきているが、気になるほどではない。古めかしい墓石の中でも咲桜が動揺することはなかった。幼少期は近所の子どもと馴染めず、いじめられたものだ。年子の弟に助けられるのだから尚のこと立場がない。咲桜は子どもたちから恐れられ、誰も近付かない墓地を居場所にしていた。灯香の匂いに落ち着いたものだった。  人がやってくる。咲桜の足を向けている先は短い洞穴で、傘を差した者が近付いてくると、その亡霊のような容貌からいって菖蒲馬であることに気付いた。彼の顔を見た途端にあらゆる光景が駆け巡り、一気に血が湧いた。 「灼鯉くんは……?」  妙な浮遊感も微かな吐気も忘れ、咲桜から菖蒲馬に突進し、しがみついた。 「今は陸前高田様のことです」  魑魅(すだま)の類いみたいな美貌は咲桜を癇癪を起こした子供みたいに扱う。掴み掛かった手を解く。 「まだ……見つかってない……?」 「瞳孔を見せてください」  話も聞かず、菖蒲馬の指が咲桜の下瞼を捲る。顔を至近距離から覗かれる。密な関係の2人を思わせる体勢になる。咲桜は肉感のある幽霊を突き離す。 「頭に痛みはありますか」  傘を閉じる音がした。野州山辺の使用人よりも野州山辺の客人のほうが立場が上になる。咲桜が雨に打たれるのなら、傘を持っていたとしても菖蒲馬も雨に濡れなければならない。そういう不合理な世情は軍隊から解放され山に逃れても根強く残っている。 「ありません」 「吐気はどうです」 「ないです」  不気味に突っ立っている菖蒲馬に背を向ける。この地点はそこまで高くはなかったが森を上から見渡せる。下から川の流れが聞こえた。 「野州山辺家の、肉体の墓所です」 「肉体の墓所だ、などとは変な言い方をしますね」 「御魂はこの山と生命に在りますから」  魍魎の声はこの地に住まい、川の飛沫に洗われている。 「頂上でもなく、こんな辺鄙な場所に作られるんですか。山を見渡せるから?」  嫌味なのか、知的探究心なのかも分からない。山に尽くした結果が、洞穴のついでになんとなく突き出たような崖ぷちで、ひっそりと葬られるだけなのだ。 「作ったのは……空木(うつぎ)組の方々です。今は、和泉砂川さん率いる……おそらく陸前高田様をこちらに運び込んだのもおそらくはその一派かと思われます」 「空木組……」 「ご存知ですか」  咲桜は首を振った。 「元は喜連瓜破(きれうりわり)空木組といって白群信仰に否定的な集団です。ゆえに、野州山辺家の解体を目論んでいます。手段を選びません。人死もありました」  咲桜はまだ薄ぼんやりとした森の果てを望んでいる。雨足が強まっている。 「帰りましょう。土砂崩れが起きないとも限りません」 「白群様とその婿殿が山を守ってくださるんじゃないんですか」 「戻りましょう。貴方は危険だ。これ以上問答を続けるのなら、(わたくし)は陸前高田様を()さねばならなくなります」 「……どうして」  咲桜は振り返った。突き落とされるものかと思ったが幽鬼は傘も差さず一定の距離を保ったままだった。 「山下では信仰の自由があるそうですね」 「やっと取り戻したところです。国民全体のお国様信仰から個人の信仰に」  妻と同じ死に方をすると思いながら亡霊は行動に移さない。突き落とすにも、妖霊では人の肌に触れられないのか。侮りながら死を間近にして咲桜の手は震えている。事故死で片付く。人目もない。魑魅魍魎には造作も無いことだろう。 「突き落としたりはしません。ご存知のようですが、下は川です。生き残る可能性がある」  菖蒲馬は踵を返した。洞窟に入っていく。ほんの十数歩ほどの暗さに掻き消える。同時に息の詰まる空気も途絶えた。身体の自由を得た気になって後を追う。雨の憂鬱を忘れ、次に彼の中に降りかかったのは灼鯉のことだった。  村まであと少しのところで咲桜の膝は力を失った。疲労はあるが、しかし身体を崩すほどではない。痛覚はないが平衡感覚に違和感を起こす。すでに土砂降りになっていた。渡されていた傘が転がる。泥を握った。前を歩く菖蒲馬が振り返る。口に手の甲を当てると吐気もなく嘔吐した。硬い掌が背中を這う。差し出された手巾で吐物を拭った。濡れていた。互いに着ているものにまで雨水が染み込んでいる。傘のない菖蒲馬は全身から水が滴っている。 「頭部を殴られていますね。瞳孔を見せてください」  雨によって体温を奪われた白い指が頬に添えられ、再び目の奥を覗き込まれる。 「瞳孔にお変わりはありませんが、見え方に問題はありますか」 「ないです」 「では進みます。歩けますか」  頷くほかなかった。留まっても雨に濡れるだけだ。辺りは一面の木々で(ひさし)になりそうなものはない。抱き寄せられように支えられ、立ち上がる。行く先は決まり、引っ張られているにもかかわらず後退しているような感覚に陥る。後屈のまま脳天が地面に張り付きそうなまったく訳の分からない浮遊感に襲われる。痛みはない。しかし目眩がした。それを抑えようとする。灼鯉のことを打ち明けねばならない衝動に駆られた。彼の苦悩を呟いているうちに妻が身投げした話に変わっている。何を喋っているのか分からなかった。整理する気も起きず、またその支離滅裂ぶりに気が付かない。菖蒲馬は返事もせず歩き続けた。やがて咲桜が黙り始める。力を失い、華奢に見えながら力のある腕に抱えられ道沿いの木の下に座らされた。  また目の奥を覗かれるが咲桜にその認識はない。本能めいたものが眼前の外敵に成り得る者を拒む。滝行したのとそう変わらない袖を押し除ける手は白く震えている。菖蒲馬は1人走り出した。泥が跳ね、雨が泥を叩く。穴を空けていく。  支離滅裂な言動は暫く続いた。意識は朦朧としていたが無いわけではなかった。前後不覚の宙に浮いたような、平衡感覚を失うような恐れによって目を開けられない。頭の中を中かが駆け巡っている。灼鯉に対する譫言(うわごと)を続け、一度きちんと意識を取り戻した。暗い室内が煌々と赤く燃えている。熱さと紙一重の温かさだが暑苦しさはまったくなく汗ばんではいなかった。  起き上がろうとしたときに木と思しき質感のもので頭を固定されていた。 「目が覚めましたか」  ぱちぱちと傍で薪木か紙が燃えている。菖蒲馬の声が視界の外から聞こえた。  彼も咲桜と同様に寝着で囲炉裏を前に炙られていた。 「灼鯉くんは……」 「若様はご無事です」 「どこに……」  菖蒲馬の返答を待つうちに咲桜は意識混濁の中を彷徨う。耳鳴りがする。菖蒲馬の返事があったのか、それとも聞き取れなかっただけなのかも分からない。  次に目覚めたとき、同じ布団の中に圧迫感があった。誰かいる。他人の熱で蒸されている。彼に決まっている。布団に紛れ込み、人の帯や襟の中に手を突っ込んだり、浴衣の袖を引っ張ったり、掛布団を奪っていく子供に決まっていた。 「灼鯉くん……?」   無事なら顔を見せろと腕を引いた。腺病質な少年の感触と違った。張りと反発力のある硬さがある。 「陸前高田さん」  驚きはなかった。巴炎だ。腫れた片目と切れた口角が痛々しい。彼も長襦袢でまだ首には鬱血痕が目立つ。 「調子はどうだい」 「灼鯉くんは……?」  巴炎の表情が強張った。咲桜は沈んでいくような感覚に深く目を瞑ってしまいその顔を見逃した。頭の中を素手で掻き回され、後頭部のほうへ摘まれているような目眩がある。 「灼鯉は……」 「無事です」  もどかしく喋る巴炎の言葉を引き取ったのは菖蒲馬の声だ。咲桜からは見えないが、幽霊のような夜回りは炎で緋色に染まっている。 「……よかった」  安堵に弛緩する咲桜の至近距離で巴炎の目が泳ぐ。 「すまない、陸前高田さん。貴方に無理をさせた」 「……平気です。それより、これは……」 「申し訳ない。こんな大きな男で……本当は女性(にょしょう)の身体がいいらしいけれど、妻がいると聞いたものだから……」  忙しなく動く垂れ目をぼんやりと見つめ、そしてまた眠りに就く。皮膚に冷たい膜でも纏っているのかと思うほどの寒気と、蒸されたような布団の温かさに今が夏だと忘れた。 「陸前高田さん……どうか、明日まで()ってくれ」  まだ聴覚は眠っていなかった。 ◇  一夜明けて目が覚めなければこの山に骨を埋めることになると告げられておきながら咲桜は目を覚ました。ぴりりとした痛みが横から閃めく。囲炉裏の火は消えていた。黒塗りの床板が冷淡な感じだ。借りている部屋ではなかった。その隅で菖蒲馬が眠っている。珍しいものを見た。しかし布の繊維が微かに摩擦すると幽霊も目を覚ました。 「灼鯉くんは……?」  それ以外、言葉が出てこなかった。灼鯉の名前以外、顔は覚えているもののすぐに言葉として現れない。 「無事です」 「会わせてください」  固く縮まった乾物が水に柔らかくされていくよう少しずつ、灼鯉に執着する事情がみえてくる。 「今の貴方には会わせられません。興奮は禁物です」 「……無事なんですね」 「はい」 「どこにいたんです」  そう難しい問いをしたつもりはなかった。咲桜が思うより長いこと時間を要する。 「……座敷牢に」 「座敷牢……」  復唱してしまう。灼鯉と座敷牢が結び付かない。この屋敷の座敷牢と咲桜の思う座敷牢が違う可能性がある。 「座敷牢に、どうして……」 「あちらには、お屋形様の弟御がいらっしゃいます。若様は叔父にあたるその方に"薫陶(くんとう)"を受けに行ったものと思われます」 「薫陶……ですか」 「あの方は空木組に気触(かぶ)れています。若様には夜になれば会えるでしょう。陸前高田様、今は安静にすることです」  魑魅みたいな顔をして生々しく疲労した人間みたいに隈を浮かべている。話しているうちに彼とのこともじわりじわり記憶が呼び戻されてきた。 「言い忘れていましたが今思い出せました。随分とお世話になりました。迷惑をおかけしてすみません。ありがとうございました」 「ご無事なら結構です」  ふいと素気無く菖蒲馬は目を逸らす。咲桜はどう接していいのか分からない相手にまた話しかけることはできず、布団に戻る。咲桜が袖を通した異国の礼服が誰のものかこれで分かった。あまりにも話題にのぼらなかったため、故人かと決めかかり咲桜のほうでも関心を示さず、さらには訊ねていられるような忙しさではなかった。また眠ろうと目を瞑る。 「菖蒲馬さん」 「……はい」 「手拭布、汚しちゃいましたね。オレの洗ってもらったばかりなので、それ返します」 「支給品ですので、その必要はありません」  ぴしゃりと返され咲桜はまた黙った。もう一度寝られそうでなかなか寝付けないでいる。 「旦那さんはどうしていますか」 「若様とご一緒です」  親子でいるのだ。出る幕はない。咲桜は眠ろうと努めた。頭の中が軽い。  夜になっても灼鯉は現れない。咲桜はとうとう起き上がり立ち上がる。菖蒲馬の姿はない。少年の部屋を訪れる。たくさんの後頭部が見えたのとほぼ同時に一斉に視線を浴びた。使用人だけでなく村長、薬師、祈祷師まで集まっている。他にも村人らしき見覚えのないのが何人か見えた。この部屋は少年1人が過ごすには広かったが許容人数を超え、奥の間をぶち抜いている。 「灼鯉くん……?」  彼は最奥で巴炎とともに並び、集まった者たちと対面する形で座っていた。咲桜の姿を見ると堅く引き締まった表情が一変し、立ち上がろうとするところを巴炎に止められた。咲桜のほうでは近くにいた使用人に促され、外に引っ張り出される。そして灼鯉が今しがた発見されたことを聞かされる。菖蒲馬の言い分と辻褄が合わない。亡霊は灼鯉がどこに居るのか知っていて、知らせなかったのだ。  所詮、流離い人である。家庭の事情、村の(しがらみ)、土地の風習に何の危険性もなければ何の責任もない。ただの観客に過ぎず、その観客の辛辣な態度が1人の少年を傷付けるはずがない。咲桜は自分の借りている部屋に戻った。廊下を挟んだ隣の部屋から足音と悪態が聞こえた。また別の芯のある足音が近付き、部屋に差し込む月の光が遮られる。 「咲桜さん……!」  振り返る。両手で襖を開けていた灼鯉が目の前に飛んできて正座をしたかと思うと深々と頭を下げた。鼻先は畳に触れているだろう。額を擦り付け、綺麗に向かい合う指先は白い。 「ごめんなさい、こんなことになるなんて……ごめんなさい……本当に申し訳ございませんでした」  それは謝罪ではなく叫びだった。声が嗄れ、震えている。 「ごめんなさいは、オレのほうだ。灼鯉くん、オレに頭なんて下げるな。顔を上げて」  背は高く育ったが脂肪があまり付いていない、肩幅は男子というくらいに広いくせ小さな肩に触れた。 「ごめんなさい……」 「オレは灼鯉くんを分かってやれないくせに知ろうとした。すまなかった。君の胸の中を抉じ開ける真似をして……」  灼鯉はぶるぶる頭を振った。 「僕と咲桜さんは生まれも育った環境も違うじゃん。歳も違う。分かり合えるわけないの分かってたのに僕、咲桜さんに分かって欲しいと思っちゃって、そういう自分がすっごくイヤになって、お父さんのことも、愛されようとかするのも、咲桜さんに分かって欲しいと思うのも、もうやめようって、もういいやって……」 「分かって欲しいと思うことは別に悪いことじゃない」  少年は唇を噛んだ。 「全部分かって欲しいのに、言えないこと、いっぱいある……きっと泣いちゃうから」 「うん」 「分かってほしいのに、自分勝手でごめん」  咲桜は両手を開いた。灼鯉が飛び付く。四肢は長く、背が高い。しかし無邪気な体熱も手付きも、ある種の残酷性を持った無邪気な子供だ。癖のある髪を撫でる。呼ぶことのなかった命を喉奥で呼んでみた。

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