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第10話

 巴炎(ともえ)と目が合わない。咲桜(さくら)は朝飯を食い、灼鯉(あかり)の無邪気な話を聞きながら大男を見ていた。顔が赤い。息子の活き活きとした声が萎んでいくのも気付かぬようである。なかなか敏いこの少年は咲桜を瞥見した。哀れだ。 「巴炎さん」  呼んでみると、茶碗を椀の上に重ね、味噌汁がひっくり返る。咲桜は立ち上がった。灼鯉が両手を打ち鳴らす。襖の奥で使用人がやってくる音がした。 「す、す、すまない……」 「いいえ。火傷はしていませんか?」  慌てふためく巴炎の横に腰を下ろし、椀を戻す。絞布を取って濡れた場所に当てていく。 「だ、大丈夫だ。そこまで熱くはない。もう、平気だ。陸前高田くん……食事に戻ってくれ…………」  使用人が襖を開けた。灼鯉は飯を食いながら用事を言い付ける。巴炎は哀れなほど、見ている側も心苦しくなるほど顔を真っ赤に染めていた。 「すまなかった……着替えの前でよかったよ。あ………その、ありがとう、陸前高田くん」 「いいえ。火傷をしていないのならいいのです。気になさらず」  咲桜はそう言って自分の膳に戻った。灼鯉の目には父親のあの動揺をどう説明するつもりなのだろう。  実際、朝飯後に一度別れ、着替えを終えた灼鯉に呼び止められた。 「お父さん、」 「昨日夜まで語らった。だから、寝不足だったのかも知れない。それか二日酔いか……」  まだ灼鯉が訊ね終わる前に、咲桜は食い気味になって答えた。多感な少年は首を傾げる。 「………そう」 「話が弾んだものだから。主にお酒の話だけれど。心配かけたね」 「ううん、別に。心配してないよ。咲桜さんがいるもの」  長い腕が咲桜を抱き寄せた。背中を軽く叩かれる。 「頼りにしてる」 「灼鯉くん……」 「咲桜さんなら、僕、お義父(とう)さんって呼べるよ」  咲桜は彼の長くもそう逞しくはない腕の中でぎくりと身を震わせた。 「あ、灼鯉くん……!」 「きゃはは。冗談半分、本気半分かな」  彼の匂いを残して放される。野州山辺の跡取りは颯爽と行ってしまった。流離(さすら)いの身である。この地に骨を埋めるには、この山の在り方は毛穴ひとつひとつを刺されるような苦しさがある。  咲桜は庭番の小屋に向かった。戸を叩く直前で彼は静止した。(そばだ)てたつもりもなく、小さな物音が耳に入ってくる。声だ。啜り泣くようなはしゃぐような声である。彼は古ぼけた木板を睨む目を泳がせた。改めて出直すのがよい。手を下ろすのと同時に戸が開いた。妖怪じみた美貌が狭間から覗く。薄暗い中でも粘こく照る眼が仄かな虚ろを持って咲桜を認めた。 「どうぞ」 「大丈夫なんですか。改めて出直すことも……」 「今から寝るところです。夜までお待たせするわけにはいきません」  中に促される。あまり明るくなかった。座敷に繋がる(かまち)の縁に腰を掛ける。奥で横になっていたらしき翠鳥が身体を起こす。彼は咲桜に何か言いかけたがあまりにも声が嗄れている。菖蒲がぴしゃりと戸を閉めた。それがどこか大きく響いて聞こえた。 「風邪かい。何かもらってこようか」  少年は何度も咳き込んだ。嗄声(させい)は酷くなる一方である。喉に痰が絡まっていたわけではないらしい。 「あまり咳き込んだらいけない」 「すみません……」  翠鳥は喉を摘んだ。 「水をもらってくるよ。風邪かも知れない」 「ん……、平気です。大丈夫ですよ。心配してくださって、ありがとうございます」 「寝ていたほうがいい」  ふらふらとしてあまり大きくはない身体が崩れ落ちそうになるのを菖蒲馬(あやめ)が駆け寄って受け止めた。咲桜も前のめりになっていた。 「彼のことはご心配なく。この姿勢で失礼いたします」  ふぅふぅと菖蒲馬に抱き付いて荒い呼吸をする翠鳥が気になった。熱病ではあるまいか。視線の在処も分からない明るさだというのに菖蒲馬は敏く、咲桜の焦点が何に合わされたのか悟っていた。 「伝染(うつ)り病ではありません」 「そうですか」 「気になさるな」 「分かりました」  翠鳥は苦しがっている。菖蒲馬はそれをただ胸に閉じ込め、撫で摩っている。 「ご用件は何です」  咲桜は目を伏せた。開きかけた唇が強張る。 「野州山辺の旦那さんのことで……」 「お察しいたしました」  菖蒲馬の声は落ち着いている。その心情は微動だにしていないようだ。咲桜は暗がりの中で自嘲してしまった。 「何か?」  咲桜にはあまり利かない視界であるが、菖蒲馬にはよく見えているらしい。相変わらず愛想のない調子である。 「いいえ。オレもつまらない人間になったと思って」 「そうですか」  興味は皆無といった様子だ。 「うぅ……」  彼の興味があるのは腕の中の少年である。この少年が彼の衣類を握り締め、声を漏らすまで、咲桜は喋る蝋人形と対面していたのだとばかり思っていた。 「翠鳥さん……」 「ぅ…………平気。ごめん」  項垂れる翠鳥を強く抱き締め、菖蒲馬は咲桜に眼差しをくれたらしいことは、視界不良の暗さながら頭の動きで分かった。 「いいえ……陸前高田様」 「はい。そろそろ帰ります。お邪魔しました。翠鳥くん、お大事に」  咲桜が翠鳥を顧眄(こべん)した途端、彼は菖蒲馬の胸から抜け出し、咲桜の元に駆けてきた。その胸に飛び込むような体勢に、思わず受け止めてしまう。しなやかな肉付きで灼鯉よりも質量感はあるが小柄である。 「菖蒲馬さん?」 「翠鳥さん!」 「陸前高田さま………」  三者三様に呼び合う。菖蒲馬は腰を浮かせ、翠鳥は頬を擦り寄せ、咲桜は戸惑う。 「一緒がいいです…………」 「翠鳥さん。陸前高田様は旦那様のお客人です。我儘を言っては……」  菖蒲馬はすぐさま翠鳥を引き取りにきた。だがこの少年はふぅふぅ息を漏らし、咲桜にしがみついて放さない。 「陸前高田さま………」 「具合が良くない?」  首に手を割り込ませる。湿っていた。 「熱がある?」 「ありません。少し効く薬草を煎じたものですから」  菖蒲馬が代わりにぴしゃりと答えた。普段の冷静な物言いに刺々しさが加わっている。咲桜が少年の妙に蒸れた肌に触れただけでも皮膚を(やすり)で擦っていくような殺気が放たれたくらいである。 「何故です?やはりどこか調子が悪かった?」 「(わたくし)が試した調合が、」 「怖、くて………」  翠鳥の震えた声が菖蒲馬の言を妨げた。 「翠鳥さん、いけません」 「青藍(あおい)様と和泉砂川さんのお相手、するの………」 「お相手……」  衣服を強く握られて引っ張られる。咲桜は翠鳥の背を摩った。 「青藍様と和泉砂川さんの友好に使われているのです」 「は?」 「翠鳥さんは、2人の相手を務めています」  伊勢石橋(いせいしばし)青藍とかいった灼鯉の叔父にあたる人物に翠鳥が色小姓扱いされているのは咲桜も聞いた。しかしそこにまた厄介な名が並んでいる。 「こ、わ………くて、おで…………」 「そのために、(わたくし)が薬を煎じました」 「どういう…………?」  菖蒲馬がどういう目をしたのかは咲桜に視認できない。しかし一瞬、凍るような気を感じた。 「翠鳥さんが苦しむことのない薬を」 「陸前高田さま………陸前高田さま…………」  翠鳥は咲桜の身体を()じ登らんばかりである。 「風呂に入って汗をかこう」 「陸前高田さま……」  小柄ながら灼鯉より重い身体を抱き上げる。全身が汗ばみ、少年の下腹部は粗末な布を押し上げている。 「浴殿(よくでん)を借りてきますから、先に……」 「(わたくし)が行きます。お手数ですが、彼を……」 「分かりました。連れて行きます」  菖蒲馬は一礼して出て行った。すると翠鳥がもぞりと動いた。蛹のようになっていたのが身体を弛緩させ、荒い呼吸に変わった。 「苦しいのかい」 「へ、へーきです。菖蒲馬くん、いっぱい心配するから……」  一度翠鳥を下ろす。肩を上下させている。狭い背中に触れると身を波打たせた。他意はなかった。労わるつもりだった。 「あ、ぅ………」 「大変だったな。お疲れ様」  開き放しの戸から入る明かりで少年の赤らんだ頬とよく濡れた瞳が露わになる。 「陸前高田さま、も………」 「オレは別に。何の苦労もしちゃいないよ」  つまりは昨晩、野州山辺巴炎と褥を共にしていた同時刻、暇を持て余した和泉砂川は巴炎の弟のところに出向き、その色小姓をさせているこの少年を二人掛かりで弄んだのだ。 「おで、も………怖かった、ですけど、菖蒲馬くんが、お薬、作ってくれましたから…………」 「それでも今こうなってるんじゃ仕方がないよ」  潤んだ目が哀れっぽい。咲桜は汗だらけで蒸れた身体を抱き締める。やはり他意はなかった。それでも薬の効いた翠鳥はそうもいかないらしい。腕の中で戦慄く。 「陸前高田さまは、お優しいです」 「オレがかい」 「はい……おで…………怖くて、なんでかなって思ったけど、頑張ってよかった」  うっう、と肩口に顔を埋めて泣きはじめる翠鳥をさらに強く抱擁する。 「さ、移動しよう。歩けるかな。ふらふらする?」  彼は自力で立ち上がろうとしたが膝が震え、すぐにでも転びそうだった。咲桜はその身体を拾い上げる。灼鯉より重いかも知れないが、小柄なため抱き上げるのは容易い。  脱衣所に着くと、立てない翠鳥を抱えるため咲桜は両膝をつき、後ろから彼の衣を脱がしていく。汗ばんでいる。日焼けした肌は張りがあるけれど、傷だらけだった。腰には赤紫色の手形が浮かび、首にも絞められたらしき痣がある。そこに指を這わせると、翠鳥は可哀想なほど怯え、顔を覆って硬直する。 「怖がらなくていい。和泉砂川さんにされたのかい」 「は………い」 「翠鳥」  怖がっている少年を抱き竦める。昨晩、野州山辺巴炎を抱いた陰で傷付けられた人物がいるのだ。 「風呂に入ろう。オレが身体を洗うから楽にしているといい」  咲桜も脱いだ。丸裸の身体を抱き上げて浴室へと入っていく。広い湯殿の淡い緑色の薬湯が凪いでいる。 「あ、待って、」  翠鳥は咲桜の腕の中で身動いだ。 「ここに、降ろしてくださ、」  咲桜だけ先に温くなった残り湯に入った。翠鳥は四つ這いになって腰を持ち上げ、尻に手を回していた。腿が震えている。 「どうした」 「お湯、汚しちゃ………っ」  彼は自分の肛門に指を突き入れた。咲桜はその部分を直視してしまった。目を逸らす。褪色した液体が漏れ出ていた。可憐な窄みが盛り上がり、収縮する様が脳裏に焼き付いてしまった。冷たい湯を拾い顔面に叩きつける。 「……陸前高田さま………?」 「おいで」  猫でも横から抱き抱えるみたいに翠鳥に腕を回し、小さな臀部に潜む手を払い除ける。 「何を、」 「オレがやるよ。痛かったら言いなさい」   「でも……っ」  収斂している膜を窺いながら指先を挿入する。強く食い締められ、咲桜は体内で血潮が滾るのを感じた。小動物を愛で過ぎた末に甚振っているような心地が淫情を掻き立てる。知らなかった己の性質に苦笑した。 「汚いですから……」  力加減に注意しながらぬるぬるとした内部を探る。 「ここは風呂場だ」 「でも、―陸前高田さま!」  手触りが少し違う箇所を擦ったとき、翠鳥が悲鳴じみた声を上げた。 「あっあっ、そこ、ゃれす、!」  喉を鳴らす猫の風情であった。抽送と共に彼のものではない体液を排していたが、撥ねるような声を聞いた途端に咲桜の指は往復を止めて同じ箇所を何度も摩った。指を咀嚼する間隔が狭まる。 「そこ、ゃっ、あっあっあっ……!」  翠鳥は下半身を戦慄かせた。自ら腰を前後させ、咲桜の指を食う。鳴き方の不得手な小鳥みたいな声が咲桜の口腔を潤していった。 「りくぜ、たかたさ………まっ、あっ、そこ、ゃあっ!」  腰が揺れてしまうらしい。言動と反している。咲桜は少し意地悪がしたくなってしまった。翠鳥が自分で当てにくる(しこ)りから指を離す。 「ぁう………っ」  残念がるような声を上げ、腰がひく、と一度大きく波打った。彼の膝の間で、不安定な一縷の糸が棚引いている。 「苦しかったかい」  潤んだ大きな目が虚ろや中から咲桜を探し出して捉える。そして首を振った。赤い顔に保護欲を掻き立てられる。顔が火照っていた。身体も熱い。下半身を浸す湯も徐々に熱を持っていった。菖蒲馬が沸かしているらしい。 「洗わないとだろう。おいで、ほら。逃げないで」  手桶に湯を汲む。咲桜が菖蒲馬のいるであろう外を見ているうちに翠鳥は四つ這いで少し離れていってしまった。 「で、も………でも………」 「おいで。今のうちなら熱くないから」  手招きして笑ってやると、少年は潤んだ目を伏せてやってきた。 「お尻、向けて」  彼は蚊の鳴くような声で返事をした。いつもは腹から声を出すような、もしかすると必要以上の声量だというのに今は(しお)らしい。  汲んだ湯を尻に注ぐ。空いた手で少しかぶれた感じのある蕾を揉んだ。 「な、んか………ヘン、です………」  あまり大きくはなく、少し皮を被っている少年の肌茎が芯を持って傾いてる。そしてそこから紡がれる水糸をちらちら光らせた。 「気持ち悪い?」 「りくぜ………たかたさま………」 「咲桜でいい」  凝視していた窄孔が蠢く。咲桜はそこを嬲りたくなる衝動に抗わねばならなくなった。 「さくら、さま………おしり………」 「今洗い流しているよ」  湯の小滝を浴びながら指先を挿し込む。すると翠鳥の身体が大きく跳ねた。 「やぁんっ!」  腿の間で白濁が散った。第二関節にまでは至らない指が何度も食い締められる。 「あ……っあ…………っ、ごめ………なさ、」 「何か飲んでいるんだろう?気にしなくていい」  侵入していく指は止まらない。手桶が空になっていることにも気付かなかった。 「さくらさま………あっあっあぁ……」  腰だけを上げて、翠鳥は快楽を貪りはじめた。咲桜も無防備な少年の痴態に煽られる。 「さくらさま…………」  彼の腰が(おぞ)ましいほど卑猥に振れた。涎を垂らし、眉根を寄せて虚ろな眼には妖しい煌めきを湛えている。 「ください………ください、」  這い(つくば)るみたいに彼は自分の腕に寝転がる。否、快楽に愚直になった下半身以外、身体に力が入らないようだった。 「大丈夫か」  潤んだ目、赤い顔、汗ばんだ肌などから水でも飲みたいのかと咲桜は思った。水をもらいに行こうとして振り返りかけたとき、風呂場の戸が開いた。菖蒲馬が佇んでいる。 「翠鳥さん。陸前高田様は旦那様のお客人です」  彼の冷え冷えとした声音に翠鳥は横面が腕に張り付いたみたいに狼狽えていた。 「ご………めんなさ………」 「気にしなくていいです、別に」  はひはひと(のぼ)せたように息をする少年の調子のほうが気になった。  裾を捲った菖蒲馬が中へ踏み入り、立てずに這っている翠鳥を見下ろした。折檻したり怒声を浴びせたりはしないかと咲桜は肝を潰した。それくらいに彼の眼差しは冷え切っている。侮蔑の念を隠れもせずにそこにある。 「あ………あ………っ、」  母猫から(はぐ)れた子猫の如く少年は紅潮しながら凍えている。 「(わたくし)でいいですね」 「あ、でも…………ああ……………さくらさま…………」 「水を持ってくる」  菖蒲馬が翠鳥を助け起こそうともしないのが不思議であった。咲桜は身体に力が入らないらしき少年の身体を抱き起こそうとすると、彼は咲桜に縋り付いた。 「行っちゃいや………っ、さくらさま、」  咲桜は菖蒲馬を見上げる。彼は自身の衣服が濡れるのも厭わず膝をついた。 「翠鳥さん、いけない」  翠鳥は菖蒲馬を見た。咲桜は庭番2人の目交(めま)ぜをはたから眺める。無言のやり取りとがあったらしい。 「いて…………ここに、いて、くださ………」  咲桜にしがみつく手が緩む。風呂場の湿気、湯の温気(うんき)とはまた異質の蒸れ方をしていた。諦めたような、拗ねたような顔をして翠鳥は気怠げに身体を起こした。菖蒲馬を手摺か支えか何かみたいにながら、彼の唇を吸った。胸を撫で摩る。妙な雰囲気を醸し出した2人に咲桜はたじろいだ。乾燥するような場所でも季節でもないというのに喉がひりつく。  翠鳥は菖蒲馬の股間をまさぐり、姿勢を低くしていくとそこへ頭を埋める。菖蒲馬の柳眉が神経質に攣っている。母猫の乳を求める子猫を思わせる。翠鳥の手が菖蒲馬の衣を濡らしながらその腰を押さえつけている。傷んで色の抜けた髪が揺れる。そのたびに菖蒲馬の魑魅(すだま)ではあるまいかと疑うほどの美貌が歪んだ。  何を見せられているのだろう。咲桜は風呂から出ようとした。湯の音を聞いた翠鳥が泣きそうな表情で振り向く。 「いいですよ、それで」  菖蒲馬が言った。彼は翠鳥から咲桜に視線を移す。 「こちらに来ていただけますか」 「オレが?」  間の抜けたものを訊いたものだと咲桜は自身を内心で冷笑した。他に誰がいるのだろう。庭番2人の傍に寄ると、翠鳥が湯殿に下半身を浸けている客人の裸の胸へと逃げてきたために思わず受け止めてしまった。 「彼を頼みます」 「え?」  菖蒲馬のその言葉の意図が分からなかった。彼は先程まで少年に舐められていた箇所に手を回し、それから膝を二歩、三歩と進めた。人嫌いな感じのある珠のような美青年がそれなりの親しい間柄と錯覚するような距離にいる。 「あっあ………、!はひ、あっ………」  胸で悶える翠鳥に咲桜はそれ以上菖蒲馬のことを観察していられなかった。 「あ……っ、あぅう……ッ」  菖蒲馬が翠鳥の腰を掴む。そして体当たりした。翠鳥がぐっと前に押し進められ、咲桜の胸と腕の中に窮屈に縮んだ。庭番2人は交合(まぐわ)っている。 「あァ、きもちぃ………っ、おしり………っあっぁう………」  口を開いたまま垂涎(すいぜん)し、悩ましげに眉を寄せて彼は咲桜を見上げた。 「翠鳥」 「あ………っあっあっあっ!」  緩やかな接触が衝突に変わっていく。甘い悲鳴が浴殿に(こだま)した。 「んっあっ、も………ゃあっ!や、ゃっ、()く、逝っちゃ………ぁんッ」 「翠鳥」  帰る家があった頃、近所にいた可愛らしい小型犬が人を見て喜ぶような声に似ている。それでいて可憐な少年の媚態が咲桜の官能を震わせる。平生(へいぜい)は無愛想で人を見透かしたような面構えの美男子の欲望に打ち負けて淫楽に耽り、抽送を止められない姿にも()てられた。軍役時代に味わった、酔うしか逃げ道のない妖異な空気がそこにある。 「だめ………っ、もぉ、逝く、逝く、も………逝きます、から………っ!赦して、!」  小柄ながら強靭でしなやかな身体が暴れ、首を仰け反らせる。 「赦して、青藍さま、赦して………っ、!」  翠鳥は絶叫した。腰をがくがく引き攣らせているのが哀れでありながら苛めてみたくなる。 「ああっ、!」  彼は赦しを得られないまま、赦しを乞う相手を見つけられないまま果てた。蝶や蝉の羽化を彷彿とさせる体勢からぐったりと弛緩するのを抱き留める。 「翠鳥」  揺さぶってみるが彼は目を閉じていた。咲桜は荒く息を吐く菖蒲馬を瞥見する。彼は興奮から覚めていないらしく、咲桜を睥睨(へいげい)したが一度俯いて軟化させた。 「あとは(わたくし)が後処理をいたします」  彼は乱れた服装を整え、気絶したそう大きくない身体を抱き上げた。 「オレは出汁(だし)にされたんですか」 「……彼は俺のことが嫌いなんです」  先程までは「陸前高田様」だの「旦那様のお客人」だの言っていたが今では背を向け尻を向け颯爽と浴殿を去っていった。残された咲桜はある程度温められた昨晩の湯を少し楽しんでから出た。  借りた部屋にはすでに灼鯉がいた。寝転んで本を読んでいる。立てた膝に片脚を乗せていたのを解いた。そして起き上がる。 「昼風呂してたの、咲桜さん」 「うん……まぁ」 「巴炎さんは」  灼鯉はきょとんとした。咲桜は何かおかしなことを言ったかと反芻する。 「お父さんは?」 「いいのに、別に。お父さんはお昼のお勤め」  野州山辺巴炎は忙しそうである。勤めというと帳簿整理だろうか。咲桜も軍役時代にやっていた。  「そう」 「何か用あるなら呼ぼうか?」 「いいや、用はないよ」  庭先から話し声が聞こえた。咲桜は外を向いたが、灼鯉は特に気にした様子もない。門から玄関に至る石畳の一画に若い娘と老翁の姿が見えた。 「お客さん来てるんだ」  湯殿での狂宴が聞こえてしまったかも知れない。 「……うん。咲桜さん、暇ぁ」  彼は本を置いて咲桜に絡みつく。仕草も口調も飄々としているが、どこか白々しい。玄関先で談笑が聞こえた。巴炎の声も混ざっている。 「あら、お父さん、もうすぐ終わっちゃった」  灼鯉は背中に圧しかかっていたのをやめてしまった。 「灼鯉くん?」 「僕が用思い出した。じゃね~」  彼は咲桜のほうを振り向くこともなく自分の部屋に戻っていった。ぱすん、と襖の閉ざされる音がしたのだった。

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