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第8話
ドアをノックすると、「はい」という父親の声が聞こえた。
「真那人です」
「入れ」
父親の合図で、真那人は会長室に入った。
父親は窓側にあるデスクに座り、何かの資料を読んでいたのを止めた。
「やっと来たか」
「どういうつもりですか、一体」
「まぁそう怒るな。驚いただろうが、ただ来いと言ってもすんなり来るとは思えんかったからな。少々強引な事をした」
「まさか……このまま会社に入れと?」
真那人は父親の身勝手さに怒りが湧いてきた。
ちゃんと会社に移るなどとは言っていないし、モデルだって辞める気など毛頭ない。
今日の予定もキャンセルしなくてはいけないだろうか。
「いや。今日はお前に会社を見せようと思っただけだ」
確かに会社には初めて訪れたが、要するに入社する前に見ておけということか。
「俺は別に……」
関係ない……そう言いたかった。人の人生を振り回さないで欲しいとも思う。
「そう言うな。お前に迷惑をかけるのは分かっている。でもな、頼む。お前しかいないんだ。ウチに来てくれ」
父親はデスクに手を付いて頭を下げた。
「や、やめてくれよ……」
真那人の心が揺らぐ。
「会社を……助けてくれ……」
なんて大袈裟なんだろうと思う。それに、父親だって直ぐに退くわけではないだろう。
しかしふと、大勢の社員の存在が脳裏にちらついた。
沢山の人間が働く、父親が守ってきた会社を絶やしてはいけない。
有能な幹部が継ぐ方法もあるかもしれないけれど……。
「俺は、会社のことなんて分かりません」
「大丈夫だ。これから慣れて力をつけていけばいい。心配するな」
「父さん……」
本来ならまっぴらごめんだと言って逃げ出すところだ。でも……。
「分かりました。KSグループに、入ります」
人生で、最大の決断だった。しかも、自分らしくもない。それでも決めた。
「真那人……ありがとう」
「いえ。まぁ、俺もやれるところまでやってみます」
「あぁ。頼むぞ。それでだな」
「はい?」
「お前も、逢沢の名字になれ」
真那人は母子家庭で育ったから、母親の名字でこれまで生きてきた。
それでも、継ぐとなると父親の逢沢姓の方が都合は良いだろう。
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