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柔らかな貴方に触れたい 2

 気づけば、今日も残業確定で空はうっすらと黒くなっていた。オフィスで原稿を捌いていると、突然携帯が鳴った。相手は嘉月先生のお見舞いに行った時に、何度か会話をした隆文さんからだった。その時に、俺たちは電話番号を交換していた。 ――何かあったのだろうか? 背筋にゾッとしたものが走り、慌てて出れば、それは予想もしていなかった事態であった。 「…っ!どう言うことですか?!御神には二度と嘉月先生へと接触させない手筈でしたよね?!」 隆文さんからの電話を切り、俺は父、良成にすぐさま連絡を入れた。電話口で抑えきれない怒りを滲ませる。 「すまない、成界。御神家専属の弁護士と警察が、どうやら裏工作をしたらしい。」 「裏工作って…そんな、何より嘉月先生は優秀な医師ではありますが、薬剤師ではありません!調剤ができないことなんて明らかではありませんか?!」 「ボヌスルーナ社、聞いたことはないか?」  突然聞き覚えのない単語が飛び出してきた。 「それが、何か?」 「世界的にもトップに名を連ねる、日本の製薬会社だ。ラテン語で『良い月』という意味になる。」 流石に日本語を日々取り扱っているので、すぐにぴんと来た。 「まさか…?!」 「そうだ、『良い月』とは言い換えれば『嘉月』になる。隆文くんは嘉月さんは勘当されたと言っていたが、公にはボヌスルーナ社代表取締役の長子にあたるそうだ。今は、アルファの弟さんが事業を引き継いでいるらしいがね。」 「それなら調剤も可能だろうと、そういう筋書きができた、ということでしょうか。」  くらっと目眩がして、傾いた身体を寸手のところでデスクで支える。それでも声は震えてしまった。 「成界、落ち着きなさい。」 電話越しであっても、雰囲気で伝わったのか父に宥められる。 「ええ、すみません。」 「謝ることでは無いがな。まあ、よく考えなさい。御神家も確かに由緒ある名家だ。しかし、それと同じ、いやそれ以上に嘉月家も力があると言うことだよ。」 「ええ。」 「それにボヌスルーナ社が開発したアルファやオメガに向けた市販の抑制剤や、医療機関で使用されている抑制剤や促進剤も世界シェアで圧倒的トップを誇っている。そんな製薬会社が、今回のような粗悪品開発に携わっていることなど、まずあり得ない。ボヌスルーナ社は断固として否定し、法的措置も御神家に対して要求するだろう。」 「つまり、嘉月先生を勘当していても、ボヌスルーナ社への名誉毀損として対処できる、ということですね?」 「ああ。幸い、嘉月さんがオメガを理由に勘当されたことは、やはりオメガに対しての薬剤を作っている以上、イメージダウンにも繋がりかねないからな、極秘扱いにされていた。・・・御神家は、売った喧嘩の相手を完全に見誤ったのだよ。」  そこまで聞いて、ほっと息を吐いた。例え、家柄を守るための対処であっても、嘉月先生をこれ以上傷つけてしまうことは回避できる。 「安心しなさい。既に一色の名を使って、嘉月家へは連絡を入れてある。先方もすぐに動いている。嘉月さんが警察の取り調べを受けることはない。…ただ、一つだけ念頭に入れておいてもらいたいことがある。」 「…?それは、何ですか?」 「恐らくだが、嘉月さんは幼少期からボヌスルーナ社に人体実験をされていた過去がある。…彼の傷は私たちが考えているよりも深いかもしれない。」  ゆっくりと事実を述べる父。この短時間でここまで調べ上げ、迅速に対処するパイプの多さに、正直感嘆してしまう。そしてまた、嘉月先生へと想いを馳せる自分がいた。 「ありがとう、父さん。」  安堵したせいもあってか、すんなり喉から出てきた言葉。電話越しにヒュッと息を飲む音が微かに聞こえた。 「その、成界に父と呼ばれるのは、慣れないな。」 「そうですか。」  確かに俺は、父を頑なに「良成さん」と呼び続けていた。それが、これまでの父の行いに対してへの当てつけとなっていた。おまえが、母と俺を認めなかった分だけ、俺もまた、おまえを父として認めない、と。  けれども、今は…… 「嘉月先生に、言われたんです。」 ◇◇◇ 「嘉月先生に、俺はあなたに認めてもらいたかっただけだ、と言われたんです。あなたに露悪的な態度を取って、あなたの地位と名誉だけを搾取した。でも、それは決してあなたを単に利用しようとしたわけではない、と。」 「…そうか。」 「父さん、俺は、あなたを赦せる、と思います。あなたが冒した過去の過ちは、無かったことにはできない。でも、俺は、あなたを赦したい、と思うのです。…そして、俺はあなたに、認められたい。」 「成界、すまない。おまえの母、 由花莉(ゆかり)にも取り返しのつかないことをした。これは、わたしの贖罪なのだ。それに、わたしは、わたしには勿体の無いほど、おまえは、成界は立派な男だ。」 「そう、ですか。それはきっと、俺をしっかり育ててくれた、母さんの賜物だと思います。」 「そうか…由花莉、由花莉、わたしは、きみを…すまない、本当にすまない……」  ぽたりとデスクに雫が落ちた。  ああ、俺は泣いているのか。  そして、父もまた、泣いているのか。 「父さん、謝罪は過去に受け取りました。だから、もう、謝らないで。母さんも、きっと謝罪より、俺をここまで立派な男に育て上げたことに、感謝して欲しいと思っています。」 「あぁ、そうか。そうだな。ありがとう…ありがとう……」 「今度、俺が知らない母さんの話をしてください。俺も、父さんが知らない母さんの話をしますから。あの人、父さんが思っているよりも、パワフルな女性だったんですからね。」  それから俺たちは、ぽつりぽつりと会話を重ねて、次に会う約束を交わした。お互いにとって、ついこの間までは想像もできなかった歩み寄りだった。そして、その縁を築いてくれたのは、紛れもなく嘉月先生だった。  嘉月先生に、会いたい。  俺は、貴方に、こんなにも救われている。  今すぐ、貴方の元へと駆けつけて行きたい。 (第一章 終わり)

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