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第23話

 深くなった夜を迎えた街は欲でひたひたと満たされている。  しんと冷えた空気が剥き出しの首にまとわりつき、思わず身震いした。  職場にマフラーを忘れてきたことを瞬時に後悔したが、戻るのは面倒だった。何しろ、年末のせいで酷く疲れている。一刻も早く帰りたくてしかたがない。  暮れる年に浮き足立つ人々が、酒に、女に、男に、酔っている。  停留しているタクシーを横目で見たが、疲れた頭は妙に倹約家だ。千円ちょっとを払うのを惜しんでいる。たいして疲れていない時はタクシーにほいほいと乗るくせに、と思わず心の中で自嘲する。  キャッチを避けつつ、家路を急いでいると見覚えのあるクリーム色のコートを見つけた。  女性の腰に手を回し、寒さで赤くなった耳に何かを囁いている。  疲れ目のせいで幻覚かと思ったが、そうではないようだ。  この数ヶ月でよく見知った甘い顔だ。酒臭くて冷たい息に甘い言葉を乗せ、女の心を温めているところらしい。  とても自然に、ホテル街に向かっていく背中を見送る。  この街の欲の一部を占める男は年末は大忙しだ。  枕営業に励もうとしている恋人を思いながら、足は自然と家路から離れていた。  ちらりと上を見ると、たった今女と歩いていた男のキメ顔がでかでかと夜空を背景に煌めいている。 「どうぞ」  注文する前に出てきたジントニックに首を傾げる。  吉澤さんは「奢りだよ」とため息混じりに言った。  わかりやすく元気のない俺に呆れ半分、哀れみ半分と言ったところか。 「恋人関係なんでしょう」 「優ちゃん、恋人ができたの?」  二つ隣に座っていた、スレンダーな女性が話しかけてくる。耳によく馴染む艶っぽいテノール。  つやっつやの長い黒髪、耳がちぎれそうな大きなリングピアス。  今の今まで気がついていなかったのだが、知り合いだった。  女性的な見た目と口調だが、心身ともに男性だ。  一度、俺の職場の前でいい男と痴話喧嘩をしているのを見たことがある。  シンガーで通っているが、本職は誰も知らないらしい謎の多い人だ。 「ゆりこさん、こんばんは」 「こんばんは。仕事人間だった優ちゃんが恋人ねえ」  吉澤さんが深くため息を吐く。彼は俺の恋人をよく知っている人間だ。  酔った拍子に付き合っていることを素直に言ってしまった時の顔をよく覚えてている。  人の恋愛に口を出さない主義の人に顔面蒼白で「傷つく前に別れた方がいい」と言われると、こちらの酔いも覚めるというものだ。いまだに付き合っているのが現状だが。 「うまくいってないの?」 「うまく……というか、さっき浮気現場を見てしまって」 「あらあら」 「傷ついてはいるんですけど、初めてじゃないので」 「よくそんなやつと付き合ってられるわね」  浮気しない旨の誓約書がなくなってから、傑の女遊びは見る見る間に復活した。  初めて浮気されたのは誓約書がなくなって一週間後。  テーブルの上に乱雑に置かれたラブホのマッチ。  見つけた俺とやらかした、という顔をした傑の間で空気が凍った。  俺の家に女を連れ込んだときはさすがにキレたが、その後も知らないゴムがゴミ箱に捨てられていることがたびたびあった。  家があるくせにどうして俺の家でヤるんだ、と問い詰めたら神妙な顔で「ベッドが広い」と言いのけた。  知らない女とセックスしたベッドで寝る気になれず、その日はソファで寝た。  しかし、次の日にはどうでもよくなって今でも同じベッドを使っている。  浮気に止まらず、一週間ぐらい顔を見せなかったくせに、突然早朝に押しかけてきて「金を貸してくれ」とせがまれもする。  麻雀だかパチンコで負けたとかなんとかで。向こうのほうが圧倒的に稼いでいるというのに。  以前に書かせた借用書分も返ってきていないから、追いやるか話だけ聞いてご飯を食べさせて寝床を提供している。  そして少なくない頻度でセックスをしている。  直接お金を貸してはいないが、これも十分な甘やかしのひとつだと自分でもわかっていた。

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