29 / 38

第29話

「優ちゃん、姫はじめしよう」  おせちの残りを食べて、テレビを見ていると傑の長い腕が絡んでくる。  しだれかかってくる体を抱きしめながら、傑が言ったことを聞き返した。 「なんて?」 「ひめはじめ」  今度はゆっくりと言ってくれた。そういうことではない。 「したじゃん。朝、風呂で」 「あれは抜きあっただけ。姫はじめとは言わない」  絆すように口づけをされる。姫はじめ、というのだから女の子としてくればいいのに。 「どっちかっていうと殿はじめじゃない?」 「そんなのどうでもいいよ」  さわさわと傑の体を辿りながらふと気がついた。  半年前はうすっぺらかった傑の体が、なんだか少し肉付きがよくなっている気がする。 「いいよ。風呂入ってくるね」 「ん」  今朝、執拗に尻を触ってきたから挿入れたい気分なのはわかっている。  いそいそと水やローションの準備を始めた傑がぴたりと止まった。 「ゴムないから買ってくるわ」 「さんきゅ。あったかくしていけよ」 「すぐそこだから大丈夫だよ」  スウェットの上にパーカーだけ着て出ていく。  きっと足元は便所サンダルなのだろう。いくら雪が降っていないからと言って寒くないのだろうか。  寒い寒いと言いながらコンビニに向かっている傑を想像しながら、セックスをする準備のためにトイレに籠もった。  ベッドの上で大の字になりながら俺は思う。  あんな薄着で出て行ったくせに、二時間経っても帰ってこない男のことを。  服を着るのもめんどくさくて、ストーブがついているのを言いことにバスタオル一枚だ。  それもそろそろ意味をなさなくなってきた。  えっちする気満々だったのに。  おしりも綺麗に洗えたし、新年だからちょっといい匂いのするボディソープで体を洗ってみたりしたのに。  自分から姫はじめしようなどと誘っておいて、さすがにこれはないだろう。純粋な期待を返しておくれ。  ゴムを買いに行く、というのも家を出るための口実だったのかもしれない。  一向に連絡すらこないメッセージアプリと一緒に重たくなってきた目を閉じてしまった。電気もストーブもつけっぱなしで。  起きたらちょっと喉が痛くて、出勤したら寒くて関節が痛くなった。  まずい、と俺が気がついたときにはオーナーに退勤を命じられていた。 「インフルっぽいだろ。帰れ」 「うう……すみません……」 「優くんのことだからどうせパンツ一丁で寝たんでしょう」  パンツすら履いてなかったです、とは言えなくてマフラーの中に顔を埋めた。  熱があがってきたようで、ぽやぽやしているとタクシーに押し込められて、家についていた。  人間関係で体調崩すなんて何年ぶりだろう。  たぶん、オーナーに拾われた、三年前以来だ。  三角くんに「ちゃんと着替えて寝ろよ」と釘を刺されたような気がするから、よたよたと服を着替えてベッドに潜り込んだ。  寒い部屋と冷たいベッド。  傑がいないことが寂しくて、思わず枕を濡らした。  ここ一ヶ月ぐらいは傑の方が帰るのが早いせいで、家の中はいつも暖かった。  近づきすぎた、と気がついたときにはもう遅い。  勝手に期待して、勝手に裏切られた気になって。  恋人という名前をついてはいるものの、セフレと変わりない関係だというのに。  機嫌をとるのは優ちゃんだけ、とかいうから。  あの甘くて優しい声で言われたら、なんだって信じてしまいそうになる。

ともだちにシェアしよう!