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第30話

「え、優ちゃん? ビビったー、具合悪いん?」  ぼろぼろと枕を濡らしていると、パッと電気がついた。  滲んだ視界にゆらゆら動いているひょろ長いシルエットが見える。  この家に自由に出入りできるただひとりの人間がそこにいた。 「すぐる?」 「あ、あった。俺のスマホ。ごめんね、昨日帰ってこれなくて」  涙を拭うと、ソファとクッションの間から赤いスマホを抜き出している。  連絡がなかったのはスマホをここに置いて行っていたからだったらしい。 「まじで具合悪いの?」  冷たい手が額にあてられ、びっくりしたように離れていく。 「なんか食べた? ポカリかなんか買ってこようか」 「……い」 「え?」 「いらない」 「なんか食べないとしんどいよ」 「いいから……ここにいて」  外から帰ってきたばっかりの冷たい手を捕まえる。 「着替えてくるから、一回離して?」  まるでこどもを諭すような、やさしい声。  そんな声も出せるんだ、と思うと同時にちょっとわがままなお姫様にも同じ声で話しかけているのだと気がついてしまう。  茹だる頭で拗ねていると、傑はしかたがなさそうに俺から手を離し、するすると服を脱いでいく。  心臓のところ、はだけたスーツの胸元から見えないような位置に鬱血した痕がある。  傑の肌は白くて薄い。  ちょっと吸うだけで痕がつくような肌に、誰かの面影を残すことは一度もできなかった。  我が物顔で白磁の肌に痕をつけたお姫様に苛立つ。  唇を噛み締めながら傑のストリップをみていると、長くて白い指が唇をなぞってくぱりと広げられる。 「あっちいね」  熱がなかったらたぶん勃ってた。  妖艶な笑みを浮かべて、指が口の中に差し込まれる。  歯茎をぬるりとなぞられ、ぞくぞくと背筋が慄く。舌をそろりとなでられて、反射的に吸いついくと指はぬるりと抜けていく。 「病人のくせにえろい顔しないの」  煽ってきたのはどっちだよ。と言う元気すらなかった。  ピ、と電子音がして、エアコンが起動する。  干してあったスウェットをさっさと着ると、俺の隣に潜り込んでくる。  スウェットの裾から手を滑らせて、鬱血痕があったあたりをなぞる。  傑はちょっと困った顔をすると、首筋を晒して見せる。 「つける?」  真っ白くて、しみひとつない滑らかな肌。  痕がつかないようにそっと優しく吸うのは楽しみのひとつだった。  みっともない嫉妬と傑の優しさに泣きそうになりながら、美味しそうにすら見える首筋に口を寄せる。  ひんやりと冷えた肌を舌先で舐めて、唇をあてる。  くちびるの薄い皮膚で食むみたいに。  くちびるを深くあてると、肌の下の血潮を感じるような気がした。 「優?」  後頭部を促すように撫でられる。 「冷たくてきもちいい……」  肩口に額をあてて、肌から冷気を奪った。スウェットが涙で濡れたが、気にしないで欲しい。  俺にとって酒が、グラスが商売道具であるように、この男の商売道具は傑自身だ。  そんな大事なものに自分の存在を刻みつけることはできそうにない。   次の日病院にいくと、やはりインフルエンザだと言われた。  心の中で散々いちゃいちゃしていた傑と職場のふたりに謝った。  新年早々仕事を大幅に休むことになったが、二日後には薬のおかげで熱は下がっていた。  暇だ、とベッドの上でごろごろしていると、傑がコンビニから帰ってきた。インフルだから自分の家に帰った方がいいと言ったのに、傑は仕事終わりには必ずここに来る。桃のゼリーとかおかゆの素を買って。   ガサガサとビニール袋から真っ先に取り出したのはコンドームだった。  病み上がりなのだがヤる気なんだろうか。  しかし、傑は黙ってベッドのサイドテーブルにしまっている。  思い返してみると、熱を出してから傑は仕事が終わるとすぐ帰ってきている。お姫様を抱いてる気配もない。 「抜く?」  性欲魔神を気遣った提案は鼻で笑って却下された。 「優」  俺のおかゆを用意するために、右手におたまを持った傑はいつになく真剣だ。 「なに」 「知らない人について行ったらだめだからね」 「こどもじゃあるまいし……」 「知らない人を拾って家にあげるでしょ。心配」  あれはオーナーに言われて、と頭の中で言い訳をする。 「それは看板で見たことあったから……」 「ふつうは看板でみただけの男を拾ったりしないんです」 「はいはい」 「だから広報誌で見たキャバ嬢だからって家に入れちゃだめだよ」 「はーい」  やけに具体的な例に顔を顰めたが、傑はそれ以上話を続けようとしなかった。

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