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第32話
『藤崎、一緒に住もうか』
同じ大学の体だけの関係から始まった先輩。男が一足早く大学を卒業するあの日、渡された鍵の温度をいまだに覚えている。すっかり人肌になった金属の温度を。
男のこどものやわらかい体温も。
知らない女とつくったこどもはそれはもう愛らしく。
いっそ死んでやると豪語して、酒浸りの体で路地裏で寝ようとしていた。
まだ若くて、何も恐れがなかった頃の夢をやたら見るようになった。
傑が家に全然来なくなってからだ。
初めの三日ぐらいは女の家か、ぐらいに思っていた。家に連れ込まれるよりましだとも。
連絡すら来ない日が一週間続いて、喉の奥に小石が詰まった。それは日を追うごとに大きくなり、二週間経つ頃には食事が喉を通らなくなっていた。
栄養ゼリーを死んだ目で吸っていたら、オーナーに心配されておかゆをつくってくれるぐらいだ。男関係を仕事に持ち込むのは最悪だと思っているから意地でも仕事はした。
今までいつ別れるんだろうな、と呑気に思っていたぐらいなのに、いざその時になると苦しくてしかたがない。嗚咽と涙を一緒に堪えてひとりでむせた。
できることなら、好きな顔に見つめられる世界でたったひとりになりたかった。
醜い独占欲に身が擦り切れそうになる。
こんなに傑のことが好きだったか、と喉の奥の石がだいぶ大きくなってやっと悟った。
ここで立ち止まって傑を待っているのも馬鹿らしい。
もう三年前のような醜態は晒さない。
もうすぐ一ヶ月だ。そろそろ忘れられるような気がした。
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