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第35話

「なにこれ」  なんだこれ。  俺は目の前の状況を把握しあぐねていた。  見慣れたカウンターの中には三角くんとオーナーがいる。ここまではふつうだ。いつも通り。 「碧宮くん、手慣れてるね!」 「いや、それほどでも……」  なんて褒められながら三角くんに手解きをされているのは傑だ。No. 1ホストがしがないバーのカウンターにいる。  今朝、一緒に出勤してきた傑はオーナーに頭を下げて謝罪した。自分のだらしなさで怪我をさせましたとかなんとやら。そして詫びとして己を労働力として差し出したのだ。  傑がバーで働くのは、抜糸するまでの二週間と決まった。その間の給料はすべて俺に振り込まれるらしい。  今年に入ってから全然働いていない。申し訳なく思っていると、三角くんに背中をばしばし叩かれた。  バーテンダー経験はあるらしく、俺の制服も様になっているし、接客も申し分ない。  金髪が光の妖精に弄ばれてきらきらと透けている。きっとあの長いまつ毛にも絡まっているのだろう。こうして見る榛色は新鮮で、カウンターに座ってからずっと見てしまっている。  仕事中の視線には慣れているようで、傑は俺の視線に文句も言わない。綺麗な首筋とか、線の細い横顔を堪能しているとばっちり目が合った。 「見すぎ……」  じわじわと傑の顔が赤くなっていく。ホストやってるのだし、こういう視線に慣れていると思っていたのだが、そうではないらしい。こちらまで恥ずかしくなって「ご、ごめん」と口の中でもごもご謝った。  目が覚めてもずっと傑は元気がなかった。朝食を用意しようとしたらなんだかいい感じのカフェに連れて行かれた。  利き手を怪我したから、フォークもスプーンも持ちにくい。察した傑に手ずから食べさせてもらうという始末。しかもあまったるい雰囲気になってしまって、側から見たらただのバカップルだ。  別れるものだと思っていたのに、傑の声や行動が甘ったるくて混乱している。  正直居心地が悪い。  傑はしおらしいまま笑顔を浮かべるものだから、アンニュイな雰囲気が女性客にうけている。客層が違うからか、それともほぼすっぴんでいつもよりおとなしい髪型のせいか、ホストのアオトだとは今のところバレていない。 「カウンターに花が咲いたみたいだね」  オーナーは嬉しそうだ。  花がなくてすみませんね、と言ったら傑は心底不思議ですというみたいに首をかしげた。 「優ちゃんは花じゃないんですか?」 「優くんはなんか暗いからな……」 「メンヘラホイホイだし」 「ていうか、優くんと碧宮くんが知り合いだったの意外だな」 「はあ……まあ……」 「去年、優ちゃんに拾われたんです」 「え、もしかしてそれって」 「夏に」 「そこのゴミ捨て場で拾ったのって碧宮くんだったの……?」  三角くんが信じられないと目を丸くしている。  居心地が悪くてみじろぎしてジントニックを飲んだ。 「そっかあ。優ちゃん友達いないっぽいから心配してたけど、できたんだね」  たしかに友達は少ないが、生活リズムが合わないだけでいないことはないのに。 「藤崎もそこの路地裏に落ちてたんだぞ」 「オーナー、やめてください……」  一応止めてみたが、オーナーはにやりと笑うだけで話を続けた。 「あれは冬だったかな。コートも着ないで体育座りしてるから声をかけたら、べろべろに酔っ払ってて。放っておけなくてホテルに連れ込んで読み聞かせしてやった」 「読み聞かせって……」 「たいへんいい声で読み聞かせしていただきましたよ……」 「優ちゃんが冬に……薄着で……?」  傑は信じらないという顔をしている。俺が寒がりで、一緒にベッドに入るとずっとくっついているのを知っているせいだ。 「なんで?」 「い、言いたくない……」 「恋人?」 「まあ……」 「ふうん」  興味なさそうにグラスを磨いている傑の口先がちょっと尖っている。これは傑が拗ねてたときのくせだ。  やっぱり傑はどこかおかしい。俺が怪我したからおかしいのではない。たぶん、その前からだ。  一月の中旬から家に来なくなったのはカナコとの約束だったらしい。  どうしてカナコとそんな約束をしたのかわからない。傑が根無草なのはカナコも知っていてもおかしくないが、わざわざ「俺と」会わないと約束していた。  それなのに酔っ払った勢いで寝込みを襲いにきたのはどうしてなのか。  勘違いしそうになる頭を冷やしたくて、あっという間にグラスは空になっていた。 「俺がホストしに行こうかな」 「えっ!」  店中に響くような声量。  客の視線がカウンター内の傑に集まった。柔らかい光の元でもわかるほど傑の頬が染まる。自分でも思った以上に声が出てしまって恥ずかしいみたいだ。 「え、なに……びっくりした」 「びっくりしたのはこっちなんだけど。どうして急にそんな」 「水仕事なくてよさそうだし……傑の穴を埋めるのは無理だけど」 「俺がいなくても店は回る。優ちゃんが無理することない」  いつになく語気が強い。何をそんなにカリカリしているのかわからなくて首をかしげる。 「そんなに心配なら早く怪我直して」 「はーい」 「藤崎。毎日店に来なくていいからな」 「はい……」

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