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お見合いは、格式張った場所ではなく、クオンがよく息抜きに来ているという沢のほとりだった。きっとヨアンが、緊張しないようにと気を利かせてくれたのかもしれない。 沢の水が流れる心地よい音に幾分リラックスしたが、それでも緊張はする。相手は、皇子だ。サノアは沢の水に映る自分を見つめた。引っ張り出した一張羅の着物は、裾がスカートのようにふわりと揺れた淡い色合いの物で、ストールを腕に掛けている。 サノアは大きな瞳を伏せ、小さく肩を落とす。失礼があってはならないと、一番良い着物を引っ張り出したが、既に苦い思い出のある着物となりそうだ。こんな時に着たら着物も泣くだろうか、それでも心を奮い立たせる為に力を貸して欲しい。 ザリ、と砂利の擦れる音がして、サノアはびくりと肩を揺らし振り返った。そこに、クオンがいた。いつもの黒い着物を身に纏い、冷ややかな目を僅かに伏せ、小さく頭を下げた。サノアも慌てて頭を下げた。 「は、初めてお目にかかります。私、サノアと申します!」 そろ、とクオンを見上げるが、彼は表情一つ変えない。サノアは血の気が引いていくのを感じ、焦って再び頭を下げた。 「きょ、今日はお時間を作って下さり、ありがとうございます、えっと、」 何を話したら良いのだろう。偉い方と会う事なんて無いので、言葉遣いも挨拶の作法もサノアには良く分からない。こんな事なら少し位勉強してくれば良かったと後悔した。ヨアンが言っていたように、いくらクオンがいい妖だとしても、粗相をする相手に通用するかは分からない。出来の悪い自分を呪った。 「あ、あの、素敵な場所ですね。静かで、のんびり出来て心が休まりそう。アタシの、あ、私の家の近くにも、こんな場所があります。あの、こんなに静かじゃないけど、あ、ありませんけど、子供がいつも水遊びして、アタシ、私も魚とか、たまに捕ったり…あ、本当にたまに、えっと、」 俯き、懸命に話していた時だ、目の前に一輪の花が差し出された。ピンクの花びらが可憐なその花は、火の鳥の里ではよく見かける花で、子供達が花飾りにしてよく遊んでいる。 「ア、アタシに?」 突然のそれに、サノアがきょとんとしていれば、クオンは瞳を伏せながら頷いた。近くに咲いていた、何でもない花。凛々しくも厳つい彼が、一輪の花を持ち、僅か惑っている様子も感じられる。 もしかしたら、和ませようとしてくれているのだろうか。そう思えば、強ばった肩から力が抜けるような気がした。 サノアは、その花を受け取った。クオンが距離を縮めてくれている気がして、嬉しくなる。 「あ、ありがとうございます」 照れて笑えば、クオンはほっとした様子で目元を緩めていた。初めて見るクオンの微笑みに、サノアは再びきょとんとし、やがて嬉しそうに笑った。 今のクオンからは、冷徹な印象はまるでない。その穏やかな空気が、サノアを拒んでいない事を伝えてくれている。 「クオン様は、魚捕りはします?水浴び?お昼寝?読書?ここにはいつも一人で?こんな場所を一人占めなんて羨ましい!」 嬉しくなれば気が緩み、緊張していた反動からか、途端に饒舌になる。そして、サノアは質問しておきながら、クオンがリアクションする前に、「アタシはね」と、どんどん言葉を続けていく。サノアの悪い癖だ。 初めはクオンも戸惑っていたが、楽しそうに話すサノアを見て、やがて微笑ましそうに聞いていた。 沢のほとりを歩き、川に足を浸し水と戯れ、岩場で休んでる間にも、サノアのお喋りは続いていた。好きな事、着物の販売が好調な事、家族の事、里の外に旅行に行った事、妖の悩みを聞いてくれる探偵社があるという噂話。 「それから、」 そう続けようとして、サノアははっとしてクオンを見上げた。今更ながらようやく気づいた、クオンの話をまだ聞いていない事に、というか声すら聞けていない。またやってしまったと真っ青になる。 サノアは、最近失恋したばかりだった。そしてその理由が、このお喋りだった。気づけば喋り倒しているサノアに、相手が疲れてしまったのだという。その時も改めなければと思っていたのに、まさかそれをクオンの前にしてしまうとは。自分でも驚いていた。 「も、申し訳ありません!一人でペラペラと…!」 そして頭を下げれば、クオンが動いた気配がして、サノアはびくりと肩を跳ねさせた。まさか叩かれるのか、それともこのまま去ってしまうのか。何はともあれ、これでまた、失恋確定だろう。 恋に落ちている訳ではないが、それでも寂しいと思うのは、クオンに好感を抱いたからだろう。 溜め息を飲み込んでいれば、頭を下げるサノアに影がおりた。緊張で再び肩を強ばせていれば、耳元に少し指先が触れ、とん、と軽く肩を叩かれた。サノアが恐る恐る顔を上げると、クオンはまた目を伏せていた。どこか落ち着かないように、うろうろと視線を彷徨わせている。不思議に思い、耳元の違和感に指で触れると、サノアは目を丸くしてクオンを見つめた。 サノアの手の中にあるものと同じ花だろう、それが耳の上に差してある。よく子供達が差して遊んでいる髪飾りのように。 「あの…」 サノアが声を掛けると、ふいっとそっぽを向かれてしまった。その耳が赤くて、サノアは何だか余計に緊張してしまった。 クオンに否定されなかった事が嬉しいと思う。こんな自分を受け止めてくれたと、胸の内が温かくなる。 サノアにとって、会話のない時間は不安を呼ぶものだった。家族や気心知れた友人は別だが、それ以外では相手を気にしてしまい、結果それで嫌がられてしまっても、それでもその不安を拭う為に、いつも言葉で時間を埋め尽くしていた。自分に自信がなく、そんな自分を隠す為に。 でも今は、この無言の時間が心地よいと思える。クオンの優しさが空気を通して伝わってくる。ふと顔を上げれば、バッチリと目が合い、二人して焦れば、そんな自分達がおかしくて笑い合う。 その日、クオンとはまた会う約束を交わす事が出来た。 この日から、サノアはクオンと会える日を、待ち遠しく思うようになっていた。

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