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「…満身創痍だな」 「…うるせぇ」 ぐったりと待合の長椅子に倒れ込むリンに、暁孝(あきたか)は困った様子で眉を下げ、それから表情を緩めてその肩に触れた。 「ありがとう、リンが居てくれて助かった」 「…別に」 ふいっと顔を背けるリンの顔が赤い。暁孝は微笑み、くしゃとその頭を撫でた。 「…こんなんじゃ、イブキ様に叱られるな…」 リンの姿を見たら、リンの主は卒倒してしまうかもしれない。今後、彼が傷つく事がないよう、気をつけなければいけないと、暁孝は密かに誓った。 「そのイブキ様に、少しでも会えたらいいけどねぇ」 そこへ、(はじめ)が溜め息混じりにやって来た。 「イブキ様と話が出来る状況か、ヤエさんに頼んでイブキ様の配下の妖達に聞いて貰ってるんだけどさ」 「旅館の女将さんか」 ヤエとは、マコに会いに行った山の近くにある旅館の女将で、人と天狗の血が混じった半妖だ。 「そう。イブキ様はまだ誰とも会いたがらないらしくて、山にこもっているらしい。まるで天岩屋戸みたいだね」 「…それって、森に影響が出たりするのか?」 「多少はね。今は小さな変化でも、これが長引けば目に見えて変化が分かるだろうね。いつか森の木々も枯れていく、アカツキ様の小川が干上がっていたみたいにね」 その始の言葉に、リンはムッとして顔を上げると、長椅子の上に立ち上がり始を見下ろした。 「イブキ様はそんな事しない!あの御方は立派だ!たった一柱で森を守ってらっしゃるんだからな!」 始に噛みつくリンに、暁孝は溜め息を吐いてリンの足を軽く叩いた。 「分かったから座れ」 「アキまでイブキ様を侮辱するのか!?」 「してない。とにかく椅子の上に立つな。それに、そんなに動いてたら治るもんも治らないだろ」 「もう治ってる!」 治ってないだろと思いつつも、これ以上気持ちを逆撫でしてもしょうがないと言葉を呑み込み、暁孝は「そうだな」と頷きながら、リンの肩を掴んで椅子に座らせた。 「…でもそうか、あの森にはアカツキもいたから、イブキ様にはその負担もあるのか?」 暁孝の質問に、リンは「そうかもしれない」と俯いた。 「イブキ様は、ずっと一柱であの森を支えてきたから」 元々二柱で森の管理を行っていたなら、一柱だけでは管理は難しいのだろう。イブキだけの力では限界があるとしたら、無理を押して今までやってきたのだとしたら。 イブキが閉じこもってしまったのも、それが原因だろうか。神様といえど万能じゃない、アカツキのように力尽きる事もある。 「でも大丈夫だ!イブキ様は俺の自慢の主だからな!」 リンは思いを振り払うように、胸を張って顔を上げた。本当は、心配で不安で仕方ないだろうに。 「それならいいけどね」 「…なんだよ、含みのある言い方して」 ムッとしてリンが始を見上げるので、立ち上がりかけたその体を暁孝は押さえた。包帯で巻かれた翼が僅かに震えるのを見て、暁孝は宥めるように肩を軽く叩く。苛立つのは始が憎いからではなく、怖いからだ。始の言葉を認めたら、振り払った心配が現実になりそうで、イブキの、森の終わりが見えそうで怖いのだ。 だが、始は真っ向から向かってくる。現実は、見なくてはならないと。 「あの森は分からない事が多い。アカツキ様の事だって、どうして空に還ったか誰も知らないとか、おかしいじゃないか。恋人のヒノ様だって知らないし、マコ君だって主の最後の記憶がないってのもさ」 「…それは…」 「リンも知らないのか?森の妖達も?」 「…あの森の妖達は、ただ恐ろしい事実があったって事しか知らない。俺もイブキ様に仕えたのは遅かったから…」 「ずっとあの森に居たわけじゃないのか?」 「色々回って落ち着いたから」 「…そうか」 頷きつつ暁孝は、そういえば彼は自分達より年上だと思い出す。見た目は少年だが、自分達より遥かに年上で、その長い歴史の中には、ままならない日々もあったのかもしれない。呑気で気ままな猫又のシロだって、暁孝の家に住み着く前は、どこで何をしていたのかも分からない。 「まぁ、リン君の言う通りなのが一番だけどさ。でも、何が起こるのかわかんないのは身に染みてるし、森の様子はチェックさせて貰うよ。リン君だってその方が安心じゃない?」 「…まぁ、それは。イブキ様が心配だし…」 「主思いの良い奴だなーリン君は」 頭を撫でようとする始の手をリンは払いのけるが、それでも始はどこか楽しそうだ。怒るリンは威嚇する猫のようで、始はなかなか懐かない猫に手を焼きながらも可愛がる飼い主のように見える。 いや、手は焼いていないな、あれはからかっているだけだ。その様を見て、暁孝は溜め息を吐いた。 最初からイブキ様の為にって言っておけばいいのに、何故相手の心を逆撫でようとするのだろうと、暁孝は始を不思議そうに見上げた。 何やら、言い合いじゃれ始めた二人を横目に、暁孝はふと右手の掌を見つめ、指でなぞった。そこには、ヒノに触れた際に負った酷い火傷の痕があったが、今では跡形もなく綺麗に消えている。 「……」 ぼんやりしていると、始にぽんと肩を叩かれた。 「とりあえず、まだ様子見だね」 「何がだ?」 「智哉(ともや)君だよ、話の通じない妖ともコミュニケーション取れるから戦力だと思ったけど、マコ君も今回みたいな事があると怖いしね、まだ暫くは危ない仕事は回させないから安心して」

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