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出会い 第5話
「な、何だよ!?まだ何か用かっ!?そんなに警察呼びたいなら呼べば――……」
「血が出てるぞ」
男は使い捨てのおしぼりを袋から出すと、ぶっきらぼうに言いながらオレの頬におしぼりを押し当ててきた。
「痛っ、何だよ!!触んなっ!!」
「だから、血が出てるって言ってるだろう!?ちょっとじっとしてろ!」
「ぁあ‟!?ちょっ、痛いって!!」
男は、振り払おうとするオレの手を片手で押さえると、仏頂面でゴシゴシと頬を拭いた。
「痛てて……だから、そんなにゴシゴシしたら皮が捲れるだろっ!もっと優しく……」
「優しくしたら汚れが取れないぞ?」
「だから、それは……あ~もういいから、触んじゃねぇよっ!」
「もう終わる。少しくらい黙って待てないのか?」
男が少しイラ立った様に顔をしかめた。
いやいや、オレは別に拭けとも手当しろとも言ってねぇよ!?
お前が勝手にやってんじゃねぇかよっ!
汚れを拭き取った男は、ベビーカーの後ろにかけてあるデカいバッグから、可愛らしいレース柄の小さいポーチを取ると、中から携帯用の消毒液や絆創膏を取り出して、これまた頼りない手付きで手当てをしてくれた。
「さっきは……その……勝手に決めつけてしまって申し訳なかった。確かに目を離した私が悪い。ハイハイしか出来ないのにあんなに移動できるとは思わなくてな…………よし、これでいいか」
男が絆創膏を貼って、上から軽く押さえた。
だから、痛いっつーの!
「……アリガトウゴザイマシタ……」
癪 だったが、一応手当をしてもらったので、小声でお礼を言った。
こいつ、こんな小さい子どもがいるくせに手つきが何か不器用で危なっかしいなぁ……育児慣れしてないのがバレバレ。
まぁ、まだこの子も小さいし、一人目ならこんなもんか。
「……子どもはハイハイできりゃどこまででも行くんだよ」
「そうみたいだな。次からは気を付ける」
何だよ、急に素直になったな……こいつ本当にさっきと同じやつか?
訝し気な顔で見ていたオレに気付いて、男が小さくため息を吐いた。
「実はきみがいなくなった後……」
どうやら、先ほどのオレの雄姿 を見ていた老夫婦がいたらしく、オレが去ってからこの勘違い男に、一部始終を話して誤解を解いてくれたらしい。
***
「ところできみは年下の兄弟でもいるのか?」
「あ?オレは一人っ子だけど?」
さっき助けた赤ちゃんがベビーカーからこちらに手を伸ばしていたので、オレは表情を和らげて赤ちゃんに軽く手を振りながら、男の質問に答えた。
「一人っ子?じゃあ、どうしてそんなに子どものことに詳しいんだ?」
オレと赤ちゃんのやり取りを見ながら、男が不思議そうに言う。
「あ?……んなの、オレ保育士だし」
「保育士!?きみが!?」
この男ほんと失礼だな……まぁそういう反応には慣れてるけど、こいつに言われると何かムカつくぞ!?
「オレが保育士だとおかしいかよ?」
「いや、そういうわけでは……じゃあ、保育園で働いているのか?」
男が、オレの隣に置いてあった求人情報誌をチラッと見た。
「数日前までな。今は無職だ。もういいだろ」
男との会話を終了しようとした瞬間、また頭に声が響いてきた。
『え?あなた保育士なの!?どうりで赤ちゃんの扱いが上手いと思ったのよ!ねぇ、あなた。今無職なんでしょ!?だったら、この子のベビーシッターしてくれない!?』
ベビーシッター?何言ってんだ……
「なぜ無職なんだ?なぜ辞めた?」
女の声に気を取られていると、いつの間にか男も話に食いついて来ていた。
「は?いや、別にそんなことお前に関係ないだろ!」
「子どもに暴力を振るったとか、何か不始末があったとか……」
「オレはなぁ!……自分よりも弱い存在に暴力を振るうようなことはしねぇよ!退けっ!」
イラっとして大きな声を出しかけたが、赤ちゃんがいることを思い出して少し声を抑えた。
この男の言動のひとつひとつが、オレをクビに追いやったあのモンペに重なってしまう。
ムカついたので、さっさと男を手で押しのけて立ち上がろうとした。
だが、オレはあっさりとその腕を掴まれてしまった。
「なら、ちゃんと答えろ。なぜ辞めた?」
「……っから、何で見ず知らずのお前にそんなこと言わなきゃいけねぇんだよっ!」
「……ふむ……それもそうだな……それじゃせめてこの子の命の恩人の名前を教えてくれ。私の名前は由羅 響一 だ。この子は莉玖 。1歳になったばかりだ。きみの名前は?」
「名無しの権兵衛 だよ。じゃあな」
男は、無視して立ち上がろうとするオレをベンチに押さえ付けた。
「名前は?」
「あ~もぅっ……綾乃 だよっ!綾乃 五月 !もういいだろっ」
男の圧に負けて、やけくそに怒鳴る。
「それは……本名なのか?」
男が何とも言えない微妙な顔をしてオレを見た。
うるせぇな!どうせオレには似合わねぇよっ!!
「さあな!」
偽名だと思うなら、それはそれで別にいい。
「ふむ……わかった。それじゃあ、綾乃くん、後日お礼をしたいから連絡先を教えてくれないか?」
「んなもんいらねぇよ」
何なんだよこいつ……個人情報聞き過ぎじゃねぇか!?
「オレにお礼する金があるなら、育児書でも買っとけ!それより、この手離せよっ!」
ベンチに座っているオレの目の前に由羅が跪 いているので、立ち上がれない。
その上、押しのけようとした腕は掴まれてしまったので、何だか八方ふさがりの状態なのだ。
くそっ!あんまり子どもの前で揉めたくねぇけど……こいつマジでうぜぇな!頭突きでもくらわしてやろうか……
オレがどうやってそこから逃げ出すか思案を巡らせていると、いつの間にか由羅の手にはオレの携帯が握られていた。
「あ、ちょっ、お前何勝手にオレの携帯触ってんだよっ!」
「連絡先を交換しただけだ。私の連絡先も登録してあるから、何かあれば連絡をくれ」
「今すぐ消せ!」
「じゃあ、また後日。頭、痛むようなら病院に行くように。費用はこちらで払うからちゃんと連絡してくれよ」
由羅は言いたいことだけ言うと、さっさとベビーカーを押しながら行ってしまった。
変な奴……
すぐに連絡先を消そうとしたが、
『ダメよ!!それは残しておきなさい!本当に病院に行かなきゃいけなくなるかもしれないでしょ!?その時は兄から病院代ふんだくってやればいいのよ!!』
また頭の中に声が響いてきたので、それもそうだと思い一応残しておくことにした。
***
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