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両手いっぱいの〇〇 第213話
「五月 」
「ん~?」
「続きを話してもいいか?」
「どうぞ~?……って、は?今何て?」
テーブルに突っ伏していたオレは、ガバッと顔をあげた。
「だから続きを……」
「いや……メイって誰?」
「ここには私とお前しかいないが?」
「え、そうだけど。何だよ急に!?」
由羅に下の名前で呼ばれるのは初めてなので、ちょっと動揺してしまった。
そうだよな、メイってオレのことだよな……?
なんか由羅に呼ばれると違和感が……背中がムズムズする!
「お前が呼び方を変えた方がいいと言い出したんだろう?」
「それはオレの問題であって、お前まで変える必要はねぇよ!?」
「別に変えたっていいじゃないか。亮 たちは下の名前で呼んでるんだし……私も下の名前で呼びたい」
由羅がちょっと拗ねた顔をした。
「そりゃまぁ別にいいけど……いや、やっぱりダメ!」
「なぜだ?」
「だって……え~と……ほら、莉玖にとってはオレは『あやの』だから。お前が急に呼び方変えれば、莉玖が混乱するだろ?」
莉玖にとってはオレはベビーシッター兼家政夫なので、『先生』と呼ばせるのもなんか違う気がして、最初から『あやの』と呼ばせるようにしている。
それに由羅や杏里たちも『綾乃』と呼ぶので、莉玖はオレのことは『あやの』だと認識している。
「莉玖にも『あやの』じゃなくて『めい』と呼ばせるか?」
「あ、それダメ。ヤギになっちゃうぞ?」
「ん?どういう意味だ?」
「前の職場は子どもたちが呼びやすいように、特に赤ちゃん組では保育士もニックネームで呼ぶようにしてたんだけどさ……」
最初オレは『めい先生』や『めいちゃん』って呼んでもらうことにしていた。
『あやの』よりも『めい』の方が短くて呼びやすいだろうと。
だけど、赤ちゃん組の子どもたちはまだ『せんせい』が言えないから『めい』だけになる。
「確かに呼びやすいんだよ。でも、呼びやすすぎてダメだったんだ」
「呼びやすいと何がダメなんだ?」
「絵本の読み聞かせをした時にさ……ヒツジの鳴き声で『メェ~』って言うのが出てきて……それのおかげで子どもたちがオレの名前を覚えたんだけど、『めい』じゃなくて『めぇ~』って覚えちゃって……で、そればっかり連呼するようになって、オレを呼ぶ度に「めぇ~」「めぇ~」って……うちの部屋からヤギやヒツジの牧場かってくらい「めぇめぇ」聞こえてくるから、同僚たちや迎えに来た保護者の腹筋が崩壊して、結局『あや先生』になったんだよ」
オレはその時のことを思い出して無の表情になった。
いや、ヤギだろうがヒツジだろうが別にいいんだけどさ?そもそもあれは、オレが必死に子どもに「めいだよ」って教えてるのに、他の先生たちが面白がって「めぇ~先生」って呼んだせいでもある!
「……牧場……」
「まぁ、莉玖ひとりなら別にいいけど……子どもって言いやすい言葉は何回でも繰り返して言うから……せめてもうちょっと言葉を覚えて『めいちゃん』とか『めいくん』って言えるようになってからじゃないと……」
「ふっ……くくっ……」
由羅が顔を逸らして静かに吹き出した。
「おいこら!!何笑ってんだ!!」
「すまん……はははっ……」
「由羅ぁ~!!」
普段笑わないクセに、久々に爆笑したと思ったらオレの名前かよ!!
オレは爆笑する由羅の頭を挟み込んで、こめかみを拳でグリグリと押した。
「痛たたた……はははっ!」
「……ガキの頃から、女みたいな名前だとか、ヤギみたいだって散々からかわれたから、なんかイヤなんだよ……!」
というか、名前を弄られるのは慣れているが、由羅に笑われると何か……ちょっとムカつく!!
「……すまない、バカにしたわけじゃないんだ。ただ……可愛いなと思ってだな……」
オレが呟いたのが聞こえたのか、由羅が慌てて笑いを引っ込めた。
でも、可愛いって何だよ!?
「それをバカにしてるっつーんだよ!」
「してない。私は『五月 』という名前は好きだ。とても良い名前だと思うぞ?」
「そりゃどうも」
「綾乃、嘘じゃない!本当に好きだぞ?」
オレが由羅の頭から手を放して離れようとすると由羅が腰に手を回して来た。
「はいはい、っつーか、離せよっ!もう帰る!!」
「ちょっと待て!ちゃんと聞いてくれ!笑ったのは、子どもたちが綾乃の名前を連呼しているところを想像したからだ。子どもたちも綾乃のことが好きだったのだなと思ってな」
「は?いや、そりゃ嫌われてはなかったと思うけど……でも、さっきも言っただろ?子どもは言いやすい言葉とか覚えた言葉を連呼しているだけで……」
「それでも……綾乃の名前を呼びたかったんだよ。綾乃の名前を呼ぶ度に綾乃が反応してくれるから、嬉しかったんだと思うぞ?」
そりゃまぁ……名前を呼ばれると一応反応は返してたけど……あれがオレの名前だと認識していたかどうかは……
でもまぁ……別にどうでもいいか。
子どもたちが何であんなにオレの名前を連呼していたかなんて、たぶん本人たちにもわかっていない。
それなら、由羅が言うみたいに、子どもたちはオレのことが好きだから名前を呼びたかったんだって思った方が……なんか……ちょっと……気が楽というか、嬉しいというか……
「……そうかもしれねぇな」
オレはちょっと肩をすくめて、そっと苦笑いをした。
子どもたちに呼ばれるのは別にイヤじゃなかった。
オレが反応する度に喜ぶ子どもたちの顔を見るのも好きだった。
他の先生たちも、別に悪気があったわけじゃないし……
少なくとも保育園では、ガキの頃みたいに名前をバカにして弄って来るようなやつはいなかったから……
「すまない、イヤな思いをさせた。本当にバカにしたわけじゃないが、あのタイミングで笑うべきじゃなかった」
由羅はオレが俯いたまま黙っているのでまだ怒っていると思ったのか、立ち上がってオレを抱き寄せると何度も謝って来た。
別にもう怒ってねぇけど……まぁ、焦る由羅も珍しいのでもうちょっと焦らせておくか。
オレは由羅の胸元に軽く額をつけてふっと笑うと、由羅の背中に手を回した。
***
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