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〇〇の秋 第325話

 池谷(いけがや)が戻って来ると、由羅は渋々起き上がって書類を受け取った。  おっと、さすがに社長がこの頭はヤバいよな!  ボサボサになっていた由羅の髪を横から軽く撫でつける。  う~ん、なかなか直らねぇな……こいつの髪直すの苦手なんだよな~……  “暴風が吹いても崩れない”とかいうヘアワックスとかないかな~…… 「よし、もうこれでいいか!……それじゃオレはそろそろ帰るよ」  どうやっても直らないので適当なところで諦めたオレは、由羅にバレないうちに……いや、仕事の邪魔をしないように、荷物を持って立ち上がった。  うん、髪は自分で直してくれ! 「あぁ……あ、綾乃!」 「えっ!?」  書類に目を通していた由羅が、慌ててオレの手を掴む。  え、髪ボサボサのままだってバレた? 「下まで送るからちょっと待て」  な~んだ。  ボサボサにしたことを怒ってるわけじゃねぇんだな。  っていうか、 「いや別にひとりで大丈夫だぞ?」 「あとはサインするだけだから!すぐに終わる!」 「お、おぅ……」  子どもじゃあるまいし、迷うようなルートでもないからひとりでも帰れるんですけど?  オレって、そんなに方向音痴だと思われてるのかな…… 「わかった。そんじゃ待ってるからさっさとサインしちまえよ」 「あぁ……」  由羅が書類にサインをしていると、一旦部屋から出ていた池谷がまた戻って来た。 「失礼いたします。お電話です――」 「チッ……」  え?今の舌打ちってもしかして由羅? 「今から綾乃を下まで送って来るから、後でかけ直すと伝えてくれ」  そう言いながら由羅が急いで池谷の横を通り過ぎようとしたが、池谷は表情を崩すことなくガシッと由羅の腕に自分の腕を絡めて由羅を引き留めた。 「綾乃様は私が責任を持ってお見送りいたしますので、ご心配なく。社長は仕事にお戻りください」 「池谷!5分だけだ!すぐに戻って来る!」 「あちらも急ぎらしいので」 「ぅぐ……少しくらいいいじゃないか……」  由羅が恨めしそうな顔で池谷を見たが、池谷は気にする様子もなくスンとした顔で由羅を社長用の椅子に押し戻した。  うわ~、なんか力関係(物理)が垣間見えた気がした。  秘書って言ってたけど、由羅にこんなにズケズケ言える人が会社にいるんだな~……  もしかして、秘書って最強なのか?っていうか、この池谷さんが最強?  オレはとりあえず、池谷さんは怒らせないようにしようと心に決めた。 *** 「綾乃!明日は綾乃の分も持って来い。一緒に食った方が美味しいからな」  オレが部屋から出ていこうとすると、由羅は電話を保留にしたまま早口で言った。  ん?ちょっと待て。 「……それは明日も弁当を持って来いってことか?」 「え……ダメか?」  由羅が捨てられた子犬みたいな目でチラリとこっちを見た。  ぅ……その目は反則だろう!? 「ま、まあその……弁当を持って来るのはダメじゃねぇよ?……でも……」 「もちろん莉玖にも会いたいから、なるべく早く迎えに行くつもりだが……そうだな、今の案件が落ち着くにはあと五日くらいはかかりそうなんだ」 「五日かぁ……」  まだこれから何日間も今の状態が続くようなら、毎日ここまで弁当を届けに来るよりも、いっそ莉玖を連れて由羅の家に戻って、朝弁当を作って渡す方がマシかな……  と思ったけど、まぁ、あと五日くらいなら…… 「綾乃……?五日はダメか?五日間毎日が無理なら来れる時だけでも――」 「う~ん……」 「そ、それじゃあ、四日……じゃなくて、三日!三日ならどうだ!?」 「ん?三日?」 「あぁ、あと三日でどうにかする!それならいいか?」  え、なにが?  由羅はオレが考え事をして生返事しか返さないのを、オレが怒っているとでも勘違いしたらしい。  よくわかんねぇけど、五日って言ってたのが三日になったのか?  二日の差って結構大きいと思うけど大丈夫なのか?まぁ、オレは別にどっちでもいいけど…… 「わかった。あと三日だな!とりあえず、明日も昼くらいに持って来るよ!」 「そ……そうか!楽しみにしておく!あ、行き帰りには気を付けろよ」 「うん、おまえもちゃんと晩飯食えよ!夜もしっかり眠るように!」 「……善処する」 「明日確認するからな!?」 「ハイ!」 「よし!」 「――んん゛、もしもし、お待たせいたしました……――」  由羅は、一瞬ホッとしたように口元を綻ばせたが、受話器を手にするとすぐに表情を引き締めて社長の顔になった。  うわ~……画面越しにチラッと見たことはあるけど、改めて目の前で見ると……切り替えエグイな…… 「では綾乃様、行きましょうか」 「あ、はい」    池谷に促されたオレは、こちらに向かって軽く手を挙げた由羅にひらひらと手を振り返すと、そそくさと部屋を出た。 ***

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