329 / 358

〇〇の秋 第326話

――綾乃様、ありがとうございます」  エレベーターに乗り込むなり、池谷(いけがや)がオレに向かって頭を下げた。 「えっ!?な、何が!?……ですか?」  池谷に頭を下げられる覚えがなかったので、テンパったオレはビタンッ!とエレベーターの壁にへばりついた。   「社長を眠らせてくださって助かりました」 「ぁ~……」  そのことか……ん?いやこれってオレ遠回しに怒られてんのか?  池谷は由羅と違って表情が優しいが、常に微笑んでいるので逆に何を考えているのかわからないところがある。  とりあえず、謝っとくべき?   「いやあの、し、仕事中にすみませんでした!……その……由羅のが酷かったので思わず……」  オレが頭を下げ返すと、池谷が慌てた。 「いえ、休憩時間でしたから大丈夫ですよ。本当はもっとゆっくり休んでいただきたかったくらいで……実は、私も社長が寝不足なのは気づいていたのですが、我々がいくら言ってもあの方は休もうとしてくださらないので困っていたのです。早く片付けて莉玖様や綾乃様を迎えに行きたいという気持ちはわかりますが、無理をして倒れたら元も子もないですし……」 「え?……あ~……ははは……」  池谷さんは由羅とオレの微妙な関係は知ってんのかな?それとも、オレのことはただの由羅のだとでも思ってんのか……?  池谷がどこまで知っているのかがわからず、反応に困って頬が引きつった。  池谷の話では、由羅が会社であんな風にリラックスしている姿を見せること自体が珍しく、一緒にいる時間が一番長い池谷の前でも常に気を張っていてほとんど弱みを見せないらしい。  意外だな。さっきのやり取りを見る限りでは、池谷さんにはかなり気を許してる感じだったけどな~……  オレが首を傾げているのをみた池谷が、ふっと苦笑いをした。 *** 「――今にも潰れそうになっていたわが社を今の状態まで立て直したのは紛れもなくあの方の手腕によるものです。ですが、それを面白く思わない方……特に関係からの妨害が酷くて……綾乃様もご存知でしょうが、あの方の一番の敵は身内ですからね」  前社長というのは由羅の従兄で、この会社をわずか半年ほどで傾かせた張本人、博嗣(ひろつぐ)のことだ。  ライバル社からの妨害よりも博嗣や伯父からの妨害の方が何倍も多く、厄介なのだとか。  ほんとにあいつらって……ろくでもねぇな…… 「社長は、身内からの妨害に関しては個人的な恨みによるもので、社長ご自身の責任だからと、ほとんどひとりで対応しようとするんです……社員への負担を減らすために、トラブルの度にひとりだけ朝早くから夜遅くまで休みなく仕事をしたり――」  現在この会社の社員の半数以上が前社長である博嗣からいろいろと不当な扱いを受けていた過去がある。池谷もそのうちの一人だ。由羅は彼らの心情を(おもんぱか)り、彼らがなるべく博嗣案件とは関わらずに済むように、ほとんどひとりで対応しているらしい。だが……   「前社長を知る社員ほど、現社長への好感度や心酔度が高いのです。社長が我々を守ろうとしてくださる気持ちは嬉しいのですが、みんな今の会社に、社長に、もっと貢献したいと思っていますし、我々にとって前社長からの妨害は前社長へ正々堂々とができるいい機会でもあるのです。ですから、みんなもっと社長に頼って欲しいと思っているわけで――」  徐々に熱を帯びていく池谷の話に、オレはただ困惑していた。  オレは一体何を聞かされているんだ?  由羅に対する池谷さんたち社員の気持ち?  ……でもそれって…… 「あの……そういうのは由羅に直接言えばいいんじゃないっすか?」  みんなに慕われてるとか、由羅が知れば喜ぶと思うけど……   「もちろん、何度もお伝えしています。でも、社長はほら……頑固ですからね……」 「あぁ……」    え~と……つまり……? ***

ともだちにシェアしよう!