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〇〇の秋 第327話
「……ただいま……」
疲れ切った由羅の呟き声が、静かな玄関に虚しく響いた。
大きなため息を吐いて靴を片付けようとした由羅は、靴箱にあるはずのない靴があることに気付き手を止めた。
「……っ!?」
一瞬息をするのも忘れて固まった由羅は、次の瞬間には靴も鞄も放り出したまま一目散に階段を駆け上がっていた。
普段はなるべく足音を立てないように歩いている。神経質な祖父と暮らしていた時のクセだ。
だが、そんなことを気にする余裕もなくバタバタと音を立てながら駆け上がると、バンッ!と寝室の扉を開け、ベッドの掛布団を勢いよくめくった。
「っ綾乃!?どういうことだ?……なぜここに……あれ?じゃあ莉玖 も!?莉玖~?」
由羅は律儀に掛布団を戻すと、今度はベビーベッドに近付いた。
「……あ、いた!莉~……あ゛っ……――」
由羅が覗き込むと、気配と音に驚いて目を覚ましていた莉玖と目が合った……
――とまぁ、それらは後で莉奈 に聞いた話だ。
ちなみにその時オレはと言うと……久々の由羅のベッドで爆睡していた。
***
――気持ち良く眠っていたオレは、莉玖の泣き声と困り果てた由羅の声で目を覚ました。
「――よしよし、そんなに怒るなよ。起こして悪かった。眠たいよな。またねんねしていいんだよ?まだ夜だからな……こらこら、顔を叩くな。そうだな、パパが悪かったよ……痛っ!おいおい、パパだぞ?もしかしてもう忘れちゃったのか?――」
薄っすら目を開けると、スーツ姿の由羅がぐずって暴れる莉玖を必死にあやしていた。
わ~……パパがんばってるぅ~……じゃなくて!
「ふぁ~~……何やってんだ?」
オレは上半身を起こすと寝惚け眼を擦って大きな欠伸をしつつ、由羅に声をかけた。
「よしよ……あ、綾乃!すまない、起こしたか」
「そりゃまぁ……そんだけ騒いでりゃさすがにな……おかえり、いつ帰って来たんだ?」
「え?あぁ、今さっき……いや、5分……あ~……10分程前か」
由羅が莉玖の攻撃を避けながら腕時計を見た。
「そか……」
オレはベッドサイドの時計をチラッと見ると、間接照明を付けた。
今は夜中の2時を過ぎたところだ。
「由羅~……」
「……ん?どうした?」
莉玖の寝かしつけを代わろうと思って由羅に両手を伸ばすと、由羅は片手に莉玖を抱っこしたままオレを抱きしめてきた。
「……って、ちげーよ!」
どさくさに紛れて何やってんだよバカッ!
寝ぼけてるから普通にまったりしそうになったじゃねぇか!
「なんだ、違うのか」
「どう考えても違うだろ!莉玖だよ莉玖!」
「あぁ……」
「ほ~ら、おいで莉玖」
「あ~のぉ~!」
ギャン泣きしていた莉玖がジタバタしながら必死にオレに手を伸ばしてくる。
由羅は莉玖をオレに渡すと、ちょっとホッとしつつも残念そうな顔で頬を掻いた。
「よしよし、どうした?パパに起こされちゃったのか?」
「すまない。私が部屋に入った時に少し音を立ててしまったせいで起こしてしまったようだ……というか、莉玖は私のことを忘れてしまったのか?全力で拒否されたんだが……」
由羅が莉玖に引っかかれた頬を押さえて顔を顰めた。
「あ~……」
一応離れている間も毎日テレビ電話でやり取りはしてたけど、画面越しだとやっぱり直接会うのとは違うのかな~。それに……
「まぁ、たぶん目を覚ました時は莉玖も寝ぼけてただろうし、暗い中にパパがいたからびっくりしたんじゃねぇかな~……」
「そうか……たしかに暗い中だとよく顔が見えないしな」
「そうそう」
っつーか、暗い部屋で目を覚ますなり目の前にでっかい真っ黒なシルエットがあったら大人でもビビるからな!?
「あ、由羅!風呂まだだろ?」
「まだだ」
「莉玖は寝かしつけておくから、風呂入ってこいよ。腹減ってるなら夜食も冷蔵庫に入ってるぞ」
「わかった」
由羅がいると莉玖が泣いてしまっていつまでたっても眠れないので、適当なところで話を逸らして由羅を寝室から追い出した。
***
初めて由羅に弁当を届けたあの日、由羅はあと3日でどうにかする!と言っていたが、結局3日では無理だった。
4日目の今日(というか、もう昨日だけど)昼飯を届けに行くと、由羅は有言実行出来なかったこと、その上まだ今日も迎えに行けそうにないことなどを気まずそうに謝ってきた。
「由羅が早く片付けようとしてめちゃくちゃ頑張っていたのはわかってるから、気にしなくても大丈夫だぞ」
とは言ったものの、由羅があまりにも意気消沈していたので、オレは晩飯後に杏里に相談し、莉玖と一緒に密かに由羅の家に帰宅することにしたのだ。
ひとまず、サプライズは成功したらしい。
でも、せっかくいい気分で寝てたのを邪魔されちまったから、莉玖にはちょっと悪いことしちまったかな~?
***
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