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〇〇の秋 第335話
「それにしても、莉玖が自分で歩けるようになったら移動は楽になると思ったのに、逆に大変になるとは……」
「え?あ~……――」
その日の夜。莉玖を寝かしつけた由羅は、本日何回目かの大きなため息を吐いた。
由羅に会えない間も莉玖のことは毎日報告していたが、話で聞くのと実際に見て接するのとは違う。
由羅の場合は子どもと直に触れ合うのも莉玖がほぼ初めてだったわけだから、いくらオレから話を聞こうが、実際の莉玖の様子なんて想像すらできなかったというのも無理はない話だ。
そんなわけで、由羅は今日一日莉玖の成長に驚きっぱなしだったのだ。
「そりゃまぁ、ベビーカーは押す側の思い通りに動かせるけど、子どもには意思があるからこっちの思い通りにはならないしな」
子どもが歩けるようになるということは、子どもが自分の興味や関心を持った場所に自分の足で向かうことが出来るということであって、大人の後ろを大人の望むように従順についてきてくれるというわけではないのだ。
そしてそこにイヤイヤ期が重なるので、益々大人の思い通りには歩いてくれない。
「だから、保育園でもお散歩に行くと……――って、ん?おいこら、聞いてんのか?」
ふと隣を見ると、由羅がぼんやりオレを見ていた。
「あぁ……うん……」
由羅の頬を軽くつねったにも関わらず、由羅は生返事をするだけだ。
「なんだよ、眠たいのか?」
「眠たくはな……」
「お前は眠たいんだよっ!ほら、もう寝ろ!」
「ぅぶっ!」
オレが由羅を枕に押し付けて頭の上まで布団を被せると、由羅はパッと布団を捲って起き上がった。
「いや、まだ眠たくない!」
「子どもかっ!!」
「そうじゃなくて……昼間綾乃が言っていた言葉を思い出していただけだ!」
「オレが言った言葉?」
……オレ、何か変なこと言ったっけ?
「莉玖が滑り台を繰り返し遊ぶのは楽しいからだと……」
なんだ、そのことか。
「うん、言ったな。楽しいことや好きなことだから、何回しても飽きないし、何回もやりたいと思うって……まぁ、それはオレの個人的な見解だけど……おまえは違うのか?」
「違わない。私もその通りだと思う」
「じゃあ、何が問題なんだよ?」
「問題などない。ただ……私が綾乃にしたくなるのも、そういうことなんだなと思っただけだ」
ん?どういうこと?
オレがちょっと首を傾げると、由羅が莉玖をチラッと見て、もう少し近くに来いとオレを呼んだ。
「なに?」
「こういうことだ」
「……っておい!?」
莉玖を起こさないようにもう少し小声で喋るという意味かと思い、由羅に近付いて耳を寄せたオレは、あっさりと由羅の腕の中に納まっていた。
嵌 めやがったな!?
「シィ~!綾乃、もう少し静かに!」
「ええい!耳元で言うな!ムズムズすんだよっ!」
いちいち囁くなっ!
そしてオレに大きな声を出させてる原因はお前だっ!!
「耳元で言わないと聞こえないだろう?」
「オレは耳が良いから聞こえますぅ~!だからもうちょっと離れろっ!」
「なぜだ?抱きしめるのはダメか?」
「え?ダメ……っていうか……別に……その……そういうわけじゃなくて……い、息苦しいから!」
「ふむ……じゃあ、少し緩めればいいということだな」
「どうしてそうなる!?」
「ふ、はははっ」
「なに笑ってんだよ!」
普段笑わねぇくせに、オレをからかって無邪気に笑うなっ!!
ムカつくのに、なんかその顔にドキドキしてる自分が嫌だぁあああああああ!!
「すまない、楽しくてな」
「は?何が……って、ちょっと待て……なぁ由羅?もしかして……」
さっき言ってたのは、オレを弄 ると楽しいから繰り返し弄って遊びたくなるってことか?
「まぁ、それもあるが……」
「……え~と……由羅さん、一発殴ってもいいでしょうか?」
オレはとびきりの笑顔で拳を握った。
「キスならいくらでもいいぞ?」
「なっ!?」
なんで拳が口になるんだよ!?
そしてなんでお前から来てんだよ!?
オレは近づいて来た由羅の顔を慌てて両手でぐぐっと押し戻した。
「あ~もう!莉玖の相手よりお前の相手してる方が疲れる!」
誰かこのでっかい子どもどうにかしてくれ……全然オレの言う事聞きゃしねぇ!!
「そうか、それはすまないな」
全然すまなそうじゃないぞ、その顔!
すまないと思うなら少しくらいオレの言うことを聞いてくれ……!
だいたい、楽しいから繰り返し弄ってくるとか……それって……
「あ~あ……結局オレは由羅に弄 ばれてるだけってことじゃん……ひどい……!」
弄られるのは慣れてるけど、なんとなくムッとしたので両手で顔を覆い大げさに嘆いてみた。
「綾乃、違うぞ!?それは誤解だ。たまにからかうことはあるが、弄んではいない!さっきのは、綾乃とこういうやり取りをするのが楽しいという意味で――……だから、莉玖の滑り台は、私がこうやって綾乃に何度でもキスしたり抱きしめたりしたいと思う気持ちと同じなんだなと思ってだな……」
由羅が必死に説明してくれるのだが、早口すぎてちょっと何言ってるのかわかりません。
っていうか、お前そんなにいっぱい喋れたんだな……
ところで、なんか最後に変なこと言わなかったか?
「好きだから何度でもしたくなるんだろう?」
え~と……うん、そう言ったのはオレですね。たしかにそうなんだけど……間違ってはないような気がするけど……なにかが違うような……いや、そういうことなのか?
莉玖にとっての滑り台と由羅にとってのオレは同レベルってこと!?――……
頭を抱えて唸っていると、オレの口唇に由羅の口唇が軽く触れた。
「由……っ!?」
「まだ怒ってるか?」
由羅が捨てられた子犬のような顔で覗き込んでくる。
……あ、うん……そうですね。
別に怒ってはないけど……
おまえ、その表情 にオレが弱いって知っててやってる?
「別に怒ってねぇよ……」
「そうか!じゃあ、キスしてもいいよな!」
「はあ!?何言って……っ」
由羅は今度はオレの後頭部を支えながら先ほどよりも長く濃厚なキスをしてきた。
「……っんん!――」
……よく考えてみれば、莉玖にとっての滑り台と同レベルって、かなりスゴイよな。
由羅にとってのオレはそれくらい特別ってこと……?
もうそういうことでいいや!
オレは真面目に考えるのがバカらしくなってきて、途中で思考を放棄した――……
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