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202x.5.30(2h) マスターベーション

 唇の際にヘルペスが出来た。心なしか腹もしくしくと痛む気がする、女だったら子宮がある辺りだ。免疫力が落ちている。2日前に食ったレモンクリームパイが、やはりまずかったのかもしれない。  体調は余り思わしくないものの、結局今日も当直を終えて寝る前にオナニーをした。  最近のおかずとして気に入っているのは、この前ベッドの中で寝たふりをしていた時、マーロンが背後から肩に触れて、頬に頬を重ねてきたこと。柔らかく乗せられた掌と、遠慮がちに鎖骨の窪みへ這わされた指。寝起きでとても温かかった。こめかみを彼の癖毛が擦って、擽ったさに笑いを堪えるのが大変だった。彼の匂いを嗅いだ。彼の体温を感じた。肩から肩胛骨、背中の上半分に、彼のさらっとした感触の胸が重なって、もうこのままずっと、肌と肌がくっついて欲しいと思った。  彼はきっと、俺が目覚めていることに気付いていたに違いない。うなじの産毛がちりついていたことも、背筋がぞくそくしていたことも、何もかもお見通しのうえで、好きなようにしたなんて。  極めつけに、彼は今にも発火しそうなほど火照った耳に、低く甘やかな声で囁いた。「いい子だね。とてもいい子だ」  あの温かい吐息が、耳殻を構成する複雑な隆起の隅々にまで染み込むのを思い出しただけで、きゅうっと腹の痛みが増幅した。下半身の肌寒さなんか気にならなかった。ベッドの上で仰向けになり、思い切り脚を開いて、必死にペニスを擦り立てている間抜けな格好も。  首の筋肉が破裂しそうになるほど力を込めて、行為へ没頭した。体の加減もあるし、朝日を浴びながらするって決まり悪さも手伝って、最初はなかなか上手く興奮へと持って行くことが出来なかった。だが忍耐強く右手を上下に動かしていたら、ある時ふっと波を見つけられるものだ。  一度乗れば、後は集中すればいい。腰が勝手に浮き上がって、爪先の下でシーツが滑るのを感じながら。興奮を煽り立てるように声も出した。マーロンの名前を……途端、瞼の裏の暗闇の中で(俺は昔から、目を固く瞑らないと上手くイけない。マーロンの顔を見ながら、一緒にイきたいと常々思っていて、毎回頑張ってみるんだが、成功した試しがなかった)彼が顰めっ面を浮かべた。反射的に表現されて、すぐに忘れ去る類のものじゃなく、心の底から嫌悪と、何なら憎しみすら感じさせるような表情だ。    セックスの最中に俺が名前を呼ぶと、彼は絶望のどん底へ突き落とされたみたいな顔をする時がある。特にクライマックスへ向かい、お互い熱が入れば入るほど、可能性は高まった。  中イキで舌が回らなくなった俺が口にする「マーロン」は、かつて彼女が作ったものとそっくりなのだそうだ。  Marlonの母音が強調されて、子音が溶ける、と彼は表現する。以前彼が真似して見せてくれた「マアロン」という響きは、聞いていて恥ずかしくなるものだった。だって余りにも甘く、彼が好きなことを隠しきれていない……  一度告白されて以来、出来る限り注意はしているが、正直自分では分からないというのが本音だ。もしもまた彼を傷つけてしまったらどうしようと思って気が気じゃなかった。  そうやって鬱々と考えていたら、かくっと腰が下がって、頭の中に冷静さが差し込んだ。焦った。  もっとも、ハンビーが一度走り出したら、前に飛び出してきた子供を抱えている砲弾ごと轢き潰してしまうように、オーガズムも止まらない。腹の奥にぐうっと膨らんだ快感が、脊柱から脳へ。腕へ、脚へ。太腿が緊張で岩のように固くなり、まさぐる手の動きが辿々しくなるのがもどかしくてならない。枕に強く後頭部、そして頬を擦り付けながら、来るべき解放を待ちかまえる一瞬一瞬の連続体を堪能する。  ここまで来ると、ぶっちゃけマーロンのことはどうでもよくて、ただただ頭の中を埋め尽くす気持ちよさを追うだけになる。でも、男ってみんなそんなものじゃないだろうか。  オナニーとセックスは違う。オナニーは体調管理に近い。或いは暇つぶし。面倒だがムラムラするのを沈めるために発散しないと、と義務感に駆られてする。ムラムラっていうのは性的なフラストレーションだけではなく、腹が立っても悲しくても疲れていても退屈でも、したくなるときがある。  けれどセックスは、相手と触れ合う為にする。コミュニケーションだ。そうじゃない目的の時も多々あるが、理想の話で。    まあ、それなりに首尾良くこなせたと言えるのだろうが、少し不満が残るイき方だった。精液の量も少ない。唇を舐めるたび、舌先がヘルペスに障ったのも関係しているだろう。  まだ心臓がどきどきとうるさい内に、二回目をしようと思った。それとも、次はアナルを使って……悶々と、かなり長い期間悩んだ。結局我慢出来た。一度ぼんやりとベッドの上で全身が弛緩してしまい、波が引いてしまったからだ。こうなると、質の高いオーガズムは期待できない。  手を洗ってもう一度シーツの中へ潜り込んだら、汗ばむ体が少し気持ち悪かった。興奮で頭が酷く冴えているように感じるが、もう少しすればアドレナリンがさっと引いて、引きずり込まれるように眠りへ落ちることができるはずだ。  今週に入って3回目のオナニー。決まりが悪い。  昔から、自分は淡泊な方なんだと思っていた。学生時代も同年代の連中と比べて、性欲は落ち着いていた。女に不自由したことは無かったし、いつでも出来るからそんなにガツガツしないものかと。  今でも俺を好きだと言ってくれて、その気になれば簡単に下着を脱ぐんだろう男も女も知っているし、まあ、やりたいなと思うことも時にはあるにはあるが。多分、いざ寝れば罪悪感を覚えるに違いない。  こちらが貞操を守っているのに、マーロンと言えば、この前広告代理店の女と、俺が見ている前でおおっぴらに親しげなそぶりをして見せた。あのテイラーとか言う奴は、絶対マーロンと寝ている。しかも近々の間に。  いや、彼が誰と何をしようと構わない。、それでいいんだ。

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