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202x.6.8(2) 騒がしい女性

 昨夜帰る時、歩いて15分も掛からないから別に構わないと言ったのに、マーロンはわざわざ車を出して駅まで送ってくれた。それはいい。彼の優しさはとても嬉しい。近頃俺達は少しずつ、お互いを思いやれるようになっていると感じる。  けれど俺がレクサスの助手席から出ようとした時、20番通りの方から歩いて来た女性がマーロンに声をかけて来た。30歳位、東欧系の顔立ち、とてもチャーミング。  ここは彼が仕事をしている橋の向こうじゃなくて、ニュージャージーだ。それなのに、マーロンは顔が広過ぎする。まるでこの国の全人口の半分は、彼のことを知っているのではないかと錯覚してしまう。  彼女、ミズ・ユリア・レオポルドについて、マーロンは俺に、EMMの(とマーロンは略称を使った。今調べたら多分エリート・モデル・マネジメントのこと。ジゼル・ブンチェンも所属していたモデル事務所だ! 姉貴のヴィクトリアズ・シークレットのカタログを盗んで、彼女には一体何度お世話になったことか)レオポルドさんだと紹介した。  それで、俺のことはエドワード・ターナー君、と。ただのターナー君か。恋人と呼べとまでは言わない。けれど陸軍のターナー君と位は言っても良かったんじゃないか。  2人は全く下らないことばかり話していた。俺もとっとと立ち去れば良かったのに、5分程その場で付き合ってしまった。この前のモーンの件、無理言ってごめんなさいね。いやいやこちらこそ、彼女は明確なビジョンを持っているから仕事もし易いとマックスも言ってるよ。だと良いんだけど、ところで、言ってたエリノア・グリンの劇はどう思う? 彼女にぴったりじゃない? うーん、彼女はクララ・ボウってタイプじゃないな、だけど現代を生きるフラッパーだよ。また機会はあるさ、何にせよ今テンが探してくれてる、彼ならきっと……云々かんぬん。  身体を弓なり(ボウ)にして欠伸を噛み殺すのが精一杯だった。マーロンもマーロンだ。一日いて俺と話した分の会話量を、この数分で簡単に凌駕したんじゃないか。  大人気ない話だが、俺はよっぽどピリピリした顔をしていたのだろう。マーロンがドアの影で、宥めるように手の甲を軽く叩いてくれなかったら、癇癪を起こして扉を乱暴に閉めていたかも知れない。  話が近頃の美の多様性って話題に及んだ頃(まるで急流のように、彼らの会話は進んでいく。俺はついて行くのに精一杯だ)ミズ・レオポルドは赤い唇を美しく歪めて、急に話を振ってきた。 「貴方はとてもハンサムね。マルったら、どこにこんな逸材を隠してたの」 「彼は軍人だよ」  マーロンは笑顔で吐き捨てた。 「キャプテン・アメリカみたいな奴だ。モデルには向いてない」  ミズ・レオポルドの視線が痛かった。貴方は何者? マーロンの新しいクライアントかしら、それとも彼氏? と、無言の眼差しが問いかける。後者のような下世話な興味だったら、きっとマーロンは庇ってくれただろう。それどころか、最近付き合ってるんだ、とすら言ってくれたかも知れない。(いや、それはない。だが、近いニュアンスのことを……友人? セックスフレンド?)  けれど彼女は、明らかに俺を値踏みした。恐らくは職業的に。性的な価値を込みで。まるで品評会に出された家畜のような気分になった。  そしてマーロンも、見定めたり、見定められたりする世界で仕事をしているせいか、当たり前のような顔をして受け入れた。俺が決まり悪い思いをしていると、気付きすらしなかったんじゃないか。  そうやって、他人を物のように扱う生活は苦しくないのだろうかと思う。  色々考え事をしたので、今日は少し寝不足だ。  昼前、州兵の事務局に行ったらヘリ部隊の女性隊員達が寄り集まって話し込んでいた。ゴールドバーグ大尉によると、女性用シャワー室でここ数日、ずっと変な匂いがしているらしい。何でも一週間くらい前に、天井裏で猫がずっとニャーニャー鳴いていたのだが、急に声が聞こえなくなったから、死んでいるのではないかと。  若い子に良いところを見せたい元ヤッピーのおじさんどもに頼めよと言ったのだが、連中が余りにせっつくものだから、南棟まで脚立を持って見に行かされる羽目になった。女性達も昼食前で仕事への意欲を失っていたのだろう。3、4人ぞろぞろとついて来た。後でビュープラン大佐から怒られても俺の責任じゃない。  最近は女性の部屋へ忍び込んで逢引なんて真似もしないから、実はここへ足を踏み入れたのは初めてだった。韓国の宿舎より設備が整っている。  それに、シャワー室一つ取っても、野郎が使う空間とは違う。用いているシャンプーの種類とか、そう言う次元では無いのだろう。ついさっきまで誰か使用していたのか、甘く良い匂いの湯気が漂っている。正直、足を踏み入れる時、少しどぎまぎした。  天井のパネルを外し、中を懐中電灯で照らして確認していたら、いつの間にか非番の女性達も中を覗きに来た。女3人集まれば姦しく、だったか? 7つあるうち、左から2番目のブースの上から、猫に噛み殺されたらしいネズミの腐乱死体を取り出した途端、ワーワーはキャーキャーに変わる。皆蜘蛛の子を散らすように逃げて行き、ゴミ袋も5メートル程離れた場所から投げつけられた。  普段眉一つ吊り上げず、ブラックホークで宙返りするような女性達が、ネズミ一匹にビビるなんてと思うが、ゴールドバーグ大尉は「1人でいる時なら平気だけど、誰か頼れる相手がいると無理、特に男性がいる時は」だそうだ。  俺だってこんな、小さめの猫位あるドブネズミなんか気持ち悪いに決まっている。でも彼女達の前で悲鳴を上げる訳には行かない。特に、大尉は美人だから……

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