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202x.6.11(3h) SMクラブ
最低だ、マーロンの前で泣いてしまった。
昨夜はマーロンのフラットに到着したのが21時頃で、すぐに外出した。彼と、エージェントのテンとメーガン、パブリシストをしているジョシュに、ブロードウェイのダンサーのアシュリー、そしてモデル事務所の女の子達が3人の大所帯で、23丁目にあるセコンド・デュ・セルパンと言う店へ向かう。
俺だって決してお高く止まった人間ではないが、そこはとんでもない店だった。
まずエントランスでは、この世の存在と思えないほどの美貌を持つ男女が、エンタシスの柱に縛り付けられていたり、赤い絨毯の上で転がされたりしてていた。しかも全裸で。装飾にはベルベットと言うのか、光沢のある布や、大理石がふんだんに使われていた。まるで非現実的で、足を止めたいような、さっさと通り過ぎてしまいたいような、恐ろしい空間だった。
ホールの中はもう少しまともな、普通のクラブだった。天井から、これまた一糸纏わぬ金髪美女がぶら下げられてはいたが。彼女の真っ白い身体をがんじがらめにする青い登山用ザイルは、五分ごとに少しずつ戒めを強め、最後の辺りなど人間が取れるとは到底信じられないポーズを強要していた。あんなにも長時間、不自然な姿勢で身体を固定され、血流が止まり手足が壊死したりしないものだろうか。
確かに見物としては面白いのかもしれない(マーロン曰く、この手の趣向の店としては、ニューヨークでも非常な老舗なのだそうだ)けれど音楽も爆音で鳴り響いていたし、こんなところでくつろいだり、会話をしようと考える奴らの気が知れない。
そう思っていたのは俺だけのようで、マーロンもジン・トニック片手にすっかりその場へ馴染んでいた。相手の声が聞こえないから、皆大声で怒鳴り合った。正面に陣取るテンがげらげら笑いながら何か喚き、マーロンも身を乗り出して叫ぶ。次は違う誰かが、同じことを繰り返す。
俺は殆ど会話に加わらなかった。詰め物をし過ぎて硬い、赤い別珍張りのソファに埋まって、ウイスキーサワーを5、6杯は注文しただろうか。飲めば飲むほど喉が渇いて仕方がなかった。
何か効かせているのか、酔っているのか、単に欲情しているだけなのか、テンは席に着いてからずっと、傍らに侍らせた赤毛の子にちょっかい以上のことを仕掛けていた。何度かは間違いなく、掌が下着の中へ突っ込まれたはずだ。ジョシュはアジア生まれのかわいこちゃんを熱心に口説き、彼女も満更ではないらしく、手相を見てやったりなんかする。3人目のラティーナは俺の膝に手を乗せて身を傾け、可愛らしい忍び笑いで囁いた。「テンってば、私とあなたがヤってるのを見たいんだって。とんだ変態だよね?」
臑を突っつかれて振り向けば、マーロンがパイプをくわえたまま、にやにやとこちらを眺めていた。ストロボは天井はるか高く遠く、暗がりの中へ沈んだ顔は、意地の悪さが強調される。
彼は残酷な男だ。こんな扱いを受ける謂われはない。そんなことをしてもよいと思われている事実に腹が立って、無性に悲しくなる。当てつけでこれ見よがしに彼女といちゃつき、酒もどんどん頼んだ。それでも口の中が干上がってくるし、目はチカチカ、こめかみまで痛くなってくる始末だ。
それでも腰を上げた時は可能な限り涼しげな顔を、何なら笑えてすらいたと思う。
トイレに辿り着くまでは戻すと思っていたが、水道の冷水を顔に浴びせれば、吐き気はあっさり落ち着いた。別に酔っていた訳じゃない。
胸のむかつきが消えると、後に残ったのは虚しさだった。俺は全く勝ち目のない戦いをしているのではないだろうか。惚れた方が負けとはよく言ったものだ。
彼からの愛情を感じないわけではない。それに、俺はどれだけ与えられても、もっともっとと際限なく欲しがるのだろう。程々がよく分からない。止める方法も。そもそも止めたいと思わない。それがおかしいのだと頭では分かっているのだが、心は寧ろ肯定していた。
ぼんやりと洗面台へ寄りかかっていたら、心配したマーロンが様子を見に来た。ああそうだ、彼はとても優しい。
「大丈夫か」と聞かれても答えられなかった。そこまでは耐えていた。けれど「どうしたの」と子供へ話しかけるような口調で尋ねられ、肩に触れられるともう駄目だった。一瞬で眼球に涙の膜が染み渡り、やがて堪えきれずに一粒ぽろっと溢れた。
分かっている。彼は俺をあの女の子達みたいに扱った訳じゃない。寧ろテン達と同じ括りの仲間として受け入れてくれた。だからこそ、余計に悲しかったのかも知れない。
誓って言うが、普段ならばこんなエキサイティングな体験をした時、一番に感じたのは好奇心だったはずだ。けれど少し飲み過ぎたし、演習の準備で疲れているのもあった。そこにマーロンの顔を見て、気が緩んでしまったから、自制が利かない。
遊びに行くのも楽しい。でも本当を言えば、今夜は彼と2人でいたかった。
何も言わない俺に、マーロンは落ち着くまでずっと、肩を抱いて、背中を叩いて、寄り添っていてくれた。戸惑いながらも、腕を差し伸べてくれた。彼を困らせてしまったことを恥じる。重荷になりたくない。いや、なりたい。
戻った頃には、他の連中も河岸を変えようと言う話になっていた。でもマーロンは、酔って船を漕いでいたアシュリーを送るからとキャブを呼んだ。
始終鼾を掻いていたとは言え、隣にアシュリーがいるのに、俺は興奮を抑えることが出来なかった。車が走り出した頃は脚をくっつけ合っているだけだったのに、途中からはもう……家に着くまでずっと、マーロンとキスをしていた。彼も拒まなかった。途中で彼の身体に乗り上げて、スラックスのチャックを下ろそうとした時には流石に手の甲を抓られたが。
後で聞いたら、呼んだタクシー会社は彼の業務的に懇意な所で、要するにおっぱじめたとしても何も言わなかったのだそうだ。止めはしたが、彼だって本当は期待していたのでは無いだろうか?
フラットに帰ってからは、素晴らしい夜を過ごせた。俺が作ったサンドウィッチを食べて、その後は朝まで休むことなく。あの天井で縛られていた女みたいに無茶な体位も試した。今これを書いている間も、股関節がじくじくと痛い。
2人ともくたくたになって、嫌なことなど全て忘れられた。セックスは良いものだ。
それにしても、泣くなんて。高校時代にバスケットボールをしていたとき、相手チームのデブにチャージングを決められて鼻の骨が折れた時ですら、涙なんか流さず罵りまくることが出来たのに。恥ずかしくて仕方がない。目が覚めたマーロンに、からかわれないことを願おう。
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