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202x.6.14(3h+3/2) 彼の家族の話 2
店を出てレキシントン街へ差し掛かる辺りまで、俺達は無言だった。先に口を開いたのはポールだった。何とも言えない顔で俺の肩を叩く。
「ぞっとしないが、まあ、みんな色々な事情を抱えてるよな」
奴は利口だ。公平な要約だと思う。今になって気付いたのだが、俺はポールをあの場へ連れて行き、開示した情報を突きつけることで、ジャッジして欲しかったのだと思う。
結局分かったのは、幾ら賢くても、いや、だからこそ、恋で愚かになっていない男の言葉など何一つ胸に響かないということ。例え奴がどんな評価を下したところで、俺のマーロンに対する感情は変わらないのだろういうこと。
漂白した言葉で片付けてしまいたくない。もっともっと、マーロンが話したくないと思うことまで知りたい。例え姑息な手段を用いても。
駅でポールと別れ、俺はマーロンのフラットへ。この前教えて貰った場所、古いヒーターの後ろへ隠してある鍵で部屋に入る。
シャワーを借りようと思ったが、カウチへ腰を下ろしたら、立ち上がる気力が無くなってしまった。早く彼に帰ってきて欲しいと言う思いと、出来るだけ顔を合わせたくないという思いがせめぎ合い、ずっと胸がざわついていた。
許しを与えるマーロン。確かに彼は、俺を受け入れてくれる。今回、レストランに来て良いと言ったのは、その最もたる証左だ。とても喜ばしい事なのに、もやもやする。
マーロンは17時くらいに帰ってきた。JFK空港まで2人を送ってきたらしい。開口一番「さぞ見ものだったろう」なんて皮肉を嘯くから、そんな風に言うなよと怒った。腹を立てているなら、辛かったのなら、話して聞かせて欲しいと言うことを毅然と伝えたかったのに、きっと俺はガキみたくねだる口調を作っていたと思う。
少し酔っていたせいもあるんだろう。マーロンは「その前に、トイレへ行って、コーヒーを淹れてから」と言って、その通りにした。
カウチで並んで腰掛け、うんと濃いコーヒーを飲みながら、マーロンは話してくれた。正直、俺が期待していた以上のことを。
それは罪の告白をするかの如く口にされた。
オアフ島の観光客向けカフェテリアで、学費を稼ぐためアルバイトをしていたお母さんは、ローラースケートを履きながら給仕をしていた15歳の時にヒルデブラント氏に口説かれたこと。一回り以上年の離れたヒルデブラント氏に、騙し討ちのような形で貞操を奪われ、幾らもしない内に妊娠したこと。責任を取って結婚する羽目になったヒルデブラント氏は愚か、家庭に入らなければならなくなったお母さんも、マーロンのお兄さんを無意識下で疎み続けて、それが7年前、お兄さんが起こした自殺未遂の遠因だと確信していること。
「3人兄弟だったのか」
「うん、それが?」
「何となく、一人っ子だと思ってたんだ」
「うーん、うん、そうだね、よく言われる」
根っからのワンダラー であるヒルデブラント氏は1年のうち半分も家に居付かなかったし、お母さんも夫に逃げられるのが怖くて何も言わなかったということ。その誠意は報われず、6年前にヒルデブラント氏が横領事件を起こして、7回目の刑務所入りを果たしたのを機に、離婚という結果になったこと。自らを育ててくれたお母さんを尊敬しているけれど、最近会っていないこと。余りにも中流家庭的で、ドナルド・トランプの政治を「別に私の生活は何も変わらなかったから問題ない」と言ってしまえるような価値観の持ち主だからだ。
「俺の家も代々共和党だからよく分かる。知ってるよな」
「お前には分からないよ、分かるわけもないよ。それに、俺が知っていたらどうだって言うんだ、モン・シェリ」
「ヒルデブラント氏といた女性はフランス人か?」
「『カミラ夫人』だよ、あれ。昔パリの『リド』で知り合ったんだって。どこかの社長の二号さんだったとか、親父の経理を手伝ってたとかね。それこそどうでもいい、知らんがな(と彼はそこだけ、非常に上手く真似したドイツ訛りで言ってのけた)」
姑のことを、マーロンの奥さんも毛嫌いしてた。彼女はヒルデブラント氏とウマがあったそうだ。あとは、兄弟を大事にしていること。そして父親も大事にしたいということ。
「心からそう思ってる。だって家族だし、彼は俺のことを誇りに思ってくれているから。俺は昔から父親似なんだ」
「そんなこと思う必要は無いさ。いくら父親だからって……愛せない相手を、無理に好きになろうとする必要なんか。大体、そんなの不可能なことじゃないか」
マグカップを膝まで下ろし、マーロンはじっと俺の目を見つめた。「本当にそう思うか」と、静かな声が、静寂の中を走り抜ける。
真心を込め、確信を持ち、俺は頷いた。自分の心へ正直になればいい。例え彼が誰を嫌ったところで、俺は彼を嫌わない。他の何が疑わしくても、それだけは絶対に確かなのだから。
それでもマーロンは、信じない。力無く首を振って、溜息混じりに言った。
「俺はそうだとは思わない」
「でも、あんたはヒルデブラント氏に似てないよ」
それをどう言う意味に捉えたのか、マーロンはあからさまにムッとした。こういう表情を浮かべると、彼はお父さんに生き写しだ。
夢中に、懸命になっているとき、時計の針は滑るように回る。気付けば日付を跨ごうとしていた。カウチへ深々と身を沈めるマーロンは、時に頬杖の上で目を瞑った。沈黙が続くと、俺は「それで?」と促したり、手から滑り落ちそうなマグを取り上げてテーブルへ乗せたり。
顔を近づけて覗き込んだ時、そこで浮かべられているのは難しい表情、俺が知らない人のような表情だ。不安になって、彼の手に触れる。握り返してくれないと分かっていても、その力ない指を握る。
「寝たのか?」
小さく囁いたつもりなのに、声は思ったよりもくっきりと部屋に響く。しばらくの間があってから、マーロンは「起きてる」と言って、手を引き抜こうとした。
「俺も知ってるんだ。いつだって、親父の言うことは間違っていない。けれどあの人は、それを最悪のタイミングで口にする。甘えだよな、相手に対する」
そしてマーロンは、俺の望む言葉を、求めているタイミングで的確に口にした。いつもいつも、俺は彼に危ういところで救われる。
目蓋が柔らかい動きで震えてから、ゆっくりと開く。俺の瞳を見つめ返したマーロンは、凄くシャイな顔で笑うと、またすぐに目を閉じてしまった。
「店で一緒にいた彼は友達?」
「彼? 彼はポール」
「ああ、いつも言ってる子か」
何食わぬ態度で言おうと努めたのに、知らずと声の調子が上がってしまう。「妬いた?」と尋ねても、マーロンは喉を震わせるばかりだった。それだけでもう、ぐちゃぐちゃの宙ぶらりんになっていた心が解れる、あっという間に空高く舞い上がる。
いつの日か、彼が家族というものから解放されれば良いと思う。そのきっかけが俺なら、とても嬉しい。いや、きっとそうなるだろう。全力で戦う彼を、誰よりも尊敬する。だから彼が落ち込む必要など何一つないのだ。だって、俺がついているのだから。
汚れたマグカップを洗っていたら、早く来いよと寝室から呼ばれた。いつものように、カウチで寝るとか寝ないとかの押し問答もしない。
2人で眠るベッドは狭い。彼がベビーベッドで眠る夢なんか見ないことを、俺は心から願う。もしも俺が夢の中へ入っていけるのならば、すぐに押し入って、おもちゃごと彼を抱き上げてやるさ。
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