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202x.6.16(3h+1) 不品行の話題

 昼飯の時、リジー・ゴールドバーグ大尉と話していたら、うっかり午後からの勤務へ遅れそうになった。  前から顔見知りではあったが、シャワーブースMIA(戦闘中行方不明)ネズミ事件以来、言葉を交わすことが増えた。魅力的な女性だと思う。カラッとした性格でいながら意思が強く、それでいて細やかな情緒の持ち主でもある。こうして食堂やジムで鉢合わせるたび会話が弾んだ。今度飯でも誘ってみようか。    とにかく、今日は愉快な日だった。マーロンからテキストも来た。今度ユニクロでパジャマ用のスウェットを通販しておくから、サイズを教えろとのことだった。俺がパンツ一枚でベッドへ潜り込んでくることを、マーロンは快く思っていない。彼自身だって寝るときは下着とTシャツなのに。  でもまあ、彼の家に俺専用のものが増えると想像するのは気分がいい(近頃彼は、俺の歯ブラシを洗面所から一々捨てなくなった) どうせ使わないだろうが、 XLなら間違いないと返信しておいた。  スマートフォンを弄っている間、俺は余程だらしない顔をしていたのだろう。人参スティックを手当たり次第に俺の皿へ放り込んでいたリジーは「恋人?」と尋ねた。思うに、俺は彼女の少し掠れた声と、風のように軽やかな抑揚がとても好きだ。彼女に水を向けられると、うっかり犯していない罪まで話してしまいたくなる誘惑に駆られる。 「まあな。俺のパジャマを買ってくれるんだと」 「母親みたい」  いいや、恋人だ。間違いなく恋人だよ。そう言ってのけたい衝動を抑え込むのに苦労したし、ニヤつきは間違いなく表情筋から消せていなかったに違いない。  「恋人」という単語を心の中で口にするたび、舞い上がりそうになる。誰かを本気で好きになることが、こんなにも幸せなのだと、彼に会うまで知らなかった。 「何にせよ、あなたのことを凄く気にかけてくれてるのね。やっぱり噂なんか信じるものじゃない」  軽く咥えて齧っていたセロリを口から離し、リジーはにこにこと俺に爆弾を投げつける。 「あなた、また何かやらかしちゃいそうだから先に言っちゃうけれど……自分が一部の突撃大隊の女性の間で、ちょっと有名人になってるの、知ってる?アビー・クアドラが韓国から帰って以来、ずっとあなたのこと惚気てた、って言うか自慢してたから」  アビー。アビーか。久しぶりに名前を聞いて、目が覚めたかのようだ。別に怒っているとか、そう言うのじゃない。彼女は活発だった。俺もあの頃はとてもとても活発だった。お互いがお互いをトロフィーみたいに扱ってうぬぼれていた、ああ、はっきり言って凄く楽しい関係だった。 「彼女、元気にしてるかな」 「あなたと殆ど入れ替わりみたいにモリスタウンへ転属したものね。連絡取ってないの?」 「ああ」  リジーはフーム、と難しい顔で考え込んだ。しばらくは、お互い野菜やらピーナッツバターサンドやらを噛んでいる音ばかりが響いていた。 「ターナー中尉、率直に話すけどね」 「はい、はい、何でございましょう」 「確かに恋って言うのは、素晴らしいものだと思う。けれど、モラルに反する事は、部下を指揮する立場の将校であること以前に、人間として良くない。エディ、あなたの付き合っている人ってね」 「いいよ、遠慮せず言ってくれ」 「配偶者がいる女性じゃないの」  ぐうっと音を立てた喉に、パサパサのパンが詰まり、ピーナッツバターがへばりついた。    目を剥いている俺に、彼女はちょっと怖い顔をして見せた。 「以前、私のコーパイ(副操縦士)をやってたヴェラにフェラチオだけやらせて、自分は彼女を適当にイかせたって」 「そう……だったかな。あー、うん、あったんだろうな」 「その時、貴方が真っ最中に電話に出て、相手と話してた、『いくら俺でもあんたの指輪を捨てたりなんかしないよ』って半泣きで怒ってたって」  思い出した。マーロンと関係を持つようになって、まだ幾らも経たない頃の話だ。最終的に結婚指輪はシーツの間から出てきたんだったか。あの時の彼の怒りようはただごとじゃなかった。静かな口調が逆に尋常じゃないほど恐ろしかった。  あれ以来、彼は俺とセックスする時も、決して指輪を外さない。 「うちの部隊の情報拡散力を舐めないことね。噂に尾ひれがついて大変なことになってるわよ」  最初は薄笑いで聞いていたし、俺も適当に話を合わせて、むしろ煽り立てるような真似すらしたほどだった。  だがやがて、顔が引き攣って来るのを止められなくなったのは、途中で気が付いたからだ。その不倫相手の特徴が、マーロンの奥さんに気味が悪いほど合致していることに。ブルネットの美女だとか、元女優だとか(彼女は結婚と同時に己の才能へ見切りをつけた歌手だったが、その程度の些細な違いが何だって言うんだ?)  リジーにカマをかけられているのかと思った。けれど、彼女は至って真面目な顔だし、噂の出所も、何となくだが見当がつく。恐らく俺の本当の事情を知っていて、むしろ善意からの行為だろうと推測出来るから、別に構いはしない。それに、こんな世間と隔絶した空間にいたら、この手の噂話が大したご馳走になる感覚も痛いほど分かる。 「心配しなくても、公序良俗にもとる行為はしていない」  サンドウィッチの最後のひとかけらを咀嚼しながら、俺はことさら何気ない風に答えてみせた。つもりだが、残りを続けた時は、間違いなく胸がちくりと痛んだ。 「彼女の配偶者は、もう亡くなっているんだ」    リジーの手は、野菜の入っていた紙コップをぎゅっと握り潰した。伏せられた目は、そんな風に思わないで欲しいと俺が願うのも虚しく、なかなか持ち上がってはくれなかった。 「ごめんなさい。どうしてこんな事を言ったのかしら……自分がとても卑怯者になった気分」 「忠告してくれたんだろう。拡散しておいてくれよ……冗談じゃなくて。そんなクズだと思われてるのは、名誉の問題がある」 「アビーやヴェラの話で、名誉なんかもう地に堕ちている気もするけどね」  違いない、とケラケラ笑えたら、後はまた違う話題に流れていく。ビュープラン大佐が転属するかも? 何かやらかしたのだろうか。まあ、名誉大佐なんてものは所詮、ろくでもないということなのだろう。  少し思うところはあるが、デマゴーグについてはこのまま静観するべきだろう。マーロンを愛することが悪いと考えている訳ではない。しかし、余計なトラブルの種になることは、敢えて口にしないでいるのに越したことはないのだから。  それにしても、マーロンはこの噂を聞いたら、どんな顔をすることか。  当の彼女はきっと面白がっていたに違いない(俺が彼女の夫と寝ていないならば)  彼女は家へ遊びにくる俺が、夫に懸想していたと気付いていなかったように思う。だから親切にしてくれたのだ。俺がその事へ、どれほど辛い思いをしているか知りもせずに。  それとも、気付いていたからこそ、わざとあんな風に?  もしも俺が本当に彼女と寝ていたなら、マーロンは俺を殺そうとしたはずだ。彼に憎まれるなんて、考えただけで恐ろしい。もうこの話題は考えないようにする。

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