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202x.6.30(3h+2/2) クラブ32のVIPルーム 1

 待ちに待った金曜日の夜。とにかくめまぐるしい経過だったので、一つ一つ思い出しながら書く。  マンハッタンへ出るギリー・テルエルに相乗りさせて貰い、20時前にグランド・セントラルへ到着。中央広場の時計塔前で待っていたら、すぐにマーロンが迎えに来てくれたから、キャブでヘルズ・キッチンに向かう。クラブではぐるりと長蛇の列を作る人々をしり目に、マーロンがテンの名前を出せば、守衛はチェーンを外して中へ入れてくれた。  テンは俺の顔を見ると、げえっと露骨に悲鳴を上げた。マーロン曰く「奴はお前のことを気に入ってるよ」とのことだが、本当にそうであればいい。自分で言うのも何だが、この10ヶ月程で、俺はマーロンの言うところのパック(一味)へちゃんと馴染んでいると思う。  その時も彼は「こっちの水を飲んでない奴はウケるんだよ。しかも若くて顔のいいってなると、女みんな吸い寄せられちゃうんだもんな」とぶつくさ言いながら、俺の背中をばんばん掌で叩いてきた。危うく押しつけられた酒をこぼすところだった。  ご期待に添って、その店では一団の中の女の子とずっとフロアにいた。ボリビアから来たというその子は凄く踊りが上手かった。何でもコンテンポラリー・ダンスの学校に通っているそうだ。今度『エビータ』のコーラスラインとして舞台に立つから観に来てねと言われたから、勿論と答えた時は本気だったが、名前を聞くのを忘れてしまった。今度テンに尋ねよう、教えて貰えるだろうか。  チェルシーにある2軒目の店に流れても、途中まではその調子で跳ね回っていた。喉も乾き、酒も浴びるように飲みまくって、あっという間に酔いが回ってしまった。  アルコールを摂取すると人恋しくなるのか、人恋しいと飲みたくなるのか、人間の体のメカニズムとしては一体どちらが正確な表現なのだろう。  俺がはしゃいでいる間、マーロンは殆ど席にいた。今日の彼は疲れているのか、心なしかぼうっとしていて、薄暗い店の中、瞳は黒豹の毛皮みたいな、不思議な光沢を帯びていた。一度そのことに気づくと、もっと近くで見たい、彼に触れたいという欲求が抑えきれなくなるのは、必然だ。いつのまにか、踊りくたびれた足でふらふらと彼に近付いて、膝に乗り上げていた。  そのまま彼の首へ腕を回し、枝垂れかかっても、マーロンは平気な顔をしていた。最初に一度「重いだろ」と言っただけで、後は俺が首筋にキスをしようと、殆ど水みたいになっていたジンを取り上げて飲もうと、好きにさせる。「だいぶ酔ってるみたい」と言っていたのはひっきりなしに煙草を吸っていたモデルの女の子だったか、パブリシストのジョシュだったか。今思えば、俺がマーロンの唇へかぶりつき始めても誰も気にしなかったのだから、やはり芸能界という場所は恐ろしい。  唇を擦り付け、舌で軽く舐め、繰り返される戯れのキスの合間に、マーロンもまた「飲み過ぎてるな」と、窘めるでもなく、事実を確認するかのようにこぼした。そう言う彼も、かなり酩酊していたのだと思う。酒か薬かは知らないが。うっすら汗を掻いた身体は心持ち体温が高めで、洋梨の芳醇な甘い香りがした。俺の好きな、彼がつけるから好きになったフレグランスの匂い。これでもう全面降伏、完璧に恭順してしまう。くたっと身体の力が抜けて、指先で彼の後頭部の癖毛をくるくる絡め取りながら、恍惚の中を漂っていた。  俺がこのまま夢見心地で、シャツを脱ぎ始めかねないことに気付いたらしい。マーロンはジョシュに「さっき階段のところに、誰々いたよな」と尋ねた。(名前をどう頑張っても思い出せない)  立つように促されても嫌だと首を振り、ますます彼の耳へ顔を押しつけていたら、最後は思い切り尻を叩かれた。渋々足を下ろした床は一瞬、地震のように波打って感じられた。  酒のグラスを持たされ、そのまま腕を掴まれ引っ張って行かれた。すし詰め状態のフロアをするすると横断できるのは、マーロンの希有な特技の一つだ。俺も彼の後をついてふらふら、歩いているうちに少しは頭も覚醒してきたが。男性DJの声が、どこのものか知らないが、やたらと訛りがきつかったのを記憶している。  地下室へ向かう階段の前には、筋骨隆々のマッチョな黒人が立ち塞がっていた。彼が誰々だろう。マーロンを片手でハグし、2、3ジョークを投げ合うと、すぐさま通してくれた。  対向者とすれ違うことすら一苦労な階段を下りながら、マーロンはしきりに「ブルー・ソファへ行こう」と繰り返していた、と思う。狭いチューブのような空間に、上の音がでたらめに反響し、彼の声が酷く、くぐもって聞こえた。足を滑らさないよう慎重になっていたこともあり、俺は全く適当に、うんうん、いいねいいねと、がくがくなる頭を頷かせていた。  こういう店の地下室はとにかく汚く、雑然としている印象がある。確かにそこも汚い場所だったが、区割りだけはきっちりと成されていた。壁があり、ドアがあり、その間をこれまた細いうねうねとした廊下が貫き通っている。  ホテルで言うところのフロントに当たるらしい、比較的開けたフロアまで辿り着いたマーロンが「あ、くそっ」と吐き捨てたのは、ブルー・ソファ(であると一目で分かったのは、薄汚れ擦り切れたラグマットの上に乗せられたカウチが、名前通りサファイアみたいに青い張りぐるみだったからだ)に先客を発見してのことだった。女の子二人は既に白熱し、熱心に睦み合っていた。  とぼけた話だが、そのときようやく、マーロンが俺とやりたがっているのだと理解した。  かっと心臓が火の玉になったかのように燃え上がり、アドレナリンが全身隅々にまで行き渡るのを感じた。 「ソファは駄目だったか」 「他のところは?」 「ある。探そう」  そのまま再び狭苦しい廊下へ戻った俺達は、他の客にとってとんだ狼藉者だったと思う。手当たり次第に扉を開けて中を覗き込み、悲鳴や怒号が投げつけられるたびに、俺はゲラゲラ笑っていた。  思い出すのが苦痛になってきたが、ここまで来れば最後まで書かないと収まりが悪い。次のページへ続く。

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