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202x.7.2(3h) 置いてけぼり

 『ジャガーを見よ』13番街シアターにて10時開演。  マーロンと観劇。これまでも何回かお供をしたことがあるが、いつもうとうとしてしまう。歌わない演目は駄目だ……特に昨夜は遅くまで起きていたから、眠気が耐えきれない程だった。いつも最後まで真面目な表情を崩さず鑑賞しているマーロンを心から尊敬する。  今回彼が目を付けていたのは主人公の少年を演じる役者らしい。それまで経験が無いのにいきなり主役へ抜擢されるなんて、そんなに凄い才能の持ち主なのかと尋ねれば「分からないから観に行くんだ」とのこと。  今日の彼は客席の照明が暗くなるまでサングラスを外さなかった。こう言うときは、あまり彼の名前を呼ばない方がいいのだ。劇団の規模が小さくなり、知名度が下がれば下がるほど、彼は劇場で存在を消そうとする。それでも開幕のベルが鳴る直前に、劇団員から声を掛けられていた。「目ざといな」と彼は舌打ちしていたが、100席もない劇場なので当然と言えば当然の話だろう。俺は内心鼻高々だった。マル・ヒルデブラントは、オフ・オフ・ブロードウェイでもそれなりに名の通った、大した男なのだ。  正直俺は、役者の演技が上手いだとか下手だとか言うのはよく分からない。劇の内容は、とにかく難解の一言に尽きる。台詞が長く難しい。つまり主人公は最後、ジャガーの代わりにされたのか。後でググっても、マイナーな脚本過ぎて、レビューや解説が殆ど見つからない。    終演後「取り敢えず名刺を渡してくるから待っててくれ」と言われて、案の定1時間近くロビーで待たされた訳だが、構わない。こうやって仕事に同行していると、彼の下でアシスタントでもやっているような気分になる。  本音を言うと、それは俺の夢の一つだった。使い走りでも何でもいい。退役後にマーロンの勤めるマネージメント事務所へ潜り込むことは出来ないだろうか。或いは、奥さんが生きていた頃から彼が抱いていた目標通り、独立した暁に使って貰う。  彼と同じ職場で働き、夢を語ることが出来たら、どれだけ幸せだろう。俺は人に好かれる性質だし機転も利く、激務に立ち向かう体力も国のお墨付きだ。この業種に向いている、悪くない人材だと思う。  彼が引き留められたせいで昼飯は少し遅くなり、目についたピザ屋へ入った。大学近くの小さな店で、学生が多い。劇についてあれこれと質問する俺と、根気強く答えるマーロンも、さながら生徒と教授と言ったところだろうか。  だらんと重力に負けた熱いペパロニピザを齧りながら、マーロンは俺に尋ねる。 「さっきの子、どう思った?」 「どうって」  2つ目のロールピザから垂れるチーズと格闘していたから、俺は取り繕うこともなく答えてしまった。 「取り立ててハンサムだとは思えない。演技って意味ならよく分からなかった。あの最後に檻の中へ入れられてからも、暗くて見えなかったし」 「あれは演出が悪かった、確かに勿体ない」 「ああ言う小さい劇団って、何でどいつもこいつも神経症みたいな話が好きなんだろうな。病気だよ、あれは」  ダイエットではないコークを啜るマーロンは、苦笑いを隠しもしなかった。 「それでもお前は俺について来てくれるんだね」  もちろん、ついて行く。彼と体験を共有することが素晴らしいのだから。つまらない芝居でも、彼の蘊蓄を聞くのが楽しい。ありふれたピザを食べるのでも、彼と向き合ってならば何倍も美味く感じる。  狭い机の下で、彼の足首に俺の足首を引っかけたのは、我ながら大胆だと思う。逃げられても追いかけたら、最終的にマーロンは動かなくなった。更に今ここでキスしたら、彼はどんな顔をするだろう。店にはそこそこ人もいるから、嫌がるだろうか。いや、案外受け入れてくれそうな気がする。自分のことを棚に上げる訳ではないが、マーロンは恥知らずだ。昔から、人前でも憚ることなく奥さんといちゃいちゃしていた。  踏ん切りが付かないのは俺自身だ。  ふと彼が傍らのショーウィンドウを振り向き、目を見開いた。こつこつと拳骨で叩く音に、外を歩いていた男がはっとなって顔を上げる。店の中へ入ってきた姿を見た時、マーロンの浮かべた懐っこい笑みと言ったら。 「マル、久しぶりだな」 「あなたこそ、こんなところで一体……そういえば、ティッシュ・スクールで教えてるんだっけ」  いつも通りの引き合わせ、自己紹介。興味もないのに反復させられる「はじめまして」や「どうも」。  エドワード・ターナー君を差し置いて、マーロンはそのリー・ビセット氏と熱心に話し込む。彼がビセット氏に椅子を勧めた時はギョッとなったが、おっさんの方も断れば良いのに座ってコーヒーなど頼む始末だった。  父親と同年代のその男を前にし、マーロンは至ってリラックスして、業務的ではない表情を見せたりもする。大体、彼自ら誰かを呼び止めること自体、異例な話だ。しかもわざわざ店の外へいる人間を!  耳を傾けて仕入れた情報を統括すると、ビセット氏は現在LA在住、大学で生徒を教える立場だから週に一回こちらへ来る、オスカー俳優をファーストネームで呼べるような立場にいる。  俺が会話に参加できるような話題はほとんど登場しなかった。こう言うシチュエーションに陥ることは珍しくないが、今日に限って非常に不快感が募った。  泥みたいなコーヒーを啜りながら、ビセット氏はマーロンに「随分顔色が悪いな」と顔を顰めてみせた。マーロンも否定せず「最近仕事が立て込んでるから」とはにかむ。彼らの言葉付きの根底に流れる馴れ馴れしさ、付き合いの長い者同士のみが持てる気安さはしかし、はっきり言って健全性を感じられない。  極め付けは、ちょっと失礼と席を立ったビセット氏が手洗いへ向かうのを、止める間も無くマーロンが追いかけていったことだ。誓ってもいいが、ビセット氏は腰を上げざま、間違いなくマーロンに視線を投げかけた。それは誘惑の眼差しだった。  2人は10分程戻って来なかった。そして戻ってきた暁にはどちらもやたらと顔の血色が良くなっている。  いくら何でも10分で終わる情事なんてありはしない。いや、どうだろう。ビセット氏が極端な早漏である可能性も否定出来ない。    帰宅してから、あの男は嫌いだと素直に申告した。また呆れられるかと思った。いつもの彼なら「人と人との付き合いは性的なものばかりじゃない。お前は俺が世間の人間と片っ端からやってると思ってるのか」とぼやく。  けれど、その時のマーロンは何故かニヤニヤ笑って「妬いたか。そうか、それは良かった」などとほざいた。  良かっただって? 全くとんでもない!  腹を立てて彼と散々やりあった。挿入されてからも、俺はずっと怒っていた。なのにマーロンと言えば「そうやって怒ってるお前は可愛い」と言うばかりだ。事実、普段に無いほど沢山キスをされ、甘やかされた。  可愛い、可愛いと繰り返され、身体は嬉しがってまるで蕩けるようなのに、心は頑なに憤慨し続ける大混乱状態。そうなると、下半身の力みがながなか消えない。直腸はぬかるみながらも、咥え込んだものをいつもに増してぎゅうっと締め付けた。全身の血が煮立ちそうなほど気持ち良かった。マーロンもとても良さそうにしていた。  一頻り終わった夜の早い時間、怠惰に微睡んでいるマーロンの肌を確認した。シーツをめくり上げ、身体の隅々まで。痕跡はなかった。なのに安心を覚えることは全く出来なかった。  やがて意識を浮上させたマーロンに「何やってんだ」と問われ、「浮気の証拠探し」と答えた俺の口調は、相当拗ねたものだったに違いない。また彼はいとも気軽に笑って「あの人クズだから、25歳以下の人間としか寝ないよ。寧ろお前が目をつけられたらどうしようかと」だとか。キャスティング・ディレクターをやっていた頃はカウチ・キャスティング(枕営業)の達人だったとか、生徒にも手を出しているらしいとか、色々あげつらわれても、気は晴れない。  悔し紛れに剥き出しの尻を引っ叩いてやったら、大袈裟に痛がられた。そんな芝居で、有耶無耶になどしてやるものか! と思っている時点で、俺はもう、彼を許してしまっている……

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