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202x.7.9(3h) 現実でテンとスルマとファックする

 昨夜のマーロンは午前様。彼がベッドの中へ滑り込んできたのは覚えているが、一体何時だったのだろう。次に目覚めたのは朝の騒がしい時間帯で、寝ぼけ眼なりに「気をつけて」と言ったのは確かだ。マーロンは何と返したのか。そもそも俺の声が聞こえていたのか……  今日もこの調子かと思うとつまらなかった。仕方ない、彼が忙しいことは承知で訪問したのだから。それでも、同じ部屋で寝起きしているのに、キスの一つもなしか。  マーロンが触っているのを見たことがないPS4を起動させて(アカウント名を見たところ、彼の名前になっていたのだが)さて何をしようかと考えていたところで、スマートフォンが鳴り響いた。発信者はテネシー・コティーズ。テンだった、珍しいことだ。 「暇してるってマルから聞いて」  『エビータ』のマチネ・チケットを持っていると言われて思い出したのは、この前のクラブ32で知り合ったボリビアの子のことだっだ。 「あの子、お前のこと気に入ってたから、連れてきてくれってさ」  またタイミングの良い話もあるものだと思ったが、彼は全く遣り手なのだ。何でも、ベン・スティラーが自分のために資金を出して、人を集めて、脚本家に注文を付けて作り上げた役を、理路整然滔々とした説得の挙句、担当しているクライアントに回してのけたことがあるそうだ。口八丁で丸め込むことについて、右に出るものはいない、とマーロンも賞賛していた。(勿論、半ばやっかみと軽蔑を交えてだ)  そんな凄腕のエージェントに、俺が口で抗することが出来るわけもない。暇していたこともあり、誘いをかけられて、すぐにブロードウェイまで出た。ブルックス・アトキンソン・シアターにて。いい席だった。以前マーロンとシネプレックスで、マドンナが主演している映画を観たから、ストーリーを分かっていたこともあり、とても楽しめた。肝心の彼女が舞台のどこにいるか分からなかったのが、唯一の心残りだった。  けれど今日はソワレも無いと言うことだから、彼女、スルマも合流して9番街のガストロパブで一杯引っかける。 「猫じゃないんだから、ずっと家に閉じ込めとくって、マルも殺生だよな。お前、あいつ以外じゃ、別にこっちでアテもないんだろ」  ビールを煽るテンにそう言われて、改めて俺は自らの心細い立ち位置を理解した。それは事実なのだが、マーロンがいなければ、俺なんて大した存在ではないと告げられたようで、はっきり言って気分は良くなかった。 「別に行きたい場所もないし。基地じゃプライバシーも無いから、ゆっくり眠れるだけでも貴重なんだよ」 「何がゆっくり眠れる、だ。毎晩マルのこと骨までしゃぶり尽くしてる癖に」  笑い声をはばかることもしないテンに、スルマは怪訝さを露わにした。バドの小瓶の底でこつこつとカウンターを叩きながら、静粛を求める裁判官みたいな口調と共に、目を眇めてみせる。 「マルと彼、付き合ってるの」 「うーん、そう言うことになるのか?」  テンは小首を傾げ、きょろりと上目で天井を仰いだ。背が高く、絵に描いたようなジョック気質の彼だが、あざとい仕草を好んで作る。人がそれを許容し、何なら警戒心を放棄してしまうことをよく知っていた。自分が面倒を見ている役者達より遙かに、己の立ち居振る舞いを制御出来るのだから、おかしなものだ。 「でもあいつ前に言ってたぜ。こいつの瞳はバンタ・ソーダの瓶に入ってる碧いガラス玉みたいだ、あんな眼でじっと覗き込まれちゃ女も男もぶっ飛んじまうって……ほら、見てごらん」 「バンタ・ソーダが何か分からないけど」  俺が赤面したのは、二人にまじまじと眼を見つめられたせいばかりじゃない。マーロンがそんな事を周囲に吹聴していたなんて……  心臓がばくばくと大きく拍動して、スルマのココア色をした、お皿みたく丸い瞳に吸い込まれそうになる。テンの大きな掌がカウンターの下へ潜り込み、ジーンズ越しの太腿をぎゅっと掴んだ。 「なーあ、エディ。スリが可愛いと思わないか」 「馬鹿。最初からその気だったの」  最低ね、と嘯きながら、彼女が興味津々なのは一目瞭然だった。  人体の生理メカニズムは不思議だ。一度興奮の閾まで引き上げられた脳は、心を置き去りにする。簡単にすり替えられた欲情は、身体をめらめらと燃え上がらせた。あの瞬間なら、俺は犬や消火栓を見ても勃起出来たと思う。  3人でテンのコンドミニアムへ行った。表向きは一服やろうぜ、良い葉っぱがあるんだと誘われて。  実際上等なマリファナで、3人で回していたら良い気分になって、リラックスしてきた。そのうちテンがスルマにキスし始めた。  お前にはあげないよ、見てるだけにしとけとテンは言った。「だめだ、だめだ、だめだ、俺には分かる。お前は一度味をしめたら、独り占めしたくなる性質だ」  けれど当然、見てるだけでは済まなかった。要因として、ラリってたことはかなり大きい。はっきり言うと、スルマは勿論、テンは俺が好ましいと思うタイプであることも否定出来ない。(俺の恋愛遍歴の中で、マーロンは余りにも突然変異じみた存在なのだ。だからこそ、禁断症状のように彼を求めてしまうのかもしれない)  「深入りしたくないもの」と言って、さっさと帰ってしまったスルマを見習うべきだった。彼に胸の上でぶちまけられた時、既に一度スルマの口で抜いてもらったばかりだと言うのに、身体がぞくぞく震えて、俺もいってしまった。アナルも触らず、ペニスも自分で扱くだけの、本当にオナニーめいた行為だったが、久しぶりの射精に全身の淀みが綺麗に拭われたかのようだった。  やってる最中、テンはお喋りだった。普段ならば愉快だが、正直ベッドの上で最初から最後まで二人きりにされたらキツかっただろう。  その後数ブロック先の店で飲みながら(セックスもマリファナも、やると無性に腹が減る)彼はのべつまくなしにぺらぺら、俺が聞いたことに全部答えてくれた。マーロンと奥さんが新婚旅行で訪れたカプリ島にて、彼女はレストランで見かけたキアヌ・リーブスにずっと色目を使っていたとか。駆け出しの頃のマーロンはそれはそれはあくどくて、トウの立った舞台女優にあてがう若い俳優の卵を週300ドルで雇い、巡業中は付きっきりで面倒を見させ、しかも全部経費で落としていたとか。 「マーロンは俺のこと、他になんて?」 「うーん……あんまり話題に出さないな。あいつ、積極的にノロけるタイプじゃない」  かぶりつくハンバーガーからレタスやタマネギがぼとぼと落ちるのも意に介さず、テンは性的に満足した男特有の散漫さでうんうんと一人頷く。 「でもお前をあちこちに連れ回すって行為は、嫌ってないよ。毛並みの良い犬を見せびらかして自慢するみたいにさ……それにあいつは、マナーのいい人間が好きだからな。彼女もガサツだったけど、根本的な躾はきっちりしてる家庭で育ったんだな、って感じだったろ」  そう言えばマーロンは以前俺に「お前は新聞を読んだ後、ちゃんと揃えてから畳むんだな」としみじみ言ったことがあった。そうやって、彼に愛される人間でいたいと、いつでも心から思っている。  なのに、浮気なんてあっさり出来てしまうものなのだなと、地下鉄に揺られながら、ずっと午後のことを反芻していた。もっと絶望的な気分になり、罪悪感を覚えるものかと。けれど、逆に憑き物が落ちたようだ。  スマートフォンを確認したら、ちょうどテンと飲んでいた頃、マーロンはテキストを送ってくれたようだった。 「楽しかった?」  イエスと返信すれば、さすがに気まずくなった。自らの気遣いが、こんな結果になると、彼は想像しただろうか。 「良かった。悪いけど、今夜も遅くなるから」  彼は悪くない。むしろ徹頭徹尾被害者だ。なのに、のんきな物言いへもやもやした。  「急な呼び出しが入ったから、基地に戻る」なんて真っ赤な嘘をついても「大丈夫か? 気をつけて」と、余りに淡泊すぎないか?  罪悪感を抱かないのは、糾弾されないことが分かっているからだ。マーロンは必ず、俺を許す。好意を過信している訳ではない。ただ、俺がどんな反応を示すのか、じっと観察しているのだ。あの虹彩の奥深くへどこまでも落ちていきそうなほど黒い眼で。瞳に魔法がかけられているのは、彼の方だ。  俺はなんて恥知らずなのだろう。けれど間違いなく、俺の心はマーロンのものでしかない。肉体なんて所詮は……

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