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202x.7.14(3h) 彼のオフィスで
腕時計は好評だ。今日も州軍のリジーが気付き、「それ彼女からのプレゼントでしょ」と言い当てられた。女の子は全く目敏い。
しかも今日は、当直終わりに彼へ会いに行ったら……
移動中にマーロンと電話で話していて、今夜は家に帰れない、事務所へ飯を届けてくれないかと言われた。ウーバーイーツの代わりにされた訳だが、他ならぬ彼からそんな風に甘えられると、悪い気はしない。
8番街にあるデュースズ・ワイルド・プロダクションの自社ビルへ向かう途中に、タコスを二人分調達した。この前来たとき食べて美味かったのだ。特にチキンは、ぶつ切りの胸肉をトルティーヤが破れそうなほど、めい一杯包んであるのがいい。
事務所で夕食を食べる予定なのは彼だけらしかった。マネジメント・オフィスに定時退社などという概念は存在しない。21時過ぎなら誰かしらいるはずだが、蟻の巣の如く細かく仕切られたフロアの中、居並ぶ個室オフィスは軒並み照明が消えていた。人気のない受付前を通り過ぎ、閉所恐怖症になりそうなほど狭い廊下を進めば、ブーツのコトッ、コトッと鈍い足音だけが反響する。幽霊なんか信じていない俺でも、少し不気味さを感じた。
マーロンは事務所でも稼ぎ頭の一人だから、廊下の突き当たり近くに部屋を与えられている。磨り硝子越しに煌々と輝く明かりにほっと息をつき、扉を叩いた。
もっとも、安堵してしていられたのはそこまでだ。これまた狭きことウサギ小屋の如しと言ったオフィスは、普段ならばきちんと片付けられている。それが今や書類、書類、書類。味気ないグレーの事務机で大きな二つの山を作る、奥に座ったマーロンの姿が見えなくなりそうな束だけではない。タイル張りの床、応接セット代わりの古ぼけたソファとコーヒーテーブル、ありとあらゆる場所に積み上げられた書類保管箱は、合わせて20箱近いだろうか。壁に掛けられたポスターの中、火に巻かれて死んだ伝説のファッションモデル、サニー・ハーネットが(以前しつこく聞いたら、彼が教えてくれた)ルーレットの代わりに蓋を開けた段ボール箱の中を退屈気な下目で覗き込んでいる。
「このご時世に紙資料かよ。うちでも最近、デジタル化だとか躍起になってるぜ」
カウチから箱を下ろして作った隙間に腰を落とせば、マーロンは紙の束から顔を上げ、じろっと感情のない視線を突き刺してきた。
「明後日、監査が入るんだよ」
彼のこの態度は、終わりの見えない業務のせいだ。張り詰めていた心が一気に緩んだ。
喧嘩と仲直りの後、実際に顔を合わせるのは初めてだ。開口一番皮肉をぶつけられようものなら、俺はきっと立ち直れなかった。内心、胸を撫で下ろしていた。やはりマーロンは大人で、優しい。
タコスを掲げたら、食べたい気分の献立では無かったのだろう。結構と手を振られたので、眺めている間に全部食べてしまった。また後で別のものを買いに行けばいい。
俺はずっと、お利口にしていた。会話はなくても、静まりかえった部屋で二人きりでいるのが重要なのだ。俺達がもしも「静かな生活」というものを定義づける必要に駆られたら、今はまさにその一つの例となるだろう。
寝てたら起こしてくれ、と俺に頼んだが最後、マーロンは黙々と書類に取り組んでいる。傍らに控えさせた名刺台帳や住所録を繰ったと思えば、黄ばんだタイプ打ちの文字をマーカーペンで塗り潰す。黴臭さと共にぱたんと台紙が閉じられ、きゅっきゅっとフェルトの滑る音がして、有機溶剤の刺激臭が鼻を突いた。
同じような見かけをした保管箱について、更なる共通点を挙げるとするならば、どれもこれも側面に、マジック書きで記されていることだ。No.016、アンディ・D、その下には年代が。一番古いものだと、1988年度の箱がマーロンの足下にあった。
もしも俺が知ってるアンディ・Dxxxxxxならば、長年朝の子供番組の司会者を務める優しいアンディおじさんのことならば(彼がこの事務所と契約していることは、以前マーロンから聞き及んでいた)その監査とは、一週間ほど前イエローペーパーにすっぱ抜かれた、彼が中学生の少女にしでかしたとされる不埒な行為に関してのものなのだろうか。
マーロンは正義の味方ではない。寧ろ俺は、彼が人や社会が不健全だと定義づけた行為に耽っていると、わくわくする。
時計の針は回って、俺もスマートフォンでゲームでもしながら少しうとうと、日付が変わりそうなことに気付かなかった。
微睡から引き剥がされたのは、淀んだ部屋の空気にばさばさっと重たげな音が響いたことによる。マーロンがふてくされた子供みたいに、勢いよくデスクへ突っ伏すものだから、書類の山が雪崩を起こしたらしい。彼自身の頭上へ滑り落ちているものすらあった。あ゛ー、と低い呻き声が、被さったコピー用紙をヒラヒラはためかせる。
「飯買ってこようか。それかコーヒーでも」
寝起きで肺活量を調整出来ず、声を張り上げてしまう。マーロンは心底疎ましげな顔で、腕から視線を持ち上げた。酷い隈だ。眼が真っ赤に充血して、白目のぎらつきに凄みがある。
でもその輝きは、セックスの時に見せるものとほぼ同じなのだ。
見とれていたら、マーロンは薄く開いた俺の唇の間へ潜り込ませるような、低い声で言った。
「こんなに頑張ってるんだぞ。慰めてくれよ」
フェラチオをしてやったことはあるが、この部屋で本格的にやるのは初めてだった。もしかしたらと思って下準備をしてきて、本当に良かった。
デスクに上半身を伏せさせた俺へ、彼が覆い被さる形だ。それはもう激しかった。天板が埋まる程散らばった書類が、片っ端から身体の下でぐしゃぐしゃに潰れ、気が気じゃなかったが、マーロンは全くお構いなしだった。
彼は殆ど喋らず、少し乱暴なほど腰を叩きつけてきた。腹の奥で音が鳴るような勢いに、俺もぞくぞくするほど感じて、声を抑えることが出来なかった。特に「緩いな」と唸った彼に右脚を掴んで折り畳まれ、デスクの上へ乗り上げさせる体勢を取らされた後は……あの格好を取ると内臓の位置が微妙に変わり、マーロンのペニスがちょうど直腸の曲がり角を突き上げる。そんなことをされたら、俺はもう、なす術などない。机にしがみ付いて、ひたすらむせび泣きながら、気持ちいい、もっとしてくれと彼に懇願し続けていた。
涙で滲み、振動と酸欠でガクガクする視界の中、どう言った訳か、貼り付けたコピー用紙ごと皺を刻んだ古いレシートが脳に焼き付いている。A4紙の縦幅ぎりぎりまで長く連なる、印字が消えかけた一枚。ペイルシー・レストラン、何々番地、5番街、サンディエゴ・CA、電話番号何とかかんとか、お会計日時ブラーブラーブラー、Apr.5.09(だったか?)、カードタイプはVISA、番号は云々、テーブル番号18、担当者はメイ・ロートナー。お会計は色々〆て728$12、何故かヨーロッパ風の表記をしてあった。
下の方の余白には、明らかにマーロンのものはない筆跡により、ブルーインクで書き込みがされていた。会食、アンディ・Dxxxxxx、ロバート・フェイル、何処何処エンターテイメントのトーマス・カネ、そしてマーカーで消された誰か。
かなり長い間彼はいかなかった。その間に俺は2回出して、それ以上に中イキして、全速力で走った程も息切れした。くたくたとデスクに崩れたまま、マーロンが色っぽい溜息をつき「ありがとう、すっきりした」と囁く声へ恍惚と耳を傾ける。首を捩って見上げれば、乱れた前髪を汗ばむ手で掻き上げるその仕草もまた、嫌になる程サマになっていた。射精した男特有の少し難しい表情が余りにもセクシーで、危うくまた勃起しそうになった。
セックスは申し分なし。問題はその後だった。マーロンに夜食を買ってきてやろうと部屋を出た時点で嫌な予感はしていたが、廊下を抜け、休憩室に差し掛かった時……マーロンが可愛がっている後輩のマックス・トージアと、ノア・デュガンが、これまたダンボールを抱えて書類を睨んでいる。明らかに彼らは、俺が入り口前を横切った途端、紳士的に顔を伏せた。いや、マックスはちらりとこちらに視線を走らせた。すぐさま気まずげに背中を丸めてしまったが。
いつの間に帰ってきていたのだろう。やりきれない!! 外へ出てマーロンへ電話で報告したら、彼は苦笑いしつつも「あいつらだって清廉潔白な訳じゃないよ」と、けろりとしている。
どの面下げて戻れと言うんだ。恥ずかしくて恥ずかしくて、2つ向こうの筋にあるピザ屋へ出前を依頼したら、その足でマーロンのフラットに帰ってしまった。
今はこれを書きながらベッドでゴロゴロしているが、彼の居眠り防止のため、30分ごとに着信を鳴らしてやることにする。献身的だと自称しても、許されるんじゃないだろうか?
それにしても、先程の彼は大胆だった。彼のような素敵な男に愛されて、俺はとても幸せだ。
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