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202x.7.16(1h+2) 少佐と話した過去と未来のこと

 ヨルゲンセン少佐と朝飯を食っている時、「最近、コフマン先生のところには通ってるのか」と尋ねられた。彼には適当なごまかしがきかない。正直に、話には行っているけれど、余り効果があるとは思えないと答えておいた。ありのままを話していないからカウンセリングの意味がないのは当然なのだが、もし洗いざらいぶちまけたところで、事態が好転するとは思えない。変な所に報告が行ったら問題だし、そもそも彼女が理解してくれるかも。俺とマーロンの間の事情は何とも込み入っている。  彼女が魔法でも掛けて、マーロンの心を俺へ振り向かせてくれると言うなら話は別だが……いや、そんな方法で彼を手に入れるのは嫌だ。  少佐は難しい顔をして、しばらくお手製のチキン・サラダをつついていた(彼は唯一、チキンと名の付く料理だけは、そこらの主婦よりよっぽど上手く作ることが出来る)その沈黙は、こんな私的な状況の時ですら、威風堂々とした厳格さを作り上げる。俺も彼のようにリーダーシップを発揮し、状況を的確にコントロール出来る人間になりたいものだと、いつも心から思う。  やがて彼は、喉が詰まっているにも関わらず無理をしているかのようにサラダを飲み込んだ。それからぽつりと「俺のせいか」なんて呟く。  そんな訳はありません、と必死に宥めたが、俺が知っている中でも屈指の綺麗な顔は、一向に沈痛さを崩さなかった。    そりゃあ俺も学生の頃は、特にあんな厳しい教練の時は、里心がついた事もあった。だからあれは特殊な状況で、大袈裟に考えるべきことではない。大体、少佐はヨアンが生まれてからは、ディオーナと子供達を自分の命よりも大事にしている。 「少佐は落ち込んでいた俺を慰めて、手を貸して下さっただけでしょう。そんな事を言われると侮辱です」  少佐は一度考え出すと、そのままずっと深く深く思索してしまう癖があるようだ。そんな事をすればドツボへはまるだけなのに。  彼の薄い唇が少し震えて、そういえば俺がヴァージンを失った時も、彼はこんないかにも後悔していると言った表情を浮かべていたのを思い出す。初めてのことに頭が混乱している教練生に向かって、見せるのに相応しくない狼狽えだ。今なら分かるが、同時にそれは彼の人間臭さを感じさせる面でもある。  マーロンは最初の夜、どうだったか。ぐちゃぐちゃになっている情緒を押し殺し、ベッドへ寝転がっている俺の傍らで、重々しい溜息をついていた。間違いなく後悔していたに違いない。どうして俺は、尊敬する人間と寝ると、尽く相手に後ろめたさを覚えさせてしまうのだろう。  でも彼は少佐のように「すまない」などと謝ったりしなかった。痛くなかった? と優しく尋ね、先にシャワー浴びてきなよ、歩けるかな、無理ならどうかな、担いで連れて行けるかな、なんて、まるで子守唄でも口ずさむように、気まずいような、面映いような空気をほぐしてくれた。  あれは処女だった子に対する接し方だ。彼はこういう状況に慣れきっていた。男相手では無いとしても。  マーロンが俺の過去の男女関係について尋ねた事はない。俺も敢えて口に出さなかった。きっと彼は、過去を聞くと醒めてしまったり、自分と比べられているように思える状況を楽しめない性質だ。  俺も昔はそうだった。けれど今は、寧ろ積極的に、彼を根掘り葉掘りと問い詰めてしまう。嫌悪は感じなかった。何せその関係は、もう終わってしまっているのだから。  随分タチが悪いし、こう言うのは不健全だと自分でも呆れるが、彼が昔の女をこき下ろしたり、自らの失敗を口にすると、俺は嬉しくなる。聞いている限り、マーロンの恋愛遍歴は割とエモいと言うのか……恋愛に限らず、まるでわざと選んでいるのかと思える位、厄介な相手を引き当ててしまう人間は、世の中に多いものだ。35年間生きる中で、誰かが薬物を過剰摂取した現場へ6回も居合わせたなんて(しかも別の4人の人間だ)ちょっと尋常と言い難いのでは無いだろうか。  彼の奥さんはどうだったのだろう。彼女は嵐のような気性の、とにかくパワフルな女性だった。けれどああ言う女性に限って、衆目の視線がない所では、メンタルがどん底まで落ち込んだりするのかも知れない。  少佐が何度も「中尉、エディ、大丈夫か」と呼びかけるのに、慌てて「大丈夫です」と答えたが、タイミングがおかしかったのだろう。すっかり呆れられてしまった。 「重症だな。もし異動なんて事態になったら、大変なことになりそうだ」 「辞令が出るんですか?!」  思わず食いついたら、少佐は少し背を反らした。閉じられようとしていたサラダジャーの蓋が瓶口と擦れ合い、ずるっと大きな音を立てる。 「今のところ可能性は低いだろうが、0とは言わん。任期は後3年残ってるんだろう。半年やそこらはフォート・ブラッグ辺りに派遣されるかも知れないと、念頭に入れておいた方がいい。お前は健康だし、今までの査定も悪くないからな」  どうして今まで、想定できなかったのだろう。  奇跡的な確率で、今現在俺とマーロンは同じ州にいる。車で1時間の距離にいると言う安心感は得難いものだ。もしもこれがノース・カロライナとなると、とてもじゃないが簡単には行き来など不可能だった。 「ですが、少佐もこちらに家を買いたいと……」 「どうだかな。後20年、真っ当に勤められてからのお楽しみってことになりそうだ」  そう自嘲気味に吐き捨てると同時に、テーブルの下で脚が僅かに引っ込められる。  本来彼は、こんな場所で燻っている人じゃない。イラクで重要な作戦に幾つも従事した英雄だ。詳しい事情は聞いた事が無いし、囁かれる噂話も信じるつもりは無いが。 「ローンを組めば良いんです、今のうちがチャンスですよ。それに、ディオーナも定住する場所が出来れば、きっと安心します」  心から励ますつもりで言えば、少佐も満更では無い顔で頷いた。 「それはそうだろうな」 「俺も除隊したら、彼の近くに引っ越そうと思ってるんです。もし可能なら家で暮らすのも……荷物を持ち込めば、案外許してくれそう気がするんですよね。元々ファミリー用のフラットだから、部屋も沢山空いてますし」  食事中、一度も手を伸ばすことが無かったコーヒー入りの紙コップを今更引き寄せ、少佐は一口啜った。 「前々から思っていたんだが、お前は何というか……色々と図太いな」  図太いだって? とんでもない! マーロンと付き合うようになってから、泣いてばかりなのに……寧ろ、昔より余程涙脆くなってしまったのではないか。  この感覚は、きっと少佐なら良く理解してくれそうな気がする。もっと詳しく話せばだが……どうも彼と一緒にいると、父親を前にしている小さな子供みたいな気持ちになっていけない。少し喋り過ぎるようだ。

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