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202x.7.27(1h+1) リンパ腺

 明け方、マーロンに揺り起こされた。寝ていた彼の目を覚まさせる程の声で魘されていたとのこと(全く申し訳ないことをしてしまった)確かに全身は汗びっしょりだったうえ、首から肩へ掛けての筋肉が驚くほど強張っていた。  ここのところ嫌な出来事が立て続けに発生したせいかも知れない。夢の記憶は無いが、顔を覗き込むマーロンの心配そうな表情を目にすれば、酷く悲しい気持ちになった。しばらくベッドに座り込み、緊張を解こうとしたが一向に叶わず、終いに頭痛までしてくる始末だった。  自分自身ですら落ち込む訳を理解出来ないのに、マーロンが知ることなど可能なはずがない。彼を困らせている、その事実にまた気分が沈む。悪循環だった。せっかく彼と居られる一日にも関わらず。  しょんぼり項垂れる俺の傍らに腰を下ろすと、マーロンは大きく溜息をついた。そのまま肩を掴まれたので、びくつきは一層大きなものになってしまう。  彼は呆れる事も、揶揄する事もしなかった。前後へと滑らせるよう肩の筋肉をほぐしながら、親指は両の鎖骨の窪みへ当て、押し込む動きを繰り返す。肌が重なる場所から首の付け根へと掛けて、じわりとしたものを感じるのは、間違っても摩擦熱などでは無い。唐突に親密な触れられ方をされ、喜びと当惑がないまぜで胸へと流れ込んできた。 「最近、緊張することが続いたんだろ」  20回程繰り返せば、手は首筋へ。ひんやりした掌に急所を辿られ、思わず目を閉じ、ぶるっと身を震わせてしまう。「冷たかったか」と尋ねられ、黙って首を振った。すぐさま、動くなと言わんばかりに、耳裏のへこんだ場所へ彼の指先が嵌まり込む。 「肩、ガチガチになってる。ずっとデスクワークしてた?」 「まあな。無事に片づいたけど」 「中尉殿も大変だな」  優しい声は、人差し指と中指で耳を折り畳まれることにより、水の中のようにぼやけて響いた。そのまま軽く捏ねられ、軟骨がこりこり音を立てるたび、うなじがちりつく。気持ちが良かった、寝起きで高まっている俺の体温が徐々に移り、温もりを帯びた彼の繊細な手で遊ばれるのは。撫でられる猫の如く身体の力が抜け、なのにとくとくと心臓の鼓動が強いものとなる。  指が触れるか触れないかの曖昧さで顔の輪郭を滑り、顎の下へと到達した頃には、もう恍惚となっていた。もにゃもにゃ揉まれて、自然と顔が天を仰ぐ。「よだれ垂れてるぞ」と指摘され、慌てて手の甲で口元を擦ったが、焼け石に水でしか無い。鼻から甘ったるく息が抜け、羞恥がぞくぞくと身体に走る。それは四肢の末端へ到達するとすぐさま折り返し、心臓へ到達するや否や再び全身をぶわりと汗ばませた。  彼がこんな特技を持っているなんて知らなかった。マネージャーなんかやめて、今すぐ開業できる手練れだ。だれに習ったんだよ、と辿々しく尋ねれば、マーロンは寝起きのように低く色っぽい声でウーン? なんて唸る。 「これはお袋がね。看護士とマッサージ・パーラーを掛け持ちしてて……俺は小さい頃癇が強かったから、よく寝る前にこうやってくれた」 「苦労、したんだな……」 「うん、まあ……少なくとも勤勉だった。親父も儲けた時はそれなりに金を置いていくんだけど、2人とも貯金が出来ない性質だったからな。幸い、飢えたことは無かったよ」  ずっとこうして触れられながら、彼の声を聞いていたかった。普段は俺ばかりが喋っているから、話は貴重だ。  俺達はもっと深く意志の疎通を試みるべきなのに、どうしても肝心なところで身を引いてしまう。次へと進むべきだ。或いは、留まっていてはならない。  懸命に目蓋をこじ開ければ、真正面から見つめるマーロンと対峙することになる。とろりと濃い涙は視界をぼかすが、彼が俺の眼へ食い入ったのは間違いなかった。  唇はまだ薄く開いたままだったので、彼のキスを難なく受け入れることが出来た。お互い戯れるように舌先を擽り合い、やがて深く飲み込まれる。熱い息が震えていることは、とっくの昔に気付かれているだろう。  長く、短く、予測のつかない間隔でキスを与える間も、マーロンは左右の顎下を指で撫で摩り続けていた。溢れる唾液は止まる事を知らず、何度も飲み下されたり、彼のものと混ぜて俺が嚥下したりを繰り返す。全身がとろ火で煮立てられているように熱っぽかった。  熱はやがて下半身へと集う。俺の下着の中で緩く兆したペニスに気付いたのだろう。マーロンは少し気まずげな表情を浮かべた。  脱力し、シーツを擦っていた指先を彼の胸へ縋り付かせようとしたその時に、ベッドサイドのスマートフォンが着信音を鳴らす。引っ掴んでマットレスから下りたマーロンは、たった今まで浸っていた官能的な空気など最初から無かったように、すたすたと踵を返す。  ビリー・マクギーは深酒と自信喪失によるインポテンツへ悩まされることなく、無事に女との一夜を愉しめたようだ。 「悪い、彼を迎えに行かないと」 「なんであんたが」  ベッドの上で身を丸め、俺は野良猫も驚くような凶暴さでマーロンへ唸って見せた。 「ああ言う芸能人って、付き人とかいるんだろ。奴らにやらせろよ」 「ビリーはPA(パーソナル・アシスタント)がいないんだ。昔雇ってたのがクソみたいな奴で懲りて以来」  ぴしっと糊をつけたシャツを着込み、ネクタイを洒落た格好に結び、見る見るうちにクールなマネージャー、マル・ヒルデブラントが完成する。それは間違いなく見とれてしまう存在だった。いっそ今からおかずにしてやろうかと思ったくらいだ。  だが幾ら脳内で妄想を増幅させても、実際に触れ合うことの至福へは到底及ばない。  シーツへくるまって拗ねている俺に、マーロンは小憎たらしく片眉を吊り上げて見せた。 「良い子にしてたら、リトル・シーザーズでピザ買ってきてやる」 「そんなのいるかよ。俺はあんたが食いたい」  尖らせた唇で言ってのけても、曖昧に肩を竦められるだけ。彼は部屋を出ていった。  残された俺は、放置された身体を何とか鎮めなければならない。この位ならわざわざマスターベーションしなくても、冷たいシャワーを浴びれば何とかなることは分かっていた。  けれど、そうじゃない。そう言う問題では全くない。仕事に打ちこむマーロンへ駄々をこねるのはいけないことだと理解しているが、少しくらい唇を尖らせても許されるのでは無いだろうか。  取り敢えず、これを書き終えたらバスルームへ行こうと思う。触れたマーロンの手の柔らかさを掻き消すには、シャワーの水流を最強にすれば事足りるだろうか。  恐らくは難しいだろう。思い出しただけで、首筋がびくびく痙攣する。全く、彼は何て酷い遣り手なのだろう!

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