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202x.8.10(2h+2) フランチェスコ

 マーロンに「ミッキー・ロークが主演している宗教映画って知ってるか」とテキストで尋ねれば、IMDbのURLを送ってきた。アッシジの聖フランチェスコに関する伝記ものらしい。文芸作品と言うのだろうか? 非常に難解そうだ。トレーラーを観ただけで眉間に皺が寄ってしまう。    一人で鑑賞すると確実に居眠りしそうだったので、彼の元へ行く途中でレンタルDVDショップで借りてきた。今時ネットフリックスにもアマゾン・プライムにも無い映画なんて、信じられない。  「珍しいね、お前がこんな映画観たがるなんて」とマーロンは無礼なことを言ってきたので、経緯を説明した。彼は冷ややかな笑いと共に「この近くにはイラン料理屋なんかあったっけな」と宣った(悪い奴だ!)「それと、映画の最中に飛びかかるなよ」と忠告を。こちらに関しては少し自信がなかった。俺は多数の前科持ちだ。  ピザもポップコーンもマリファナも無し。マーロンはいつも通りボンベイ・サファイアで作ったジンリッキーをちびちび啜っていたし、俺はウイスキーサワーをこしらえて飲んでいた。「イタリアの映画ならチーズだろ」と言うよく分からない理由で、冷蔵庫の奥から古いエダムチーズが取り出される。  一人の時はどうか知らないが、俺と一緒に家で映画を観ているとき、マーロンは時々独り言を呟く。主に作品の批評めいたことを一言、二言。彼は教養深いし、業界人として思うところがあるから、どうしても純粋に映画を楽しむと言うことが出来ないのだろう。  勿論、俺が尋ねたら色々と答えてくれる。彼について尊敬するのは、そういう時、もしも質問の答えを知らなければ正直に「知らない」と認めることだ。(時々質問自体を面倒くさがってむにゃむにゃと濁してしまうことはある)これを出来ない奴と言うのは案外多い。特に社会的地位のある奴ほど、何でもかんでも知ったかぶりをする。  とは言うものの、今回はそこまでマーロンを煩わせる真似はしなかった。ウィキペディアの聖フランチェスコに関する記事へ書いてあるままのストーリーだ。辛気臭く、かったるい。戦争で捕虜になったのを機に信仰へ目覚めたミッキー・ローク(まだ整形やボクシングに走る前の、ハンサムな頃だった)が、とにかく禁欲的な生活を送りながら、教祖になる様子を、小難しく描いている。  俺は捕虜になったことはないが、実際に激しい戦闘へ参加した人間を何人も知っているから分かる。彼は幸運な例だ。戦場の泥を浴びた人間の半分は、神を信じるのを止める。何も戦闘中の出来事だけではなく、その後に放り出される一般社会と呼ばれる場所での経験によって。  途中であくびを連発し、一人で皿を抱えチーズを齧っていたが、マーロンは咎めなかった。彼はどっしりとカウチに身を預け、微かに眇めた目をテレビへ向けていた。  俺はそんな彼をじっと鑑賞していた。真剣に観ているのか、そうでないのか、周囲に悟らせない食えなさ加減。少なくとも、面白いと感じている訳ではなさそうだった。手にした安物のタンブラーを口元へ運ぶたびに一瞬眉間の皺を深め、時に唇を忌々しげに噛むようにして舌先で舐める。  背もたれへ投げ出された腕へ潜り込むよう俺が身を寄せれば、それ以来熱っぽい手は手持ち無沙汰な遊びを繰り返した。俺の肩の上で人差し指と中指を交互にとんとんと跳ねさせたり、指の背で後ろ頭の短い髪を撫でたり。  そうやって猫でも撫でるような扱いをされたから、俺が船を漕いでしまったのもやむを得ないことなのだ。彼の肩に頭を凭せかけ、優しい手つきにうっとりとなっていたら、どさくさ紛れで酔いと退屈まで忍び寄ってくる。アルコールの摂取で彼の体温は上がり、俺の好きなジバンシィのフレグランスが、洋梨の香りを一層強く香らせた。  うとうとしてはハッと目を見開き、また意識を失うを何度も繰り返した。だがいつ画面を見遣っても話はろくに進んでいない。薄汚れた画面の中で、ボロを纏ったミッキーロークが彷徨っているだけだった。  この手の映画は、割とバッドエンドになりがちな印象だが、これは最後に聖フランチェスコが聖痕を手に入れてめでたし、めでたし。  DVDを停止させると、マーロンはぽつりと「これはデート・ムービーじゃない」と呟いた。 「取り敢えず、処女を捧げたくなるのとは真逆の気持ちにさせる映画なことは間違いないな……まあ、バラク・オバマとミシェル・オバマも初デートで『ドゥ・ザ・ライト・シング』なんか観に行ったらしいし」 「ミッキー・ロークのイチモツに当てられたんじゃないか」  氷が溶け、水割り同然になってしまったウイスキーサワーを嫌々飲み下して、俺は彼の顔を見上げた。 「俺だったらデートで宗教談議はごめんだけどな。イラン料理屋で大喧嘩したのかも、知らないけど……あんたの宗派的にこれって有りか無しか」 「まあ、解釈なんて人それぞれだから」  再生デッキから取り出したディスクは、ケースへ収める前に表面をしげしげとためつすがめつされる。結局彼は軽く肩を竦め、ケースをぽんとコーヒーテーブルへと放った。 「特にこんな芸術映画」  さりげなく掛けたカマは、意図的にか無意識にか、あっさり躱された。俺も馬鹿だ、一々ポールの言ったことなんか気に病む必要などないのに。  それで、彼の信仰は? カトリックだったらこんな映画大激怒していてもおかしくない……と言いたいところだが、熱心な信徒とはとても言えないマーロンだから、屁でもないと思うかもしれない。  まあ少なくとも、ユダヤ教徒でない事は確かだ。俺はもう、これまで何度も何度もこの目で確認している。  今日も確認すべく、ソファへごろりと身を倒し、彼の膝枕から侵略を開始する。エダムチーズのおかげで舌の上には苦味が残っていたし、ちょうどいい口直しだ。  俺が酩酊ですっかりご機嫌になり、口を使ってスラックスのファスナーを下ろす時も始終ニヤついて鼻を鳴らしていたのと同じだ。彼も色々と緩々だった。「やめろよ」と天井を仰いで呻いた程度では、拒絶だと認めてやらない。自慢では無いが、あの時の俺の口の中はかなり熱くて具合が良かったと思う。  睡魔と戦って、チーズを食べて、マーロンと戯れて。俺にとっては幸せで何気ない日常の一部として、この映画は記憶される。もしかしたら余りにも何気なさ過ぎるせいで、そのうち意識の底へ埋れてしまいすらするかも知れない。  けれどポールの彼女にとっては、自分が処女を失った日の思い出には、冬山を素っ裸で転げ回り、ペニスを雪の中に突っ込んで勃起を鎮めようとするミッキー・ロークが付随する。それは間違いなく不幸だ。ポールも酷く罪なことをしたものだと思う。  後でマーロンに、どこの教会へ通っているんだとずばり聞いてみると「ここ10年近く行っていないが、親父はカトリックだったし、無宗教に近かったお袋はそれに引きずられていたから、家庭内の宗教もそれに準じていた。多分俺の中にもアイデンティティとしては残っている。ただし、人工授精、妊娠中絶と避妊、同性愛に関しては否定しない」  うじうじと悩まず、最初から素直に尋ねればよかった。全く、馬鹿みたいな話だ。  

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