46 / 50

202x.8.18(3h) スリルとテレフォンセックス

 信じられない、マーロンの家に破り取ったノートを置いてきてしまった!!  ここ数日、鎮痛剤ですっかり情緒がおかしくなっていたから、判断力が鈍ったのだ。今ページを読み返しても、異常な精神状態だとしか言いようがない。  確か、寝室のゴミ箱に丸めて捨てたはずだ。読まれていないだろうか。彼もそこまで悪趣味な性格でないことを信じたい。  以前俺がこのノートを広げていた時、「一体何書いてるの」とマーロンに尋ねられたことがある。咄嗟に「備忘録だよ」と答えれば彼は「難しい単語使うね」なんて笑い、それっきりになった。ノートの中身を知りたいと言うより、真剣に書きつけていた俺へ興味を惹かれただけなのだろう。あれ以来、出来るだけ彼の目には触れないよう注意を払っていたが、全く迂闊だった。  このノートを見たら、彼のことだ。鼻でせせら笑うだろう。それとも気味悪がられて、距離を置かれてしまうかも。どっちにしても、そんな状況に陥ったら、俺は死んでしまう。  ましてや捨てたページに書いてあった内容は、特に酷かった。紙一杯に彼の名前が殴り書きされた、まるでティーンのラブレターじみた代物。  あれが俺の現状なのだ。いつでもあんたのことを考えて、あんたで身体中が埋め尽くされている。いっそのことそう告白してしまおうか。いや、もうとっくにばれてしまっているのかもしれない。  彼の前に全てを晒け出してしまいたい。敬虔な信者が、神の前で全てを告白するように。  もっとも、今日電話をかけたときの心境は、神への愛を告白すると言うより、天罰を恐れているようなものだったが。  幸い、マーロンはまだロサンゼルスにいるらしい。 「グレッグ・コンカートががトム・ハーディと撮影現場であわや殴り合いになりかけた」 「それ、冗談だろ」  笑い混じりで問いかければ、曖昧にウウン、と返される。彼はだいぶ疲れているようだ。ニュージャージーと西海岸の時差は3時間。あちらは21時過ぎ、まだ夜は始まったばかりだ。彼は遊びに出かけることなく、ホテルへ戻ったらしい。周囲の喧騒が飛び込んでくることなく、彼の静かな声だけへ集中することが出来る。 「こっちにはいつ帰ってくる?」 「まだ決まってない。今週一杯は無理かな」  となると、2日後の勤務が終わった後、彼のフラットへ急行して回収することは十分可能だ。別に彼のことを信頼していない訳では断じてない。ただ、万が一ということが世の中にはある。 「今俺が、どんな格好してるか分かるか」 「うーん、全裸?」 「外れだ。リーバイスとTシャツ」  スケベな奴、と揶揄すれば、マーロンは気まずけな忍び笑いを上げた。 「でも今、ジーンズのボタンを外した。ファスナーも下ろしてるとこ……」  噛み合っていた金属がちりちりとほぐれる音を、スピーカーは拾っただろうか。まるで目の前に彼がいて、見せつけているかの如く、わざとゆっくり指をジーンズの中へと差し入れた。籠もった熱は肌を敏感にする。陰毛の生え際を軽く撫で擦っただけで、そこから微弱な電流が身体へ走るかのようだ。 「あんたの声聞いてたら、我慢できなくなってきた……」 「若いな」  60パーセントの呆れで、40パーセントの動揺を押し隠そうとしているかのように、囁きが僅かに揺れた。ベッドの上で俺が予想外の行動へ出ると、彼はよくこういう声を作る。2回連続フェラチオでいかせようとした時とか、こっそり俺の腹の中へ仕込んでおいたアダルトグッズが、挿入したペニスの先端へぶつかった時とか。  そう言えばあのおもちゃも、あのまま持ち帰るのを忘れてしまった。彼の家に置いてある俺の物、歯ブラシ、剃刀、使わないジャージ、いつか使うかもしれないスーツ。他にもあったはず。もっと持ち込むべきだ。俺の存在を忘れさせないために。  ゆっくりと握り込んだペニスはもう、緩く芯を持っていた。数度擦るだけで先走りがだらだらと垂れ始める。お前は本当に堪え性がないよ、と彼に言われたことを思い出した……記憶から蘇らせただけでは物足りない。電話の向こうには彼がいるのに。 「マーロン、いる?」  ふっふっと短くなる呼吸の合間に尋ねれば、「いるよ」と薄い、慎重な抑揚で返される。 「なあ、俺のオナってるとこ、見たくないか?」 「今カメラはまずい」 「じゃあ、聞いてろよ」  少し厳しい口調なのが逆に興奮した。また唇を舐めて、挑発するようにくちくちと音を立てる。 「今……タマの付け根のところを破くみたいな感じで、指でほじってる。痛いのがいいんだ、知ってるだろ」 「ああ、そうだったな」  深い溜息が鼓膜をくすぐり、思わず首を竦めた。その間も、ペニスを弄る手は止まらなかった。幹を掌で支えながら、親指から中指の3本で先端の括れを扱く。腰がふらふらと浮いて、反らされた腹の奥のが痛い。止められなかった。 「きもちいい、もっと……」 「はしたない奴」  あたかも見ているかのように、マーロンは呟いた。その後に聞こえるひずみは、所詮不安定な電話回線が作る雑音でしかなかったのだろう。けれどまるで、興奮した彼が息を荒げているかのように響く。  呼応するように、俺も鼻を鳴らし、小さく喘いで見せた。その間にもマーロンが何か言っていた気がするが、自分の声が大きいのと、頭が霞かかったようになっているのとで、まだらにしか聞こえない。  睾丸が硬く収縮したとき、せり上がってくるのは精液だけではない。刺激が腹にまで響いて、締め上げる場所が空白であることに辛さを感じた。アナルも使おうかと余程思ったが、何も準備していないし、やはりここを独りで触るのは、どうしても虚しい。あのアダルトグッズを持って帰って来れば良かった、いっそ踏ん切りが付いたのにと、その時ほど後悔したことは無かった。  寂しくて、切なくて、シーツへ力任せに身体を擦り付ける。彼に触れられたい。少し乱暴な手付きで彼に全身を撫で回され、俺も全身で彼にしがみついて、感じたかった。 「あんたに会いたい」  会えないのが辛い。彼に触れられた時の新鮮な感覚を、そのままの状態でずっと取っておきたい。  片手しか使えないのがもどかしく、太腿に乗せていた左手を下腹へ移動させる。包帯の巻かれていない指の部分で強く押してみるが、全然物足りない。普段のオナニーの時はもっと強く、力任せに圧迫する。最近これが癖になっていた。  俺は益々、正道から外れている気がする。マーロンはどうだろう。俺の中で渦巻く、このどうしようもない程どろどろしたものを知った暁には受け入れてくれるだろうか。 「マーロン、マーロン、聞いてくれ。俺のこと……」  ここのところ頓に思うのだ。俺が彼に隠すのではなく、彼に俺を理解して欲しいと。   「悪い、可愛いエディ」  鬱屈とした感情は、結局俗物的な快楽に敵わない。マーロンに優しく呼ばわれると、最後はもう。アドレナリンが脳の中でぶわりと一気に広がる。弓なりに身体を逸らし、腰をがくがくと震わせ、意味のない呻きを放ちながら迎える決壊。汗と涙が入り混じり目尻から流れ落ちることにすら、ぞくぞくした。  たかが一週間溜め込んだ程度なのに、射精が作る疲弊は全身を泥のように変える。荒い息を整えることも出来ず茫然としていたら、電話の向こうで誰かの声が聞こえてくる。彼の名を口にする俺ではない人間。 「ごめん、行かないと」  ぶつりと通話が途切れると同時に俺も沈黙し、暗くなるスマートフォンの画面と共に闇へと飲み込まれる。  まだパーコセットの血中濃度が下がっていないのかもしれない。そうでなければ、こんなに孤独を感じて、泣きたくなる説明がつかないではないか。これを書きながらも、まだ泣きそうだ……

ともだちにシェアしよう!