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202x.8.19(2.5h) 予習と復習

 あと2時間で当直につかねばならないが、一向にやる気が湧いてこない。スマートフォンから流れてくるマーロンのくぐもった囁き声が、頭をぼんやりさせる。「エディ、息を吸って、ほら……」  今日は起きて昼飯を食ってからずっと、以前録音した彼とのセックスの音声を流していた。エンドレス再生は5回目に突入している。片や来週の研修で用いるジョージ・ケナンの著作は、未だ20ページまでしか進んでいない。  腹の中のもやもやが収まらない。すっかりルーティンと化しているSNS巡りで、ビリー・マクギーのインスタグラムを見たときから、ずっとだ。  現在彼はロサンゼルスで新作映画を撮影中だった。「俺の忠実で、頭の切れるブレーン達」なんてコメント付きで投稿された写真が撮られたのは、宿泊しているホテルの部屋なのだろう。夜通しの会議でもしていたのか、スーツ姿の取り巻きが、折り重なるようにしてソファの上でぶっ倒れている。  勿論、マーロンも写っていた。アンティーク調の、金華山織りと言うのか(ググったが合っているかどうか、よく分からない)いかにもスイートルームにありそうな洒落たソファの上で、座ったまま崩れた身体は低い腕置きへ伏せてしがみつくような格好。がっくりと力ない頭からこぼれる髪は今にも分厚い絨毯を擦りそうだった。指先で辛うじて掴んでいるロックグラスから、中身がぶちまけられないかひやひやする。  投げ出された彼の膝を枕にしているテンの寝姿も、芝居とは思えない。浮かんだ目の下の隈は色濃く、普段の快活さなど想像できないほど、顔色はげっそり青白かった。    以前から思っていたのだが、マーロンとテンは過去に何らかの性的な接触を持ったことがあるのではないだろうか。彼らの身体的な距離はとても近く、態度は親密だ。テンの普段の物腰が非常に馴れ馴れしいものであることを差し引いても……どちらかと言えば他人とは折り目正しい距離を取りたがるマーロンが、テンの侵犯を許していることも気にかかる。  別に直接的なセックスをしたことがあると言うだけではなく、以前俺がテンと可愛い女の子へ挑んだような形で。あり得なくはない。それにマーロンは以前言っていた。「本人が気付いているかどうか分からないけど、テンは女とも寝るゲイなんだと思うよ。俺やお前とは逆だね」  フラストレーションも性欲も溜まったマーロンが、テンの誘いに乗ってはいないだろうか。何せ彼が最後に俺とセックスしたのは8日前だ。  再燃した疑惑が身を苛む。一度気分を刷新しようと、分厚い単行本を放り出してマスターベーションをしたのだが、気の昂りは全くと言っていいほど収まらなかった。もう一度くらい抜いてもいいかもしれない。「大丈夫、大丈夫」と優しく繰り返すマーロンの声に、俺の甘ったるい喘ぎがまとわりつく。  音声ファイルはそもそも、こんな目的へ用いる予定ではなかった。かつてマーロンに、最中の俺の声が大きいと評されたので、確認してみたくなったのだ。  スマートフォンをタップし録音を開始したのは、マーロンがバスルームから帰ってくる直前のこと。106分の行為。フェラチオを含む愛撫の結果、彼の手で俺が一回射精し、それから挿入。やがてマーロンが極める。俺は途中からドライ・オーガズムの波にさらわれ、ずっといきっぱなしだった。  確かに、俺の声はかなり大きいのではないかと思う。しょっちゅうマーロンの声を掻き消している。後半になると、口から飛び出すのは単語レベルの喚きばかりだ。それとも鼻に掛かった嬌声か。こんなにも女みたいな抑揚で「もっと、もっと!」とか、「そこ、おもいっきり突いて!」「いい、きもちいい、しぬ、しんじまう!」とか。甘え、懇願し、啜り泣き、いや時には子供のように手放しで嗚咽していることも。こんな声、自分が出しているとは到底信じられない。  こうやって普段頭の中が滅茶苦茶になっているものだから、その際にマーロンがどんな声を出しているのか、どうしても聞き逃してしまう。なのでこうして、改めて音声を聞き、フィードバックすることはとても有意義な経験だ。  割れまくってる俺の声の向こうへ耳を澄ます。乱れた息の音に混じる、微かに上擦った囁き。「痛くない?」「待った、焦るな……ゆっくりでいいから」「すごく締まってる。気持ちいいよ」  そのほとんどが、俺を気遣い、そして賛美するものばかりだ。大事にされているのだと、改めて実感する。  こうして、俺が気付かないところで散々心を砕いてくれているマーロンなのだ。実際に知覚し、認識しないと納得できないとは、俺もあまりに情けない。そして納得したらしたらで、増長して更なるものを求めてしまう。  セックスの最中、俺が想像していた以上に、彼は余裕を保っていた。醒めている、とまでは言いたくないが。もっと奔放になってほしい。  これは彼に対して要求してもいい努力なのだろうか。それとも、俺がこなすべき課題なのだろうか。  真面目腐って耳を傾けていたら、ひどくエロティックな気分になってきた。さっきの心身の調子を整える為の射精ではなく、性的な興奮からわき起こる衝動だ。  自分の喘ぐ声を聞いてムラつくなんて、なんとも変態的なのではないか。けれど釈明するならば、これは、マーロンとの共同作業なのだ。彼によって作り上げられた俺の姿だと思うと、無様な響きですらひどく扇情的なものに思えてくる。  今朝から包帯を外したので、マスターベーションも自分の思った通りにすることが出来る。今朝は、アナルも使ってやった。手を伸ばしても、たった数時間前のことだから、まだ緩い。突っ込んだ指2本を思う存分締め上げながら、右手ではペニスを擦る。 「あーまずい。これ止められない」  クライマックスへ向かいながら、マーロンが嘆くように吐き捨てた。ぶっきらぼうで、捨て鉢で、自分本位な声だ。  悪い、魅力的なマーロン。いっそのこと、これが日常になればいい。俺には何も隠す必要が無い。どうせいずれは隠せなくなるのだから、そんな頑固にしがみつかず、もっと見せて欲しい。  射精の後、ぼんやりベッドの上でひっくり返っていたら、スマートフォンの中からマーロンが俺の名を呼ぶ。何度も、何度も。 「エディ、息を吸って、ほら……」  あの時俺は、まるで溺れるもののように彼の腕を掴み、必死に呼吸を取り戻そうとした。今は手を伸ばしても、指先に触れるものと言えば、湿ったシーツだけだ。  あんたのせいで俺は息もままならないと、今すぐ彼の元へ駆けつけ、罵ってやりたかった。  俺は狂ってる。もう元に戻れそうにはない。

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