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第四章・6
「また一つ、君の好きな所を見つけたよ」
「何でしょう」
「今日、出会って数時間の内に、君は何回『ありがとう』と言っただろうね」
ありがとう。
私には、なかなか難しくて言えない言葉なんだよ、それは。
「あ……」
確かに、テーラーで店主にお礼を言った時、彼は珍しそうな顔をしていたっけ。
(あれは、真輝さんからは、まず聞けない言葉だったからなのか)
源家の人間は、ありがとうを言えないと思われているのだ。
「言えるようになるといいですね。ありがとう、って素直に」
「さあ、それはどうかな。身についた習慣は、なかなか変えることは難しいから」
話しながら、真輝は身じまいを整えた。
「食事の時間には、使いの者を寄こすよ。それまで、くつろいでいたまえ」
「はい。ありがとうございます」
沙穂の返事に、真輝は上半身をかがめて彼にキスをした。
ひゅっ、と小さく吸い込むような、いたずらっぽいキスだ。
「今、ありがとうの言霊を吸い込んだ。これで私も、言えるようになるかもしれない」
「真輝さん」
笑いながら、真輝は部屋から出て行った。
広い部屋に一人になった沙穂は、指で唇をそっとなぞった。
「好きになれそう。いや、もう好きなんだ」
乱れた服を整えることも忘れて、沙穂はしばらくうっとりしていた。
つむじ風のように現れた、突然の恋に落ちていた。
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