25 / 98

第四章・6

「また一つ、君の好きな所を見つけたよ」 「何でしょう」 「今日、出会って数時間の内に、君は何回『ありがとう』と言っただろうね」  ありがとう。  私には、なかなか難しくて言えない言葉なんだよ、それは。 「あ……」  確かに、テーラーで店主にお礼を言った時、彼は珍しそうな顔をしていたっけ。 (あれは、真輝さんからは、まず聞けない言葉だったからなのか)  源家の人間は、ありがとうを言えないと思われているのだ。 「言えるようになるといいですね。ありがとう、って素直に」 「さあ、それはどうかな。身についた習慣は、なかなか変えることは難しいから」  話しながら、真輝は身じまいを整えた。 「食事の時間には、使いの者を寄こすよ。それまで、くつろいでいたまえ」 「はい。ありがとうございます」  沙穂の返事に、真輝は上半身をかがめて彼にキスをした。  ひゅっ、と小さく吸い込むような、いたずらっぽいキスだ。 「今、ありがとうの言霊を吸い込んだ。これで私も、言えるようになるかもしれない」 「真輝さん」  笑いながら、真輝は部屋から出て行った。  広い部屋に一人になった沙穂は、指で唇をそっとなぞった。 「好きになれそう。いや、もう好きなんだ」  乱れた服を整えることも忘れて、沙穂はしばらくうっとりしていた。  つむじ風のように現れた、突然の恋に落ちていた。

ともだちにシェアしよう!