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運命-1
いつものように抱き潰した風の意識のなくなった体を拭いてから、夜着に着替えさせて毛布をかける。
「毎晩毎晩……俺も本当……いい加減にしねぇとな……」
はぁと大きなため息をついて、すやすやと寝息を立てている風の前髪にそっと触れる。
「んっ……」
吐息と共に漏れる風のこんな声にも、すぐに反応しそうになる下半身に、我慢しろと一喝してからもう一度大きくため息をつくとベッドから降りてドアに向かった。
夜中に風が飲めるように水を持って来るかと、床に放りっぱなしの下着を拾い上げて足を入れる。
「もうっ!!待って!!雷!?ダメ……ここじゃ聞こえちゃう……ら……いぃああああああああっ!!!」
扉と俺の体に挟まれて動けない風の中に無理やり俺をねじ込み、声を上げさせる。
「やだ……ぁあああっ!声、だめぇ……んぁあああっ!!」
「聴きたくなければ耳を塞ぐさ。聴きたい奴らのためにさ、ほら!声出せよっ!!」
ぐぐっと突き上げた俺の腰。腹の奥まで突かれた風が悲痛な甘い声で応える。
「いたぁ……あああっ!いっ……やぁああああっ!んっ!!くぅ……っん!」
いつもならここまではしない。
もう片方の足も入れて、床に残った液体を紙で拭き取りゴミ箱に投げ入れた。
「くそっ!」
どんなにひどく手荒に抱いても風は微笑んで俺を受け入れてくれる。
「それが黒兎だから。」
そうやって俺を抱きしめる。
黒兎じゃなかったら、風は俺を受け入れてくれたのだろうか?
運命だもん。
そう言って俺に手を引かれてついてきた風。
運命……
運命って何なんだ?
扉を開けて暗い廊下に足を踏み出す。
運命だから好きになるのか?だったら、運命じゃなかったら?
闇に慣れてきた目にぼんやりと人影が見えた。
「お姫様のそばにいなくていいのかよ?」
その横を通り過ぎながらかけた声に、ふふっと笑って俺の少し後ろをついて来る。
「何だよ?」
「私も水を取りに行こうと思いまして。」
「チッ!」
舌打ちにも無視を決め込んだ静が、俺の横に並んだ。
「何だよ?」
同じ質問にも、その答えを的確に選んで返して来る。
「舌打ちにいつものキレがないように聞こえまして、如何されたのかと。」
「別に……ちょっとイライラしてるだけだ。」
「それは、私達の事でしょうか?」
風の兄弟とは色々あったが、今はこの家にも泊まりに来るほどに仲は悪くない。それに……
「俺が泊まっていいって言ったんだ。別に気にしていない。」
結婚式をした後で、俺が許しを出した。今では風の兄弟達が家族と一緒にちょこちょこ泊まりに来て、時々はうざくも感じるが、風や陸、水が楽しそうにしている姿を見るのは悪くない。
「それでは……風様?」
その問いかけにギリっと歯軋りする。
「聞くな……!」
静けさの広がるリビングにピンと糸の張ったような緊張感。
「……水を取ってきます。」
沈黙の後で静がそう言って台所に消えた。
「はぁ。」
俺もまだまだだな。
息を吐いて気持ちを落ち着かせるが、暗闇の中に一人でいると、先ほどの想いが心を占めていく。
黒兎にとって金狼は運命の相手。だとしたら、他の集落に金狼が生まれていて、そいつが先に風を見つけていたら、風はそいつの元に行ったんだろうか?俺ではなく……
自分の考えに苛立ちが理性を押し退けていく。
「雷様……雷様っ!!」
突如揺さぶられた体にバランスが崩れた。
「うわっ!」
「失礼!」
倒れそうになった体が分厚い胸板に押し当てられた。
「ぅぷっ!」
当たった鼻が押されて変な声が出た。
「申し訳ありません。両手が塞がっていたもので。大丈夫ですか?」
「俺の方こそ悪かった。」
静の胸に手を当てて体を立て直そうとした瞬間、静がグラスを近くのテーブルに置いて俺の体を抱きしめた。
「おいっ!何をする?!」
「せっかくあなたをこの胸に抱けたんです。もう少しこのままでいさせて下さい。」
耳元で囁く静の声に、結婚式の前に起こった出来事を思い出し、怒りで顔が赤くなる。
「……俺はお前らとは違う。この体を明け渡すのは風にだけだ。どけっ!!」
「明け渡す?風様を受け入れるのですか?」
「そうじゃない!俺の全てに触れられるのは風だけだと言っているだけだ!」
静の目が闇の中でも意地悪く光ったのがわかった。
「私は雷様の許可が欲しいわけではありません。ただの好奇心。金狼というものへのね。」
その言葉に俺の思いが重なった。
「所詮は金狼……か。」
「何です?」
静が俺の呟きに耳をそば立てるように顔を近付けた。
その一瞬、俺の頭と静の頭が鈍い音を出し、怯んだ静の腕が緩んだ瞬間、俺は体を引き離し、静の足を蹴飛ばすように払った。
バランスの崩れた体はドスンという音と共に床に尻から落ち、手から離れたグラスが一緒に床に叩きつけられるのを俺の手が間一髪で取り上げるとそのまま静の頭に中の水をかけた。
「冷たっ!!」
「いいザマだな!そこで頭を冷やしてろ!!」
中身の空になったグラスとテーブルに静の置いた水の入ったグラスを取り替えると、後ろも振り向かずにリビングから出ようとしたその足が静の言葉で止まった。
「風様は雷様以外ともしたのに……」
「おいっ!!どういう事だ?!」
テーブルに置いたグラスの水が波を立てて溢れ出るほどに静の体に跨り、それを揺らす。
「何を驚いていらっしゃるのですか?雷様の弟君とされたじゃないですか?」
静の言葉に青ざめていくのがわかる。
「……んで、何で知ってる?!風が喋ったのか?」
俺の問いにキョトンとした目で俺を見上げてまさかと言いながら、俺の首に手を回した。
「見ていたんですよ。あの部屋の外で……」
ブルっとした身震いと共に頭から理性が消え去っていく。
「どう……いう、ことだ?」
「見守れという王の命に従い、私はあなた方を探し出し、ずっと見守っていただけです。」
何故?
頭の中で響き渡る風の悲痛な叫び。守れなかった己の非力。悔やんでも悔やみきれない後悔。懺悔も苦悩もようやく心の隅に押しやって風に赦されて生きてきた。
それが、見守っていただと?!
「何故、助けなかった?!」
大声がリビングの静かな部屋にビーンと余韻として残る。
「助ける?助けてどうなりますか?私は王から命に別状なければ手出し無用と言われました。あの時点で、風様の命に危機と呼べるような状況はありませんでした。それに私がもし風様を助けるためとはいえ、雷様の弟君に怪我、もしくはさらに酷いことになった場合、兎族と狼族の戰にならないとは言えません。」
冷静に考えればそうなのだろう。静の言い分が間違っていないのは理解できる。それでも……
「それでも、風を守れたんだろう!?風をあんな目に合わせなくて済んだんだろう?!水に怖い思いをさせなくて済んだんだろう?!お前さえ、風を守ってくれれば……くそっ!!!」
ブンと唸った拳を床に打ち付ける。
「雷っ!?」
バタンと扉の開く音と共にパチっという音と一気に明るくなる部屋。
眩んだ目が一瞬瞼を閉じさせたのをすぐに無理やり開いて静の体から立ち上がると、扉から部屋に入ってきた風の元によろけるようにして近付いた。
「どうしたの?!夜中に大声出して。それに……雷、泣いてるの?」
言われて頬に手を当てると、温かな滴が指についた。
「……ほんとだ。」
「静、何があったの?」
「それが……」
「言うなっ!!お前は何も言うなっ!!このまま部屋に戻れ!!」
「……失礼します。」
俺達の横をポタポタと頭から滴を垂らして通り過ぎる。廊下の先では静かに波が手を広げていた。
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