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第7話
結局、怪異らしいものは昼間の学校では見あたらなかった。中野は落胆しなかった。今回の担当は誰か、三田に聞いてみようと思った。果たして三田は素直に教えてくれるだろうか。
学校では、中野と山代は別々に帰ることにしている。噂になりたくないからだ。
どんな関係と訊かれたら、どう答えればいいのかわからない。親戚なんだというが、名字は一緒になっているが、中野自身うまく答えられるか不安なのだ。
山代が協力してくれるならなんとかなるが、あの調子では本当のことを言い出しかねない。中野の下僕なんて言われた日には、中野君ってひどいと言われるか、変態を見るような目で見られるかのどちらかだ。中野には理解しがたいが、山代はそういう人間をからかうのが好きだ。
詮索好きのゴシップガールにとって山代は話題性があり、山代が中野という目立たない男子にもてあそばれているのは、好奇心、もしかして自分もと思えるために、火に油をつけるように、あっと言う間にゴシップは燃え上がる。
中野は図書館に行き、学校の宿題と予習をすることにした。図書室に行けばいいが、騒がしい男子生徒がいて集中できない。誰も自分のことを知らない方が中野には気楽だった。
中野は歩いて少しだけ時間のかかる図書館についた。新築したばかりの図書館ではなく、古びた図書館である。その分、蔵書も多く、広い空間に本棚が並べてある。食堂も完備され、中野にはよくお世話になっている。
階段を下りて、低い位置にある図書館、埃っぽい、空調が効いた室内に入る。さっきまで冷えていた体が弛緩するのがわかる。
まるで温かく迎えてくるように、人のささやきに近い声がフロアーに響いている。明るい室内に中野はまばたきをして、物々しいセンサーが搭載されている背の高い装置を通り抜け、本を返却した。
中野が借りた本はたいしたものではない。ドラマになった原作本とか映画の原作くらいだ。映像で見たものもあるが、ないものは映画を見るのが楽しくなる。
中野が自習室に向かう。ガラス張りの自習室には中野より年上の高校生が難しい顔をして問題を解いていた。
中野は司書に自習室を借りたい旨をいい、幸い空いている席があったので借りられた。本来ならば、すぐに借りられないが、珍しいこともある。中野は黙って教科書を広げた。
自習室には、机一つ一つに仕切りがあり、中の様子が窺えない。そうして空調が強めに効いて、中はとても静かである。ガラス張りであることが関係している。ガラス張りの外には自主するスペースがあるが、甲高い子供の声やざわめきで集中できないときもある。
中野は勉強しながら、あることに気がついた。視線を感じていた。誰かが見ている。
シャーペンを置き、お手洗いに出る中野がいた。鞄を持ち、ノートと教科書はそのまま広げていた。
「やあ。中野」
中野は名前を呼ばれてびっくりとしたが、トイレの前で知り合いというか、なんというか仕事の関係者に出会い安心した。
「星野さん」
星野と呼ばれた男。高校生くらいの年頃であろうか。近くの公立高校の制服を着ている。彼はにこやかに笑い。中野の隣に立つ。
トイレまで一緒に歩く。
「なんで、ここに来たと思う」
「さあ」
しばらくれている中野に星野がいう。
「無茶しないかだってさ」
「無茶しませんよ」
星野の目は細めているだけだ。それは楽しげに見えるが、実際はなにを考えているのかわからない。
星野と中野は縦に並び、用を足す。ぼんやりしていた中野に星野がいう。
「骸骨先生の担当は、田辺さんだから大丈夫だよ」
「田辺さんって」
「まあ、知らないか」
顔の広さに中野は腹立たしいが、中野はうなずいた。ここは素直に知らないと言った方がいいとわかっている。
星野はごめんと言った。自分でイヤミだと気がついたようだ。中野はいえと言った。
「データを後で送信するから、まあ無茶しないでね」
そう言われた、手を洗う二人を不思議そうな目で清掃員が見つめていた。
中野は勉強が終わり、スーパーに寄る。スーパーであらかた買い出しを終えてふらふらとしながら、歩いていた。まだ毒のダメージがあるようだ。
夕焼けに染まる空を見ていた中野はアパートについた。夕焼けは茜色に染まり、優しい色である。雲は夕陽の光帯びたピンクで、中野はほっとした。アパートは静かだった。階段を上り、鍵を開けて入る。
「ただいま」
返事をする人はいないとわかっても中野はつい言ってしまう。あれだ、習慣だと中野は頭の中で言い訳した。
「お帰り」
中野の言葉に反応があると中野は嬉しくなった。それはあえて、表情に出さない。山代がスエット姿で迎えた。それも様になっているのは山代の顔のせいか。中野は仕方なく無視するわけにはいかず「山代はなにしていたんだよ」と問いかける。
「勉強」
「嘘つけ」
意地悪なことを中野がいう。中野は狭い室内に冷蔵庫に野菜やら肉やら魚、牛乳を入れていく。疲れを感じさせない手際よさだった。
「三田にやらせないのか」
「家事は無理だろう」
「……中野は三田みたいになりたいのか。術士をやめたいならば、叶えてやる。普通の家庭。普通の自分、普通の学校。そして、俺」
中野の体はぴくりと動いた。普通という言葉に反応したのか、家庭なのか中野にはよくわからない。
「くだらない」
中野はつぶやいた。それは虚勢かもしれない。中野はわからないが、山代をにらみつけた。
「そんなものを求めていたとしても、俺の人生は変わらない」
孤独だからと山代がつぶやいた。山代は荷物を冷蔵庫に入れる。山代の目は怪しく光っているように中野には見えた。
「山代はどうなんだ。俺に飼われているのは」
いやな言葉だと自分で言いながら中野は思った。中野はいきなり、ふわりと甘い香りに包まれた。洗剤の匂いだ。
人形めいた顔がじっと中野を見つめる。白い指が中野の唇をなぞる。まるでなにか繊細な細工を触るように、優しい。
女じゃないと中野は言った。山代の顔が近づいてきたとき「やめろ」と言った中野がいた。
「いやか」
「いやだ」
山代はニヤニヤと笑った。それは楽しげで、いやらしい意味を持つようだった。
「俺の力を食っただろう。いつも言っているだろう。食べ物を食べろ」
「いやだ。中野がうまそうな匂いをしたからいけない」
呆れた中野は簡単に料理を作る。三田が食べるように、中野は三人分作った。山代に対するイヤミであることは確かだ。
山代から逃げるように中野は食事して、読書をする。ネットもたまにする。メールを送っているくらいだった。
骸骨先生の話はでなかった。また話題になるかと思いきや、中野の予想に反して、藤間はなにも言わない。
雑談がつづく。山代は風呂に入っている。中野もそろそろ入らなければならない。そんなことを中野は考えていた。
中野はしばらく考えていた。布団を敷いてごろんと、横になった。そうして、目をつぶる。
今、星野達が調査をしているのだろう。高校生の自分はおとなしく、毒を抜かなければならない。
わかっていても歯がゆいと思うのは見習いのくせに生意気だろうか。心配されているなんてわかっている。まだ保護される存在だからか。
わかっている。あまえていればいい。いつか否応なしに戦うんだと中野が言った。
「中野。風呂」
「わかった」
背中を流そうかと山代が言ったが、いやだと中野は言っていた。
風呂上がりの麦茶を飲んで、肩の力が抜けるようだった。山代はスマホをみている。
「山代、スマホでなにをしているんだ」
のぞくのは悪いことだとわかっているが、中野には気になるからのぞく。山代はスマホを素直に見せた。そうして、ぎょっとした。なにかスマホの画面にいる。
「なんだ、これ」
異界の住人というのはわかる。中野は慌ててスマホを取り出し、刃のない柄を握りしめる。中野は慌てて取り出した。
「雑魚だ」
「捕まえたら、いえ」
「晩飯だ」
「違うだろう」
中野はイライラしながら、スマホから異界の住人を取り出すのを待つ。スマホからぬめりと出てきた異界の住人は貝だった。
「あんた、帰りたいんだろう。今帰すから」
「いやです」
「なにを言っているんだ」
「沢村先生が気になるんです」
「沢村先生って誰」
「沢村先生。かわいそうに。人間に捕まるなんて」
「えっ」
わけのわからなさに中野は戸惑う。中野より先に山代が動いた。貝を鷲掴みにして、口を開ける。
「ひぃ」
貝は気がついたのか、いきなり水を吹き出した。
山代はスエットが濡れるのもかまわず食べようする。
「やめろ。山代」
中野が止めなければ、山代は貝を丸呑みしていただろう。貝は握り拳ほどの大きさだからだ。山代は不思議そうに中野を見ていた。
「とりあえず、帰るんだ」
「でも。あんた、沢村先生がどうしているのかわからないのに」
「とりあえず、沢村先生を探してやる」
「ええ。なんでそんなことを」
「そうしたら帰るだろう」
ここは塵の世界だから。と中野がつづけると貝は静かにつぶやいた。
「だめです。ここにいさせてください。でないと水浸しにしますよ」
わかったから、という前にまた山代がつかむ。ひぃと貝がまた水を出した。
中野は頭が痛くなるような思いだった。中野の気持ちも知らずに貝は「沢村先生、沢村先生。必ずお救いします」と言っていた。
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