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第9話
それ以来、変化らしい変化はなく、つつがない日常を中野は送っていた。寒くなり、生徒達を集めて落ち葉を掃いていく姿が中庭で見られるようになった。校舎のハの上半身とも言える上半分の中に、中庭はある。女子達はおしゃべりをしながら、男子はサボっているものもいる。
黄色に紅葉した葉がはらりと、はらりと、優雅に落ちていく。藤間と中野はほうきを持ってチャンバラをしていた。
こういうことをするのがガキっぽいことと、中野は知っていたが、あえてする。山代はほうきで葉をはいている。和泉はどこか行っていた。
「もー男子ちゃんとしてよ」
「うるせえ」という男子もいたが、藤間は舌打ちしてチャンバラをやめた。
気の強く、口が達者な女子が言っているのだ。ケンカをすればこちらの分が悪くなるのは目に見えていた。
中庭にはプランターに飢えられたコスモスが咲いていて、ピンク色の可憐な姿を見せていた。他にも赤い花びらをつけたものなどがあり、人々の目を楽しませていた。
さらさらと冷たい、乾燥した爽やかな風が吹いていた。美しい山々も紅葉を迎えていた。小さな山々もまた黄色や赤く染まっていた。都会にいた住人ならばわかる、絶景と。しかしまだ十代のものには変わらぬ、いつもの風景であり、毎日に暮らしていれば風景も色あせてしまうのだ。
「先生、落ち葉集まりました」
「おう、ありがとう。これから、ちゃんと市に許可を取ったから、焼き芋を作るぞ」
そんな話になっていた。そんな楽しげな雰囲気に友定はふるえていた。彼女の視線は窓に映っている自分達の姿におびえているようだった。友定の側に来た中野は窓を見た。
そこには骸骨を持った男が、手をこっちに来いと呼ぶように動かしている。友定の側に来た中野は「大丈夫。目を合わせるな」と言った。そうして、友定の手をつかんだ。そのまま「焚き火で温まろう」と言った。
「う、うん」
藤間がニヤニヤしながら友定と中野を見つめていた。周りの女子はびっくりしたように二人を見つめていた。
「中野って大胆ね」
そんな会話をコソコソと話しているものもいた。中野と友定はみんなに集まって焼き芋を焼いた。葉が焼ける焦げ臭いがしたが、焼き芋は電子レンジとは違い、熱々で味が違うような気がした。生徒達は夢中でほおばり、担当した教師は満足げであった。
「友定さん。いつから見えるの。あれ」
友定は中野から視線を外した。
「ありがとう。でも中野には関係ないから」
「俺も聞きたい」
いつの間にか山代が二人の側にいた。友定の顔が赤いものになっていた。中野はしばらく黙っていたが「俺がいたら話しにくいなら席を立つよ」と言った。
友定は驚いたような顔をした。
「あのね。私、信じられないけど」
そんな会話が始まっていた。友定は母子家庭である。父親は友定が物心をつくまえになくなった。交通事故で酒帯び運転の車に家に帰る途中ではねられたらしい。
「そのお父さんにそっくりなのが、あの骸骨を持った人なの」
「学校にしか現れないのか」
「うん。わからないけど。鏡の中でああして手招いているの。最初は嬉しかったけど、だんだん顔つきも変わって怖くなったの」
怖くなるのも当然だ。あのとき骸骨を持った男は鬼気迫るものだった。中野は考えていたが、あまり言いたくなかった。
「もしかしたら友定さんと話がしたいのかも」
「うん。私も最初そう思った」
「でも鏡やガラスは入れないし、声は聞こえない」
「うん」
あれが父なのか友定も半信半疑なのだろう。写真を見せてくれた。荒い画像の中に似ているような男がいた。幸せそうに友定を抱きしめ、妻に向かって幸せそうな笑みをこぼしている。
友定はしばらくスマホを見ていた。
「あのさ。友定さん。どんなときにお父さんは現れるの」
「わからない。でもなぜか、よくわからないときに来る。みんながいるとき」
友定の言葉は二人きりではないんだねと確認する。
「もしかしたら私、心の病気かな。こんなことは有り得ないのに。お母さんに相談できないし。友達には疲れすぎたんだと言われた」
「大丈夫だよ」
山代が優しい声でいう。人形めいた顔つきはいつもと違って、優しげな眼差しを送る。それは人の心を安心させるものがあった。
友定の目からポロポロと涙がこぼれていた。ぎゅっと大胆なことに友定は山代を抱きしめていた。
なんか俺がいることを忘れているよなと中野は考えていた。しかし、言葉にするほど彼は野暮ではなかった。
落ち着いた友定は女子らしく顔を真っ赤にして「ごめん」と言っていた。山代は平気といつもの調子で言っていた。身長が高い山代を見上げる形で恥ずかしいのか、友定はちらちらと中野を見ていた。
「うん。じゃあ、俺は行く」
「えっ」
「山代からあとで聞くから。なにかあったらここにメールして」
さっとノート切れ端にメールアドレスを書いた中野を戸惑い気味に友定は見ていた。いいのと言われた中野は意味がわからず、走り去っていた。
監視するつもりだが、しかし、なぜか中野には逃げたくなっていた。山代が自分以外に笑いかけるのが面白くなく感じたせいかもしれない。
中野は黙って立ち去った。
図書館に行くとメールアプリを立ち上げて、長々とスマホに報告を書いていく。本来ならば報告書がいいが、緊急を有するときである。
なぜ友定に近づいてきたのか。なぜ大勢のときに現れるのか、友定と二人きりならばわかるが。
スマホを見るとメールが届いた。さっそく開けると「沢村先生は見つかりましたか」と書いてある。貝である。
「貝か」
探していないと言えば良かったが、探さないといけない。そんな脅迫観念に襲われそうになるが。三田がなぜ中野に貝を押しつけたのかを考えてみると。貝も異界の化け物、中野は体をうまく動かせない、だから、中野が相手をして貝の気をなだめるには適任なのだ。
そう、中野が無茶をさせないために。
「三田さんに聞いてみないとわからない」
「沢村先生には、大変お世話になりましたから、あのような自分ではないときの恐ろしいときを体験してほしくないです」
「?」
「あのとき、人間を襲うようなことをしたじゃないですか」
「塵のせいだね」
「塵?」
「まあ、説明できないけど、あんたも恨みとか持っていたんじゃないかな」
「さあ。忘れてしまいました」
そうはぐらかされたような気がした。中野は勉強をして、借りた本を読んでいた。
夕暮れが空を染めてあげ、地平線から太陽が顔をうずめている。
高い位置の空はスミレ色に染まり、白い月がゆっくりと東の空に浮かんでいる。中野は道路の端を歩いていく。原っぱがあり、ススキが広がっている。白い綿は銀色に見え、風にそよぎ、サアアアと音と共に揺れていた。
ススキをぼんやりと見つめていた中野は顔を上げた。そこに一人の男がいた。だから駆けていた。
「星野さん」
思わず声をかけていた。星野は振り返っていた。彼に表情に変化らしい変化はなかった。
制服姿の星野は原っぱから抜け出していた。
「やあ。中野君」
爽やかな口調である。しかし、中野に対していらだちは見せなかった。中野は「どうしてこんなところへ」と言った。
「まあ、仕事だよ」
中野は謝った。だから、無表情だったのかと気がついた。中野のことを気にしているのはわかっていた。
「そういえば、貝にお小水をかけられたんだって」
星野は苦笑いを浮かべていた。中野は「違います。山代です」と答えていた。星野は「どっちでもいいけど、化け物のアフターケアをちゃんとしないと、な」と言われた。
「えっ」
「えっ、じゃない。仕事には変わりない。それに化け物との考え方は人と違うところや似通うところがあるから」
「あの。死者が化け物になるってありますか」
「あるよ。原理は解明されていないけど。ご先祖様を祀るんだから、人が死んだって化け物やなんらかの力になるのは考えられる」
「……」
中野は難しい顔をした。
「じゃあ、ちょっと時間あるか」
星野に言われて首を振った。
「自炊しているんだっけ。じゃあ、俺のメアドを教える」
「わかりました」
これがすぐに連絡が付く仕事用のメアドだからと言われた。中野はうなずいて、自分の仕事用のメアドを渡す。
「なんだか。おかしいな」
「えっ」
「空気が濁っている」
「そんなことがわかるんですか」
「いや、かすかだけど」
「実は」
中野は思い切って話そうとしたが、いきなり口元に手を当てられた。パニックになった中野を山代が見つめていた。
「あっ、あれが噂の山代ね」
「なにをした」
山代がそう星野に問いかけていた。
「なにもしていない。メアド交換しただけ」
じっと空気が動かなかった。中野は手を引きはがそうとした。しかし、中野の口元を押さえる山代の手は緩めない。
「嫉妬深いんだな」
「ああ」
「まあいいか。早く立ち去ってくれ。仕事がある」
そう言った星野は苦笑していた。ようやく山代は中野から手を放した。
そうして、山代は「浮気者」と言った。
「まず、付き合っていない」
そう答える中野がいた。中野の言葉に寂しそうな顔をする山代がいた。中野は山代に対する気持ちを忘れていた。
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